Katastroke interview9

ジャワ舞踊 佐久間ウィヤンタリ 

2020 /7/25 聞き手 増田美佳

「Katestroke」photo:金サジ

ジャワ舞踊
インドネシア ジャワ島の宮廷舞踊。起源は5世紀〜6世紀と言われる。華やかでにぎやかなバリの舞踊とは対照的に、ジャワ舞踊は抑制された「静」の動きを特徴とし、水が流れるように全ての動きが途切れることなくガムランの演奏に合わせて踊られる。宮廷における舞踊の機能は王の権威を高めることにあり、舞踊は神に祈りを捧げる行為とされ、踊り手は人間的な感情を表現することはない。型は3種類で、女性舞踊のプトリ(putri)、男性優型のアルス(alus)、男性荒型のガガー(gagah)に分かれる。いずれも踊る際は歩く時に体が上下に揺れないこと、頭の高さを一定に保つこと、上体は常に正面を向き、方向転換する時も体はよじらないことなどが要求される。

−まずウィヤンタリさん(以下愛称イウィンさん)がジャワ舞踊を始められたきっかけについて聞かせていただけますか。

イウィン 父が芸術高校で働いていて、私は小さい頃からそこの踊りを習う生徒さんたちを見ていて、踊りはおもしろいなと思っていました。その時すぐに習いに行くとは考えてなかったけれど、6歳くらいから真似して踊ったりはしていて、実際に習い始めたのは8歳、小学校2年生からです。その後もやっぱり踊りが好きで習い続けて、高校も芸術高校に行きました。そしてジョグジャカルタ芸術大学に進学して、卒業してからはプロになってあちこち踊りに行っていました。私は踊るときにすごく幸せを感じるから、だからやめないわと思って。

−イウィンさんのお父さんはジャワ舞踊の先生なんですか?

イウィン 普通の職員です。

−お父さんに教わったのかと思いました。ということはイウィンさんが踊りを最初に習ったのは教室の先生なんですね。

イウィン 習いに行ったところにはいろんな先生がるんですよ。いろんな種類の踊りを教えていて、でも小さかったからどんな先生でもとにかく真似して踊っていました。それで高校生の時にロモサス(サスミントディプロ K.R.T Sasmintadipura*)という大先生について、それ以来ずっとそのバージョンで踊っています。

*プジョクスマン舞踊学校の創始者。ジョグジャカルタの古典舞踊の発展に大きく貢献した

−高校から踊りの専門のコースがあるんですね

イウィン 高校ではずっとジャワ舞踊でした。大学からはいろんなインドネシアの舞踊を習ったので、色々踊れるようになりました。

−インドネシアでも地域によって踊りの特徴も変わると思うのですが、ジャワ舞踊の特徴はどういうところにありますか?

イウィン ジャワ舞踊は特にリズムがゆっくりしていて、ゆったり踊ります。だからバリ舞踊を習った時には慣れるまでちょっと時間がかかりましたね。リズムが全然違うし、また東ジャワ、スマトラ、西ジャワ、どこの踊りもリズムが違うんですよ。でもごちゃごちゃにもなってなくて、とにかくそれぞれ勉強して、この踊りのコンセントレーション、というふうに切り替えるので全然大丈夫でした。まだ若いからねその時 笑。今からやるのは難しいね。

−でもいろいろ踊ってきたけれどイウィンさんはジャワ舞踊をベースにされたんですね。

イウィン はい。ジャワ舞踊が大好きです。特にジョグジャカルタバージョンがいちばん好き。

−ジャワ舞踊を始める時最初に教わることはなんですか?

イウィン 細かくは覚えてないけれど、私が習った先生たちは歳をとった方が多かったから、優しかったです。特に私が習った先生は怒ったりはしなかったから、自分で気をつけないといけないところもあったけれど。ゆっくり話して、体の位置を直したりしてくれました。

−例えばバレエだと最初にバーレッスンとか基本的な動き方を練習しますが、ジャワ舞踊の教え方はそういう訓練はしないんですか。

イウィン ジャワ舞踊も一緒ですよ。基本のポジションはこんな感じと覚えて、やっぱり膝をしっかり曲げて腰を落とすこと、それは始めにやっていきます。そこから足の運び、手の動きと順番に覚えていきます。

−イウィンさんが踊りを習っていく途中で大変だった思い出はありますか?

イウィン 私、大変だったことあまりなかったと思いますよ(笑)
初めから楽しかったから大変ではない。今までどんなことも私はがんばるしかないと思ってやってきたから。踊りだけじゃなくて今までのいろんなこと。頑張るしかないわって。

−それはもともとそういう性格だったのか、踊りを始めてからそうなったのか

イウィン 性格かも知れない。特に最近は私はそんな感じやなと思って、がんばり屋さん 笑。時々しんどい時もありますよ。頭とか心とかね。でも特に踊りのことは諦めない。できないことがあったらどうやったらできるかって。
新しい作品を作るときに自分の作品だったらもちろん自分で決めて、友達に見てもらったり相談してできるけれど、イベントのために他の人とコラボレーションする時は合わせるのがむずかしいこともあって、そういう時は大変なこともあります。

−ジャワ舞踊で創作をするというのは、伝統的な型をどういうふうに新しい踊りにして行くんですか?

イウィン 私だったら、ジャワ舞踊のかたちを完全に崩してしまわないで、手や足の開き方、分量を変えたりしますが、ジャワ舞踊っぽくは見えると思います。

−イウィンさんからジャワ舞踊は「水が流れるように」動いていくと伺ったことが印象に残っています。

イウィン 例えばスリンピ ブダヤという踊り(4人で踊る女性舞踊)は水が流れるように踊るけれど、ゴレッではアクセントがあった方がエネルギッシュに見えるし、おもしろい。でもスリンピとかにはそういうエネルギーはいらないから、とにかくずっと流れて止まらない。アクセントがないことが大切です。

−踊りの曲によってポイントも変わってくるんですね。

イウィン そうですね。ただ新しい作品だとずっと流れ続けているではおもしろくないから、時々アクセントを入れたり工夫をしますね。

−今インドネシアではジャワ舞踊は若い人たちも踊られているんですか?日本より伝統的な歌や踊りが生活に近い環境なのかなというイメージはあるんですけれど

イウィン ジャワでは踊りだけじゃなくて楽器や歌も一緒に習う方のが一般的ですね。私が小さい頃、踊りを習う人はそんなにたくさんいなかったんだけど、最近若い人がたくさん習うようになりました。学校の授業に伝統舞踊が取り入れられたからだと思います。そしてこの頃はコロナの影響で皆習いに行くことができなくなったんだけど、zoomで練習できるように政府から支援があったので、それはすごいなと思いました。

−日本でも学校でダンスは必修化されたんですけど、学校ではヒップホップとか、そういうのをやっているところが多いようです。

イウィン インドネシアでは住んでいる地域の踊り、ジャワではジャワ舞踊、バリではバリ舞踊を教わります。

−イウィンさんはいくつくらいの時日本に来られたんですか?生活も踊っていた環境もかなり変わったと思いますが

イウィン 28歳の時ですね。結婚して1週間後に日本に来ました。すべてのことが変わりました。踊りに関しては、やっぱりインドネシアの方が踊るチャンスがたくさんあって、日本ではどうしても少ないですね。だから向こうの人たちが羨ましいと言えば羨ましいけどね。

−今イウィンさんは教室で教えられていますが、日本人の生徒に教えていて、伝わり方が違うところなどは感じますか。

イウィン いや、同じですね。私はたぶん教えるときちょっと怖いと思います。それはなぜかというと生徒さんたちには、私のようになってほしいからです。厳しいのはそのためで、生徒さんたちが楽しく習いに来るだけじゃなくて、勉強したいんだったら、ちゃんと上手になるまではやってほしいんです。上手になるように、それしか考えてないですね。私は最近ね、歳をとってきて体が疲れやすくなりました。私が踊れなくなったら、生徒さんたちに代わってほしいんです。

−年齢を重ねて体が変化してくるということ、イウィンさんは高校生のお子さんが1人いらっしゃいますね。妊娠、出産は大きな変化だったと思いますがその時期のことで印象に残っていることはありますか。

イウィン 子供が生まれて何ヶ月か後には教えに行ったりしていましたが、とにかく子供が大事と思って、子育てを優先して集中していました。大きくなってきて、小学校の5、6年生になったくらいで、また踊りの方に意識を傾けて行きました。家で留守番もできるようになったから。でも子供のことがとても大好きで愛してるからね。主人がいないときは平気だけど、子供がいないとすごくさみしくなる。主人より子供を愛してる笑。

−なるほど 笑。イウィンさんは誰かの踊りをみていいなと思ったり、感動したり、印象に残っているものはありますか。

イウィン インドネシア人ではいます。この人すごいなと思うダンサーや考え方がグローバルな人。日本人のダンサーをあまり見ていないかも知れません。

−イウィンさんはこれまで日本のコンテンポラリーダンスを見る機会も何度かあったと思いますが、どういう印象ですか。

イウィン そうですね、たぶん私はついていけない、入れない。ちょっと考え方が違うのかも知れません。例えばインプロビゼーションがありすぎるものは、もう少しポイントを決めてその間にインプロがある方がいいと思ったりします。
でもこの前「カエルケチャ」というイベントの時に音楽家の野村誠さんがピアニカですごくおもしろい音楽を演奏していて、その時私は野村さんの後ろでオートマチックに踊っていましたよ 笑。この曲おもしろいなと思って。「すみません私勝手に踊って」言ったら野村さんも怒ってなかったからよかったです。

−イウィンさんはいい音楽とかを聞くと勝手に体が動いてしまうんですね。さっき自分が歳をとったら、生徒さんたちに代わって踊ってほしいと仰っていましたが、イウィンさんがこれからやってみたいと思っていることや目標にされていることはありますか。

イウィン 主宰するジャワ舞踊グループ「リンタン・シシッ」は今年20周年を迎えました。ただ今年はコロナで何もできなかったけど。来年は生徒さんたちのレベルをもう少しアップさせて、それと私自身もこの20年でそこまで規模の大きい公演をやっていないので、20周年の少し規模の大きい公演をやりたいというのが今の目標です。

−イウィンさんの日本での活動はインドネシアでも知られているんですか。

イウィン そうですね、時々向こうで活動している人たちのインスタライブがあるときなどに話したりします。お互いの今の近況を報告しあったり。どこでもそうだけど、コロナがどうなるかわからないから、皆悩んでるよね。何したい、何する、何ができる。家には踊りの衣装が本当にたくさんあるから、いつ使えるかな。使わないとと思うね 笑。だからイベントを作らないといけない。

−ジャワ舞踊を発表する場所として、一つ劇場がありますが、公演をする場所としてやってみたいところはありますか。

イウィン ジャワだったらプンドポ(壁面がなく屋根と柱のある、踊りやガムランの演奏をするための場所)があるけど日本にはないからね。何年か前に大阪の能舞台で踊ったことがあって、それはプンドポに似てるなと思ってなかなか良かったけれど、能舞台はルールが厳しいから、足袋を履かないといけないし衣装がね、格好が悪くなるでしょ。ジャワ舞踊の衣装と合わないから。厳しくなければ能舞台でやりたいとは思います。あとは神社の入り口なんかに舞台を作れたりしたら素敵ですけどね。

−確かに、少し外の空気に触れる場所の方が合うように思います。

イウィン 美佳さんはジャワ舞踊を何年になりますか。

−3年ですね、なかなかうまくなりませんが。

イウィン どんな感じですか。

−私はジャワ舞踊を習うまで形のある踊りを習ったことがなかったんです。日本のコンテンポラリーダンスはバレエなど西洋の踊りのテクニックをベースにしたものが多いのですが、それにあまり馴染まなかった。でも日本人だから日本舞踊をしようっていうのも違って。踊りを続ける中で型を踊ることにようやく興味を持てるようになって、自分が惹かれる型というのはどういうものだろうかと思っていたんです。そんな時期に佐久間新さんに出会って、最初はジャワ舞踊のレッスンではなかったんですが、ジャワ舞踊のエッセンスを用いたワークで揺らぎが大事とか、そういう感覚を先に知って、踊りの型ってもっと硬いものだと思っていたけど、本質的にはそうじゃないのかもと思ったんです。もちろんポジションの厳密さはありますけど。もっと知りたいと思って始めました。ちょっとずつですがジャワ舞踊の踊りの感覚というのが自分に染み込んで行っているのがわかります。もっと型に入っていくといろんなことが起こるんじゃないかなと思っています。一生かかる実験ですが。

イウィン 私もジャワ舞踊を教えていて、生徒さんたちが教わることがストレスになるのは良くないと思うけど、のんびりしすぎるのも良くないから、厳しい先生が時々行く方がいいでしょう笑。

−では最後に、これからもイウィンさんが年を重ねながら踊られていく中で、このようにありたいとイメージされるものはありますか。

イウィン 私は自分のスタイル、ウィヤンタリスタイルを作りたいです。まだ先生から教わったことがベースにあるから、自分のスタイルの作りたい。だから9月に出演するKatastrokeの時もそれを作るきっかけのひとつなると思います。

佐久間ウィヤンタリ
中部ジャワ、ジョグジャカルタ生まれ。幼少の頃より舞踊を学ぶ。インドネシア国立芸術大学舞踊科卒。ジョグジャカルタ州舞踊劇フェスティバルで最優秀コレオグラファー賞など受賞多数。2000年からは日本に滞在。舞踊グループリンタン・シシッを主宰。2006年には、インドネシア政府よりジャワ舞踊の普及に努めたとして、功労賞を受賞。国内外のアーティストと共同制作を展開中。これまでにフランス、スイス、最近では、オーストラリア、韓国で公演を行なっている。

「Katastroke」photo:金サジ