Katastroke interview 3

インド舞踊 オディッシィ 野中ミキ

                                                         2020/4/27 聞き手 増田美佳

【インド舞踊 オディッシィ】
オリッシーとも記載される。インド南東部オリッサ地方に伝わる古典舞踊。
神に捧げる踊りとして寺院で生まれ、衰退の危機を乗り越え、偉大なグル(師匠)たちによって復興され継承されてきた。寺院の壁に見られる彫刻のようなポーズが多くあり「動く彫刻」とも表現される。独特の胴の動きがあり、上半身は柔らかにうねるような曲線を描き、叙情的で優雅な曲線美がひとつの特徴である。
それと共に鈴を付けた足は複雑にステップを刻み、力強さを表現する。他にも手の印、首、目、眉を細かく動かすなど、全身を駆使して踊られる。

−ではまず野中さんがインド舞踊を始められたきっかけを聞かせていただけますか。

野中 いま私63歳なんですけど、42年前くらいになりますが勤め始めた頃、勤め先の道すがらにインド舞踊研究所があったんですね。

−京都ですか?

野中 そうです。佛教大学の前なんですけど、そこを通って仕事場に行くので、最初は健康のために始めたんです。その時第一次ヨーガブームで(70〜80年代世界的なヨーガブームが起こっていた)インドの雑貨なんかもよく入ってくるようになっていたし、ちょっとしたインドブームだったんですね。私もヨーガをやろうと思ったんだけど、インド舞踊にしたんです。まあインド舞踊にしたというか、バレエも興味はあったんですけど、その当時バレエっていうのは、健康のためにやるものとして開かれてなかったというか。

−どっちかというと幼い頃からやる習い事的なイメージだったんですかね。

野中 そうそう。バレエ学校みたいな感じだから、大人になってからは受け入れてもらえないだろうな、健康のためにという理由で習うのは難しそうっていうイメージがあって、インド舞踊の教室もそうかもしれないけど、恐る恐るとにかく電話したら大人からでも大丈夫と言ってくれて始めたんですね。

−インド舞踊教室の生徒さんは大人ばっかりだったんですか?

野中 子供たちもいましたが、ほとんどが大人です。インドが好きとか趣味で習ってる方も多くて。中には専門的に学びたい方もいたかも知れないけど。シャクティさんという方が先生のお嬢さんなんですが、その方がメインダンサーで公演活動もしてる教室だということは後から知りました。

−先生はインドの方だったんですか?

野中 インドの方と結婚されている日本人でヴァサンタマラ先生という方です。お名前は芸名というか踊りの名前なんですけど。その先生に習ってました。

−踊りの名前を持つというのは一般的なことなんですか?例えば流派を表すような。

野中 どうなんでしょう。当時日本でヴァサンタマラ先生のところしかなかったので、そういう流派とかいうこともなかったというか。
※ヴァサンタマラインド舞踊研究所は日本で一番最初にできたインド舞踊の研究所。

−なるほど。みんなが舞踊家の名前をもらうっていうシステムではないんですね。

野中 ないです。システムがないけど、先生にお願いして名前をもらったりされる方もいます。私は自分の名前が漢字だと読みにくいのでカタカナ表記にしてますけど。個人的には芸名を付けようとか考えたことがなく、最初、踊り手としての意識がないまま踊りを続けてきてしまったので(笑)

−でもインドにも留学なさってますよね。

野中 ヴァサンタマラ先生の研究所には8年くらいいて、代稽古を任されるようになったり、いろんなことをさせてもらえるようにはなっていたんです。充実してたけど、忙しかったり、仕事もあったのでなんだか疲れて来たというか、もう踊りはいいかなぁとか思い始めて辞めたんです。その頃にすごく素敵な先輩がいて、その人が辞めてしまったこともあって。それで1年くらい休んでたのかな。まったく踊らず。でももう体が、ちょっとこれではいけないわと思いだして。ちょうどその頃辞めた先輩に練習しないかと誘われて、ふたりで練習したりしてました。

そのちょっと前になるんですけど、沖縄からヴァサンタマラ先生の所に住み込みで習いに来ていた人がいたんです。沖縄で見たシャクティの踊りに感動されて本格的に学びに来られてて。彼女がうちに遊びに来たとき「なんでここまでやっているの」と聞いたら「もっと学びたくなったら、私はインドに行くしかない」と言ったんです。当時の感覚では、結婚もしているのに単身なんで京都まで学びに来たのか?と思ったんです。研究所ではたくさんの公演に出てたのに、ダンサーになるとかそういうことは考えておられなかったみたいで、純粋にインド舞踊を学びたいということにもびっくりした。そんなすごい人がいるんやって、正直私には無理やなぁと思ったけど記憶に残って。自分が辞めた後で、もしまた習いたくなったらインドに行かないといけないかなという、彼女の言った言葉がちょっろっと頭の隅にあったのと、夫が仕事を辞めるということがあったんです。

染色の会社に勤めてたんですけど、そこを辞めて独立するにあたって1年くらいは休みたいから、その間に外国に行きたいんだけどと話していて。行こう行こうという感じで、じゃあインドにしましょうよと。行く2年前くらいから計画はしてたんだけど、観光ビザでは1年は取れないことがわかって、それだったら留学ビザを取る準備をしてもいいなと。飛行機が嫌いだしせっかく行くんだったら1年間戻ってきたくなかったという簡単な理由です。前以て一度現地に行って調べて学校のこともわかって留学をするのが普通だと思うんだけど、外国に行ったこともないし、英語が喋れないからできない。とにかく飛行機に何回も乗りたくないから一発で留学ビザを取りたい。なんとか留学ビザの申請までこぎつけて、その時偶然にインドの文化機関の方からいいお手紙をもらうことができたんです。

−どういう手紙ですか?

野中 私が出した手紙はダンス部門の方に回すそうなんですけど、担当者が出張でいなくて、来日したことのある方がたまたまその手紙を見たようで、彼女が直々に「1年しかないのであれば学校に行くよりプライベートでひとりのグルについて習うべきだと思う。学校も羅列しておきますのでお好きなところに挑戦したらいいですよ」という返事をくれたんです。それで私はその提案に従ってすべてお願いしたいとグルを紹介してもらって。

グルも当時オリッサという州に住んでいて、デリーの学校に出てくるかどうかを迷っておられる時期だった。グルとお手紙のやりとりをして、オリッサで習うんだったら家を紹介してほしいとお願いしたりしながら、とりあえず行く場所はデリーに決まりました。でも留学ビザ取得に領事館へ行ったら、インドの学校に再確認してからとか難しそうなことを言われます。何か困りごとがある時は、この手紙を出しなさいと書いてくれていたので、それを出して会ったこともないのに会ったと言ったらすぐ通ったんです(笑)これもう時効かなと思って話してますが…。
無事にビザも発行されて、とにかく色々なことが重なって運がよかったんですよね。そういうわけで最初は外国に行きたいと言った夫について行くという形だったんですけど、結局は夫がついて来るみたいな感じになってインドに行ったんです。

−それで向こうではひとりの先生について習われることになったんですね。

野中 そうです。トゥリベニ・カラ・サンガムという舞踊や音楽、絵画とかを教える芸術教育学院があって、その中の一室を先生がもらって、それぞれに運営してるっていう。そこに入ったという感じです。

−芸大のようなものですか?

野中 大学ではなくて、カルチャースクールでもないし…
Triveni Kala Sangam : ニューデリーにある文化複合施設、教育センター。教育センターの他に、シアター、ギャラリー、レストランなどもある。

−日本に同じような機関がないんですね。

野中 そうですね。結構、当時おしゃれな…学校?というより、教育センターの他にギャラリーとかシアターもある文化施設という場所でした。

−現地で習うようになって、それまで日本で教わってきたこととのギャップを感じることはありましたか?

野中 日本ではインド舞踊研究所だったのでひとつの舞踊を習うのではなくて、先生自体が南インドの古典舞踊バラタナティヤムをベースにやって来られた方だったので、カリキュラムはバラタナティヤム中心にはなっていました。なんだけど色んな舞踊を紹介するところだったので北インドのカタックや、インド北東部のマニプリ、それにフォークダンスなどいろんな踊りをやっていましたので、オディッシィも一曲ぐらい習いました。でもオディッシィがオリッサ地方の踊りだと知らずに習っていた。

研究所をやめた頃、ちょうどインドからの大規模な公演とかが相次いであって(1988年~1989年頃インド年の公演と高名なグルの来日公演等)、やっとインド舞踊って一つではないってわかったんです。それで私はバラタナティヤムの基本をやってきたとわかって、バラタナティヤムを習うときっとギャップがありそうな気がしてオディッシィにしたんです。あとオディッシィの方が向いてそうな気がして、なんとなく。ほぼ白紙のオディッシィを学ぶことであまりギャップはなかったです。

−私はインド舞踊を動画でいくつか見たくらいなんですけれど、バラタナティヤムとオディッシィの違いっていうのは大きく言うとどういうあたりなんでしょう。

野中 わからないでしょう、ビデオで見ただけだと。

−わからないんですよ。

野中 やってみないとわからないんですよねこれ。バラタナティヤムは直線的な動きをするんですね。肘も膝もしっかり曲げ伸ばすときはしっかり伸ばす。でもオディッシーはどの関節もピンと伸ばしたりはしないんですね。肘はゆるく曲がっている。それと胴の動きが特徴的です。

−確かに胸の部分だけセパレートして動かしているのが印象的でした。

野中 そのぐらいしか違いというのを言えないけれど、他に違うのは音楽ですね。音色が全く違うので。バラタナティヤムはカルナータカという南インドの音楽です。初めの頃聞いたときは、私にはちょっと呪文のような感じがして、オディッシィの音楽はメロディーが日本の音色に近い感じがしましたね。
でもパッと見た印象は一般的にはわからないかも知れないです。よく見ると衣装や髪飾り、アクセサリーも違うんですけど。例えば日本舞踊だと流派ごとに少し違うという差よりはもうちょっとはっきり違いがあると思います。おっしゃる通り、胴の動きが特徴だから、実際やったらものすごく違いはわかると思います。踊り手にとったら大きな違いなんですけどね。オディッシィはステップを一歩踏むたびに体を動かすんですよ。(実演)

−すごい複雑…

野中 こういう感じなんですけど、割と細かな操作が必要なんです。けっこう難しいんです。3年くらい経ってもなかなか踊れない感じなんですね。一曲踊れるようになるのに時間がかかるっていうか。画面上で見ると簡単そうに見えるかも知れませんけど。

−いや、動画でもかなり複雑なことをしているように見えましたけどね(笑)細かい動きが多くて。

野中 体も動かし首や目も同時に動かすし、ステップと同時に体と目、体と目という感じで動かすんです。ひとつひとつ連動して動かす感じで、私もインドに行って見たときはこれやるの?って(笑)でも先生がこんなんだよって最初に座ったままちょっと踊ったのを見て、これはすごいと。習うべきものだと思ったんです。この先生について行こうって感じでしたね。だからそれが、オディッシィでなくてもよくなったんです、先生が素晴らしいと思った。オディッシィというより先生自身のダイナミックな踊り、それが好きだったからついて行こうと。

−なるほど。踊り自体の様式より、教わる方との出会いによって今があるという感じなんですね。

野中 はい。私の場合はね。先生に引っ張られるように習っていましたね。

−あと技術的なことで聞いてみたかったのは、手の形が複雑だなと思ったんですけど、かなりバリエーションがあるように見えて。印というんでしょうか、手のポーズ。

野中 ハスタ(手)とかムドラー(印)と言います。インド古典舞踊では片手で28あるんですね。両手でやるのが23くらいあります。他にオディッシィ独特の手の形が10くらいあります。

−めっちゃいっぱいありますね…

野中 今すぐやれますよ。1234…(実演)で、それを組み合わせながら「顔が美しい」とか「花が咲く」とか「目がきれい」とか色々やるんですね。あとは両手でやるもの、合掌とか、あと魚、亀、イノシシ、ガルーダ、とか基本はこんな感じですね。

−手話みたいですね。全部言葉なんですか?

野中 意味のないときも使います。マユーラは孔雀ですけど孔雀の手をしてただ踊ったり、ポーズの時に使ったりもします。歌に合わせて意味付けされて「クリシュナ様(ヒンズー教の神) あなたは ここに いらっしゃいます」とか手話的に使うこともできます。
リズム舞踊のようにステップとかで踊りそのものを見せるようなものと、歌に合わせて感情を表すものと2通りの踊りがあって、どちらもムドラーは使います。これらの踊りを組み合わせながらひとりで何曲も踊っていくという感じです。最初の踊りから最後の踊りまで、いろいろなことができますよというフルステージでは、6曲から8曲。だから衣装は役を表さない抽象的なものになります。

−あと動画を見ながら顔の表情が豊かだなと。割とみんなにこやかに笑ったりしている印象だったんです。目を扱う動きがあるから同時に表情も動いて来るのかも知れないけれど、顔はどう振付られているのか聞いてみたいと思ってたんです。

野中 表情は9つ(ナヴァ・ラーサ)あります。愛とか笑う、悲しむ、驚く、恐れとかです。9つの表情を覚えます。それはインド古典舞踊ではほぼ同じですが、私は、表情には、その踊りの地域の表情が影響していると思います。オディッシィにはオリッサ地方の人が持っているムードというのがあると思うんですね。柔らかいというか仏像的というか。昔仏教が盛んだった地方らしいですけどね。どちらにしてもインド舞踊は全体的に顔の表情は表にしっかりと出すという踊りです。「手の行くところに目が、目の行くところに心が、こころの行くところに感情、情緒(ラサ)が生まれる」という言葉がインド舞踊の経典にはあるんですけど、そのようにして目から感情表現できるということだと思います。ただ先生がよく言っていたのは、「その顔は映画の表情だ」スクリーンの女優のような表情とは違う。だから表情についてはリアルすぎないように大衆的にならないようにと。古典舞踊だからなのかな。

−ある種の品のようなものが必要なんですかね。さっき仏像とおっしゃっていたような。

野中 きっとそういうことだと思うけど、実際は、なかなか難しいことだし、誰もがそういう表現ができるかどうかわからないけど。先生の理想、望んでいたことでしょうね。その他に先生は、「舞台は、「愛」や「楽しみ」を与えるところだから、「いや」とか「恐怖」「怒り」などは特に気をつけるように。日常のようなリアルな顔の表現にならないように。」ともおっしゃった。だけど私は先生の言葉は頭の片隅にあるけれど、もうわりと手放しているというか諦めてるというか、湧いて来る感情のままにあまり顔の表情について気にしないでやってます。

−野中さん自身が教えるときはどういうところから教えていくんですか。聞くほどに複雑でどこから手をつけていいんだろうという気持ちになってきます。

野中 足のステップからやっていきます。足の型はとても重要で踊りのベースです。ステップと同時にムドラー(手の形)も分けてやっていきます。首とか目の動きも分割して教えて行って、最初体力的にむずかしい場合はもうちょっとエクササイズ的なものからやっていきますね、私の場合。ステップの完成形は、体の各部分の動きも目の動きや首の動きも連動してやるようになっていて、ちょっとそれは最初からは難しいです。

−大混乱しますね。

野中 はい。初めてだと無理だと思うんですよ。首と体の傾きを逆にするんですけど、これだけでもけっこう大変なんです。インドでも足だけとかから始めたりしてますね。私は8年くらいヴァサンタマラ先生のところでバラタナティヤムのステップを踏む基礎を教えてもらってたから、すでにステップで音が出せたけれど。インドでオディッシーを習い始めたときも難しいながらもそれなりにできたんですけど、それでも座って体だけの練習と手首だけの練習とか、私に合わせてやってくださいました。それと同じように自分が初心者の方に教える時には生徒さんに合わせてひとつずつやっていきます。

−習いに来る方はどういう動機で始められるんでしょう。どこかでオディッシィを見てこれらるんですか?

野中 昔はそうだったんですけど、いまはそうでもないです。動機をあまり聞いたことなくて(笑)あとは今シニア向けのレッスンもやっています。元々は、性別も年齢制限もないクラスで緩めのエクササイズという内容で始めたんです。オディッシィダンスを用いたエクササイズもやっています。そんなにばんばんステップ踏んだりできないんだけど、やれる範囲でどんなふうにやっていただけるのかなというのが楽しみで。私にとっても学びだから。最初にエクササイズになる動きをやって、それからステップだけとか、手だけとか。

私のクラスにはもともと何かダンスをやっていたという人はあまり来ないので、初めて取っ掛かる人がほとんどです。だからこう動かしてと言ってもいきなり動かせないことが多いんですね。さっきちょっと説明したオディッシィの胴を動かす動きはダンスの素地のない人には掴みにくい動きなんです。だからシニアの方には無理なんじゃないかと頭から思い込んでたんですけど、最近ちょっと胴の動きも入れていこうかなと思って。参加してくれる人は、主婦とか退職された方とかで、中には80代の方もいらっしゃるんですけど、全員で20名くらいかな。基本的に体を動かすことが好きな方々なのでやっていただくとどんどんいろんなところが動くようになってきて、それにオディッシィらしくもなってきたから、嬉しくなりました。

完璧なオディッシィかどうかは別にして、日本でのインド舞踊の紹介というだけじゃなくて、何かオディッシィを使って活かせることができるのは、私にとっては喜びになりました。
日本ではエクササイズがすでにいっぱいあるけれど、オディッシィのエクササイズの中にも他とは違う何か健康にもいいことがあるだろうし、オディッシィが日本で活かされる可能性もあるだろうと。それは私が踊りをやっていてよかったなと思えるところでもあります。舞踊家としてだけじゃなくてね。

−そういうふうに高齢者向けに練習方法を考え出すことになったきっかけがあったんですか?

野中 何かやらないとなと思って(笑)切羽詰まった思いもあったんですよ。ヨーガを教え始めたりはしていたんですけど。当時いろんな方々とワークショップをやっていて、「やっぱりインド舞踊がいいよ。」って言われたりもして。自分の中でもできたらこれまで続けてきたインド舞踊を伝えたいと思っていて、それを活かせるもので何かやらせてくれる場所はないかと思っていたんです。仕事にもしたかった。どこか紹介してって頼んでたワークショップ仲間の友人が、私を紹介してくださって。たまたま時期がうまく合って。担当の方からは、「ヨーガではなくて本格的なインド舞踊でもないレッスン」だったらレッスン枠をくださるということでした。これまではオディッシィを教えていたんだけど、こちらが行く場所に合わせるというか、ヨーガでもインド舞踊でもない何かを私の経験したことの中から提供してみようと、やらせてもらうようになったという経緯です。

−そのお話を聞くとジャワ舞踊家の佐久間新さんのことを思い出しますが、佐久間さんもジャワ舞踊から得た感覚を拡張させて、障害のある人、高齢者、いろんな人に向けたワークを編み出されてます。ジャワ舞踊そのものではないけれど、踊りの中にある大事なものを残しながら別の形にして他者の体に伝染して行くみたいな活動も展開されてます。舞踊の様式を研ぎ澄ましていくだけじゃなくて、別の仕方で得たものを発信する方向性も持っているという、それは豊かなことだなと思います。

野中 そういうと聞こえはいいんですが、やっぱりインド舞踊って、インドの方が踊ったらいいじゃないですかっていう考えもあるし、日本人が踊っててもイマイチだっていう思いもどこかにあって、受け入れられていないんじゃないかというふうに思ってしまってて。これまでの経験が活かされる場所、受け入れてくれる場と仲間が見つかったというのは嬉しいことです。

以前、踊り手として少しでもレベルアップして認められたいっていう欲望はあったけど、やっと自分の能力がわかってきて。先生も亡くなってしまったし。でもインドではよく褒められるんですね。日本人なのに上手上手って。それでちょっと有頂天になったり勘違いしましたね。先生はインド人とか外国人とか関係なく意欲のある人にはご自分の知識や技術を惜しみなく教えてくださる方だった。それを無駄にしないで、今自分の持ってるものを活かせたらいいというふうに考え方は変わってきています。

インドから帰ってきたときは日本で、舞踊家としてやっていこうとそこまでの気持ちでもなかったんです。ずっと練習はしようと思っていたけど。今まで続けてきたのは公演の機会があったり教えるようになったりという流れがあったのと、あとは辞めようと思わなかったってことですかね。まあ一生懸命やっても日本ではインド文化がなかなか認められないという葛藤が以前はありましたけどね。

それでも先生から習ってきた踊りを日本に広めたいなという気持ちはありました。だからいつか先生を日本に来てもらうというのは目標にしていました。10年くらい経ってそれは実現したんですね。今では日本でオディッシィを踊る人も増えました。最近は、日本では人々の嗜好がどんどんマニアックになってきていると感じます。今の時代、皆ご自分の好きなものがそれぞれあって、それぞれの世界にいる感じで。昔は例えばひとつの舞踊公演があったらそれをわーっとたくさんの人が見にくるという感じだったのが、変わってきているのかなと思いますね。今より公演数も少なかっただろうとは思いますが。

−確かにそうかも知れません。今みたいに動画でどんなものかと見てみることもできなかった頃は、とにかく行って見るしかまず知る手立てがなかったわけですから。家にいながら好きなものを視聴できることももちろんありがたいことで、それをきっかけに出会えたものもありますが、自分が好きだと思い込んでいるもの、傾向から割り出されたオススメにしか触手が伸びなくなることも同時に起こってしまうように思います。そういう状態をどう打破していくかは表現活動を続ける上でも考えるべきところだと自分でも常々思ってますね。

<インタビューを終えて〉
今年は、新型コロナウイルスのことで色々な変化がありました。お話もインターネットを通してさせていただきました。いっぱいおしゃべりさせていただきましたが、言葉に出したり、今ここに書いたりすると、瞬時に何か足りないような、心の中の気持ちをうまく伝えていないのではないか、間違ってないかと不安になりますが、それも仕方ないこととして。
これまで、あまりにも多くのよき出会いと、よき人々に支えられ、本当に恵まれていたと思います。これまで続けられたのも、理解してくれたり、応援してくれる方がいたからだと思います。このような機会を頂きありがとうございました。

野中ミキ (のなか みき)
 東インド舞踊家。1977年よりインド舞踊を京都市の舞踊研究所で学び始める。1990年〜2016年、東インド古典舞踊オディッシィを故グル・ラマニ・ランジャン・ジェナに師事。1992年秋より自主企画の公演を行う他、公演の企画や後進の指導にも務めている。オディッシィダンススタジオ カマラ・カラ・ピータ代表 

photo:Fumiko Uruno