Katastroke interview 6

金剛流能楽師 宇高春奈

聞き手:増田美佳 収録:2020/3/5

photo©Stéphane Barbery

能 金剛流
能楽シテ方五流派のひとつ。金剛流の芸風は、豪快でめざましい動きの中にも、華麗・優美さがあり、「舞金剛(まいこんごう)」と言われる。また、豊臣秀吉拝領の「雪の小面」や艶麗な「孫次郎」など、所蔵する能面・能装束に名品が多いことでも知られ「面金剛(おもてこんごう)」とも言われる。五流のうち四流の宗家が東京を本拠地にしている中で、関西に宗家が在住する唯一の流儀。

 −まず宇高さんがお能を始めたきっかけになったエピソードを伺えますか。

宇高 はい、それを話すには、まずはコーポリアルマイムというものを始めたところから説明しなくては。私は高校まで日本で教育を受けて、その後アメリカの大学に行きました。親の影響もあり、小さな頃からオペラやミュージカルを観る事が好きで、モダンバレエも3歳の頃から10年ほどレッスンを受け、舞台上で表現することは小さい頃からやっていて、好きではあったかと思います。古典芸能は、高校生の頃、一時期玉三郎さんの舞台に魅了された事はありました。

ー魅了されたんですか(笑)

宇高 そう(笑)なので歌舞伎は観ていたけれど、お能に関しては、高校の団体鑑賞で一度観に行った時、それほど印象に残らなかったのを覚えています。お囃子が面白かったような…。でも大学でアメリカに行って舞台の勉強をすることになり、コーポリアルマイムというものに初めて出会って。フランス発祥の舞台芸術の一つで、創始者のエティエンヌ・ドゥクルー(Etienne Decroux (仏) 1898-1991)はジャック・コポーという「20世紀フランス演劇の父」と呼ばれる演劇人の演劇学校、ヴィユ・コロンヴィエ座の授業を受けたことがあって、そこでの経験からヒントを得てコーポリアルマイムという様式を作っていきました。当時20世紀初頭に、お能の脚本、というか謡本がイギリスで訳されてそれがさらにフランス語訳された物を使い、コポーの演劇学校ではお能の舞台を観たことない役者達が訳本からの情報のみで能の「邯鄲(かんたん)」を上演した事があったみたいで。

−それめっちゃ観たいです。

宇高 どんなものだったのかわからないのだけど、エティエンヌ・ドゥクルーはそれを観ていて、そういう影響も受けてコーポリアルマイムの技法を作っていった、というエピソードを聞いたことがあります。当時のフランス演劇は戯曲があって舞台美術があって、役者は最後に来る要素だったけれど、ジャック・コポーは「俺に裸のステージをくれ!」と言っていたらしいです。何もないところにまず役者がいる、能力が高い役者がいてそこから何かが始まると、という感じ。コーポリアルマイム自体も、まずは訓練された役者ありき、というところがあります。面白いのが、コーポリアルマイムには様々なテクニックがありますが、私はドゥクルーから第二世代にあたるトーマス・リーブハート先生(Prof. Thomas Leabhart)に習っていて、コーポリアルマイム自体はまだ研究が始まったばかりの芸術表現で、進化の最中にあるわけで、第二世代の先生方もそれぞれ個性があり、各々違ったやり方、というか重き置く場所が様々なように思います。私の師匠であるトーマス・リーブハート先生は、コーポリアルマイムでは仙骨から後頭部に繋がる背骨が一番大事と言っています。その端から端までを通る様々な種類のエネルギーの上昇下降、その流れが大事であり、このエネルギーの流れが演劇、及び役者を芸術たらしめると。また、リーブハート先生の教えでは、既にあるレパートリー以外に各々が自分のコーポリアルマイム作品を作る一つの手立てとして、まず型を作る、という方法を取っていました。

−型を習うんじゃないんですね。

宇高 もちろんドゥクルーが創作した型(レパートリー)を習う、というレッスンもありましたが、大学生当時、私がとても面白いと思ったのは、ムーブメントリサーチと呼ばれる創作方法でした。例えば「コートを着る」とか日常の動きを抽出し、それを分節しカウント、つまり細分化して、細分化されたそれぞれの動きの高さと面を変えてまた繋げる、というルールの元、動きの型をまずは作る。そこからスピード、リズム、重さ、ためらい等を動きに加えていき、またそこに音やセリフなども加えていく。最終的には型を作った上でオブジェクト、つまりこの場合はコートを外す。コートを取り外し残った型を主観化し、そこからまた進化させていく、というような方法でした。また他にも沢山の彫刻のポーズを覚えて繋げて一連の動きの型を作ったり、その上にセリフや音を乗せたりして、そのような方法で作品を作っていきました。

−習っているものが現在進行形っていうのはコンテンポラリーダンスと似てますね。

宇高 そうですね、それまで習ってきたモダンバレエの振付法とも全然違うし、面白いなと思いました。まず型を作る、きちんとタッパーを作るところから始めて、そのタッパーに漏れがないようにすると、そこに入れられるもの、ここでいうエネルギーのようなものが分散せずにぎゅっと残るから、観る人はそれを感じられる。
そんなリサーチにはまっていた頃にお能に出会いました。大学の演劇科は毎学期海外からゲストを呼んでいて、ロイヤルシェイクスピア劇団や中国の京劇、またオディンシアターのユージーノ・バルバなど、世界中のプロフェッショナルな舞台人たちが来て、学生へのワークショップとパフォーマンスを見せてくれる授業がありました。さすが私立のリベラルアーツカレッジというか(笑)そういう特別なワークショップやデモンストレーションの後はいつもリフレッシュメントが出て、皆で軽食やワイン・ジュースなど頂きながら観た作品の話をする場がありました。
そんな時にゲストのプロフェッショナル達と話をして私が日本人だと言うと、「じゃあお能は知ってるだろう」と、絶対と言って良い程お能の話が出てきました。演劇界のダイヤモンドだ、世界の宝だ、などと言われるのを、日本人の私はへえーと聞いていて。もしかしたら私が出会った方々がたまたまお能が好きだっただけかもしれないけれど、18、19歳の頃だったので、素直に、わーお能ってすごい、と思って(笑)。またお能についてあまり詳しく知らない自分というのも情けなく感じて(笑)。
海外に行くと、どうしても自分が日本人であるという事に向き合わなきゃいけない場面は、多かれ少なかれあるとは思うけれど、私はその時に、日本人としてお能についてもっと詳しく知っておかなきゃだめだな、と思ったのがきっかけで、能に関する本を読み始めたりしました。

−でも、確かに学生の頃ワルシャワ学生演劇祭でポーランドに行ったとき、何かとお能のことを聞かれた覚えがあります。

宇高 あとは、教わっていたトーマス・リーブハート先生が、大学のサバティカルで半年間パリに行くことになり、その時、一緒にトレーニングしていたトルコ人の同輩が「一緒に行こう」と言ってくれて。大学の留学制度を使うと、フランスでも単位が取れることがわかり、パリに一緒に行くことになりました。
1997年だったと思うのだけど、ちょうどパリではジャパンイヤーみたいな年で、歌舞伎や能、文楽などをパリの劇場で一挙に観られる期間だったようです。折角の機会なので色々全て観に行って、その中でも私にとってはお能がいちばん凄かった。腹に来るというか、体にガツンとくる。ビリビリきてかっこいい、とにかくなんだか私はこの日本の文化が誇らしいと思えました。その頃たまたまコーポリアルマイムの創始者のエティエンヌ・ドゥクルーと、お能の創始者である世阿弥を比較研究している大学院生の論文をどこかで見つけて読んだこともあり、だんだんとお能が自分の中でリンクされてきて。

あとは、その1997年のパリ滞在中に、この方も稀有な20世紀の演劇人ですが、イェジ―・グロトフスキーの講演を観に行って…多分彼の最後の国際的な講演だったのかもしれませんが、その時に映像でも彼のリサーチ内容や、カンパニーによる作品を観る事ができて、なんというか、アジアへの古典回帰というか、ヨーロッパが失ってしまった物をアジアの古典の中に見て、羨望しているようにも感じてしまい。それを持っているアジアの古典芸能に興味を持ち始めた、というのもあると思います。まあそれもあり、その後大学3年生の夏休みにお能を習ってみたいと、習えるところを探していたところ、トーマス・リーブハート先生も短期間トレーニングを受けた事がある金剛流の宇高通成先生を紹介され、通成先生が主催されるINI(The International Noh Institute国際能楽研究会)というところで、1998年に初めて習いに伺ったのがお能との出会いとなります。長い前置きになりましたが(笑)

その時は、毎週通ってレベッカ・ティール先生と通成先生に集中的に習い、もちろんIndependent studyとして、大学の単位にするために毎回レポートを書いて、あと自分用のノートを別に買ってジャーナルも書いていたのだけれど、たまに読み返すと今でも面白いです。その期間には、お能も観られるだけ観て。能は動きも面白いけれど、謡いの表現が新鮮で。コーポリアルマイムにはボーカルを使った訓練はあまりなくて…レサック等の訓練は少し経験したけれど。

−レサックって何ですか?

宇高 演劇のボーカルをうまく使うようにするためのトレーニング法で、大学の演劇の授業で少し習いました。(「レサック・マドソン共鳴強調訓練」その人の持つ声帯の機能を最大限に生かし、無理のない発声法を身につける訓練法)でも、謡いを謡うような表現はなかったし、その分謡いの訓練が私には新鮮でした。ただ、その集中講座では一曲習うのが精いっぱいで、2ヶ月程の集中お稽古の後には夏休みも終わり、またアメリカの大学に戻りました。
4年生の卒業制作発表の時に、私はコーポリアルマイムの小作品をいくつか作り上演したのですが、指導教員から、お能を習ってきた成果も入れた方がいいと言われ、京都で習った「熊野(ゆや)」という仕舞を披露しました。「熊野」をカリフォルニアで舞うということで、友人の男子学生3人をスカウトし、熊野の謡いのテープを聞かせたりして、謡いをお稽古してもらい…もちろん能の謡いは初めての3人に。

−皆日本人だったんですか?

宇高 2人日本人で1人はスペイン人でした。それで地謡を3人に謡ってもらい仕舞をやって。その時のビデオが残っているのだけど、地謡は中々上手でよくここまで出来たな、と。私の舞は反対方向に回っていたり、所々今見るとめちゃくちゃなのだけど、そのお能の仕舞の上演が異様にウケがよかったのを覚えています(笑)

大学を卒業する際、そのまま大学に残りコーポリアルマイムの研究を続けるか、日本に帰国するか、選択できる状況になったのだけど、その時、お能をもう少し習いたいと思いました。私のコーポリアルマイムへの愛はすごく強く、様式自体がまだ進化の途上だけれど、その進化の中での一つの足跡になりたい、という思いもありました。このコーポリアルマイムを進化させるために私に何ができるのだろうと考えた時に、お能から何か得られるものがあるのではないか、と。すごく簡単に考えて(笑)。それもあって、お能をもう少し勉強してみるのも一つの方法かもしれないと、帰国して両親の別宅がある横浜に住む事になりました。

しかもちょうどその年から、京都で短期間お稽古を付けて頂いた宇高通成先生が、横浜でも教え始めるというニュースを聞き、すごいタイミングだなと。仕事をしながらお能の稽古、という生活が始まりました。お能の先生によっては、特に趣味で始める生徒には、とにかく褒めて伸ばしていくのが主流かもしれませんが、私が習った通成先生は情熱的、というか大分厳しめで、お素人さん相手でもしっかりと教えて下さる方で。

学び始めてよくわかったのは、これはそう簡単にはコーポリアルマイムに役立つヒントをお能から得るのは無理だという事でした(笑)。コーポリアルマイムに生かすと言っても、なんだかお能は学べば学ぶほどよくわからなくなってくるというか。数年学べば何かを得られるというものでもない、という事に早々に気づき。でも続けていきたかった。それで3年程横浜で仕事をしながら、お能の稽古を続けていたのだけど、その後大学院に戻り修士号を取りたいと思い、京都造形芸術大学に舞台芸術学科ができたという事を知って、コーポリアルマイムとお能の比較研究ができればと受験しました。担当教員の太田省吾さんは劇作、演出家だけど、入学前に相談した際、「何やってもいいよ」と言ってくださって。それと共にお能の先生は京都が本拠地だったので、横浜よりもたくさんお稽古にも行けるし、本格的に稽古に集中する事もできるな、と。

−同時並行してやって行ける時間と環境が整ったわけですね。

宇高 はい。でも担当教員である太田さんは劇作家・演出家だったので、演出の経験もさせて頂きました。
その後師匠よりお能の師範免状を取るかと言われて、取る事に。師範免状を取り、公益社団法人能楽協会に所属すると、能楽師としての仕事ができるようになります。その能楽協会名古屋支部の金剛流は、女流能楽師の方が多いという事で、京都支部よりも名古屋支部に入った方が活躍できる場もあるだろうからと師匠からのアドバイスもあり、名古屋支部に入会させて頂きました。

今現在もずっと学びの途中ではありますが、毎回、お能のライブ感というか、一期一会と言いますが、舞台に立つ能楽師全員がその1回に全てを懸ける感というのがすごくて。それぞれの役割の役者が全身全霊で一つの物を作り上げているので、舞台の上ではほんの少しでも気を抜いたらすぐにわかります。能楽協会に入りたての時に、舞台に作り物(舞台装置)を運んで出ることがあって、どんな時も詳しい説明や方法を教えられる事なく「はい、やってみて」とやらされることは多いのですが、その時は作り物を置く際に、あまりスムーズにできず…。
すると、その作り物を置いた後ろに座っていた老齢の大先生が、舞台が終わってすぐに、一番の下っ端の私のところにわざわざ来られて「あんな置き方、全然駄目だよ!」と言われて、とにかくドカーンと怒られました。
でも、わざわざ叱って下さった事が本当に有難いというか。能に対しての向き合い方を改めて考え直した、というか、気を引き締める事ができました。お能は舞台芸術として完成した上で650年以上続いてきているので、その分学ぶ事もとても多く、始めてから20年以上を経た今も、まだまだ知らない事もたくさんあり、一生稽古、一生かけても学びつくせないものかと思います。

−プロにならない方はそういう現場には関わらずにお稽古だけを継続するっていう感じですか。

宇高 舞や謡いのお稽古をして、発表会などでお稽古の成果を発表する事もあります。お上手な方もたくさんいらっしゃいますし、舞にしろ謡いにしろ、どこまで掘り下げて表現していくかは人によって違うと思います。お能は動きなども一見すごく抽象的ですが、実は意味のない瞬間は一瞬たりともないんです。活躍されている先生方はそこを詰めて、詰めてやっていらっしゃる。
ただ、一期一会の舞台の上でしか学べないことも沢山あると思います。女流能楽師は舞台に立てる機会が少ないから、肌で感じられる機会が少ない事も事実です。

−女流能楽師の歴史はそんなに古くないんですかね。

宇高 明治以降にノーブルな子女たちの教養、花嫁修行のような形で女性もお能を習い始めたようです。白洲正子さんは有名ですよね。プロの女流能楽師は戦後に初めて誕生し、その後少しずつ増えてきたようです。私は金剛流に所属していますが、シテ方でも、観世流や宝生流にはもっとたくさんの女流能楽師の先生方がいらっしゃいます。金剛流でも私の先輩には50〜70代の女流能楽師の先生方がいらっしゃいますが、きっと状況的にはもっと厳しい時代を経てきたと思いますし、なかなか思うように学ぶ機会が与えられない中でやって来られたと思います。

開拓者のように、その先生方のおかげで私はもう少し学びやすくなっているのだろうなと、感謝の気持ちは大きいです。舞台に立つという実際の経験が少ないと、いつまで経っても師匠のみに習うという感覚でしかいられないというか。男性だと、大学生くらいでもどんどん本番の舞台の地謡に入らせてもらえるし、その現場の臨場感の中、学んでいく事もできるように思うけれど、女性だとそれは中々難しいようにも感じてしまいます。でも、そんなふうに思っている事が既に女性という立場に甘んじているのかもしれませんが。

−そういえば以前お能の「道成寺」のときに楽屋は女人禁制だと聞いたんですけど、これは演目によって変わるんですか。

宇高 「道成寺」と「翁」は今も女人禁制と聞いています。翁は神事に近い曲なので、元々はシテを演じる能楽師はある一定の期間、身の回りの世話も女性にはさせず、精進潔斎をして臨むものであったからと。女性は月の物があるので、穢れているという発想ですよね。でもあとは江戸時代の影響が強いようにも思います。江戸時代、武士の世で女性の地位は低く、またお能はその時代に式楽(しきがく。儀式に用いる歌舞のこと。主として江戸幕府に於ける能)になっていますし。

−ということは女流能で道成寺と翁はやらないんでしょうか。

宇高 いえ、女流能楽師の方も道成寺など演能されています。金剛流の女性の先生でも、道成寺を披かれた方はいらっしゃいます。でもご本人はシテだから、その他に女性の方が楽屋に入っていたかはわかりませんが。男性だけだったかもしれないですし。どうだったのでしょうね。ただ、翁は今でも女流能楽師の方がされたというのは聞いた事がないです。まあ最も、翁は特別曲なので、全ての能楽師が演能できるわけではないですが。

−うーん、むずかしいところではありますね。

宇高 でも、なんだかおもしろいなあ、と思ってしまいます。女だからできないという事があるというのが。今まで自分が女だという事は、何かを学ぶ上でそこまで気にしていなかったし、気にするような状況にもいなかったのでしょうが。お能の世界に入って初めて、学びの場で女としてのアイデンティティに向き合ったような気がしました。

−演じる時の役が男性のときも女性のときもあると思うんですが、そういう性別の違いって動きや声の出し方を変えたり、感覚的に変わったりするものですか?

宇高 動きや型として女性だったらこういうふうに足を運ぶとか、男性だったら強くとか、型の違いも謡い方の違いも役によってもちろんあるのですが、そういう意味では私は逆に、お能の表現自体はジェンダーレスだなぁと思ったりもします。例えば男の先生がすごく可憐な若い女性の役をやる時も、裏声を出すわけではないので、男性の低い声がベースでの役の声ですし、どう考えても女性ではない…、と特に初めて観る方などは違和感があるかも知れません。でも、声の高さや低さに関係なく、最終的にその役は可憐な女性以外の何者でもない、と魅せる事ができるのがお能という舞台芸術であり、お能のすごいところだと私は思います。例えば、歌舞伎は声色を変えてもう少しリアルに演じられるけれど。

−そうですね。

宇高 お能の場合は裏声を使ったり、声の高さをキャラクターによって過度に変えるという表現ではないんですよね。そう考えると、実はすごくジェンダーレスだし、お能の様式に則って良い物が為せたら、例えば弁慶の役で女性の声でも、最終的にそれが弁慶以外何者でもないように見えたらそれでよいのでしょうし。すでに演出やテクニック全てがそのようになっていると思うんです。だから女流能楽師でも、どんな役でもいい表現を演じられる可能性はきっとあるのだろうなとは思っています。

−お能の中での「演じる」っていうのは一般的な演劇的な演じるとちょっと感覚が違うような気がします。今のお話を聞いてると。

宇高 面白いところだと思います。例えば、ある役を自分が演じようとする時、その役に見えるように演出したくなると思います。でもそれをやろうとすると、びっくりするくらいやりすぎになってしまうというか。すごく控えめに、だけどここは匂わせたい、というような工夫はするのですが、そのような工夫が自分が思っている以上にやりすぎに見えてしまう。たまに映像で自分の演能を観ると、とても落ち込みます(笑)。工夫の跡が見えて、このようにやりたい、という思いのようなものが見えて気持ち悪い。それでも表現の上で工夫は必要です。とても難しいですね。
さらに「装束と面」という存在が大きくて…それらにとても助けられるわけなのですが、使い方がまた大事で、そこがまた難しいところでもあります。お能は仮面劇なので、面を掛ける、という事で普通のお芝居とは違ってきますね。やはりどちらかというと、自分自身の表現をするというよりも、自分が依り代になるような感覚の方が近いのではないかと。しっかりとした依り代になるために芸を磨き、装束や面の力を借りる。自分自身が演じている、表現しているわけですが、どこまで自分自身を消すか…「消す」というのとはまた違うかも知れませんね。

そのような感覚は禅にも繋がってくるのかもしれませんが、コーポリアルマイムもそれらに近かったように思います。自分をいかにエンプティにするか。そして神を降ろす、というようなステイトを演じる時に得ようとする。それらの近似性を感じた時に、私はすごく面白いと思いました。今だにまだ難しく、我(が)が残ってしまいます。でもそうではなくて、依り代になる方向に行くのが良いという事がわかってきて、そのために訓練と工夫をする。その工夫というのは自分の中から出てくるものだから、我も出てくるわけですが、最終的には依り代を目指すと言う事でしょうか。無色透明な、依り代とでも言いますか…

−おもしろいですね。何かを表現するって、届くようにわかるようにやればいいように思うけど、そうじゃなくてどうやって自分を「控えて居るか」みたいなとこがミソというか。でも何もしてないわけじゃなくて。

宇高 工夫した上で最終的にやりすぎないところに持っていくというのはすごく難しいと思います。でもそこまでしないと観ている人の「能動」には届かないのだと思います。観客に能動的に観てもらってこそのお能というか。
「能楽」という名称は、「散楽」から「猿楽」という名前の変遷を経て、明治以降に能と狂言を総称し「能楽」となり、「能楽」の能は能力の能からきているとか、由来は色々と言われていますが、私は観客が能動的に観るのを楽しむという意味で「能楽」である、とある時勝手にふと思いました。

−確かに自分が観客のとき、全部渡されてしまう表現に対しては単に享受するしかないみたいな感じになる。それがだめなわけじゃないし、エンターテイメント的に受け取って満ち足りることもあるんですが、本当に舞台芸術や他の表現に求めるものはそうじゃなくて、自分がどうそれに対して動かされるかってことの方が重要だと思ってますね。

宇高 絵画に出会う時なども、「へーきれいだなー」で終わるよりも、もっとそこに自分が何かを見ようとした時に、その人の人生が変わったりするのではないかと。観る人の能動が繋がった時に何かが起こると思っています。私がそうでしたから。コーポリアルマイムもお能も、それくらい自分に衝撃を与えるものであり、これらは人を豊かにするものだと強く思いました。そのような出会いを提供できる一人になれたらすごいな、と思いこれらの表現に取り組んでいるところはあると思います。もちろん簡単ではないですが、誰かの中に、豊かさに繋がる衝撃の種を植え付ける事が出来てこその、表現なのではないかと信じています。

宇髙春奈(うだか はるな)

1977年3月20日、東京都生まれ、京都市在住
能楽シテ方金剛流師範、公益社団法人能楽協会会員(名古屋支部)。1998年入門、宇高通成師に師事。
米国Pitzer大学にて文学士号(ムーブメントシアター)、京都造形芸術大学大学院にて芸術修士号取得(舞台芸術)。
2006年より6年間、京都精華大学人文学部シナリオ技法(演劇)の講義を担当。名古屋での若鯱能及び、定例公演に出演他、海外での能楽公演、及びワークショップの通訳兼アシスタントを務める。
現在は、観光と文化を繋げようと、京都市認定通訳ガイドとしても活動する。

photo©Stéphane Barbery