穴とドーナツと私

donuts

いつもかばんに入っている文庫本は、なんとなく先に読んだ本などに導かれて次の本に出会うけれど、その流れがふと途切れて読むものが見当たらなくなった。読みたかった本や人に薦められたものがあったはずなのに読書迷子になることがある。かばんに本が入ってないと落ち着かないので家にあった世界の貧困について書いている本をかばんに入れて出掛けた。
用事と用事の隙間にできた1時間半くらいの空白に、どこか適当な店を見つけて入る。数十分外を歩くだけでもう冷えが来て温かい飲み物を胃に入れたくなる。

貧困の本にはアフリカの食べるものも着るものもない村で支援活動に訪れた日本人が、もともと何色だったかわからないTシャツ1枚の少女に着替えをと合う服を探して、日本から届いた古着の物資を開けてみると目に付くのは、お誕生会とか発表会の子供用のパーティードレスや、入学式、参観日用の母親のスーツ、といった持ち主にとって不要となった普段着としては役立たない衣類だったそう。飲み水も十分にないカラカラの日照りの下で子供用ドレスのポリエステルサテンのピンクやブルーがてらてらしてレースに縁取られ、照りつける日差しにスパンコールが反射してきらめくのを想像する。傍には垢色に染まったそれも支援物資で届いたであろう大きすぎるTシャツをまとった枝のような少女がいる。

飢餓には2種類あって、カロリー不足でやせ細り目がぎょろっとした骸骨の形相になるのがマラスムス、もうひとつタンパク質不足でお腹が突き出て顔や手足も浮腫んで太ったように見え、人種に関わらず髪が金色になるというクワシオコル、というらしい。そこを読んでいるとき私はミスドにいて、フレンチクルーラーかオールドファッションで迷って、子供の頃好きだった甘い黄色い粒々のゴールデンチョコレートなどを横目に、最終的にオールドファッションに落ち着いて、かじりながらフレンチクルーラーの軽やかさにやや未練を感じつつ、カフェオレを飲んでいた。ミスドのカフェオレはおかわり自由なので空いたカップを差し出せば温かいカフェオレが何杯でも注いでもらえる。カフェオレ色の水を飲んでお腹を壊して死んでいく人びとのことが書かれている。カフェオレでお腹が暖まった、免れた自分にあらかじめ含まれる罪が漂ってくるのを嗅ぎながらドーナツを食べ終わる。
ドーナツには穴がある。穴は実体ではないけれどドーナツを食べてしまうと穴もなくなる。穴はドーナツをドーナツたらしめ、また穴はドーナツに支えられ穴として存在していた。
カフェオレをおかわりした。

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