クートラスの夜

coutelas

音楽家の友人にすすめられて京都の大山崎山荘美術館にロベール・クートラスの絵を見に行った。
クートラスは1930年パリで生まれ、ユトリロの再来と呼ばれ画商もついた画家だったけれど、風景などの売れる絵を描かなければならないことに苦悩して美術界から離れ貧しい暮らしのなか絵を描き続けた人。

初期の油絵、古典技法で描いた板絵、ガッシュで紙に描いた絵。クートラスが古城を持っている友人を訪ねたときに、そこに掛かっていたもう誰なのかわからない古い肖像画の並ぶ様子に心を惹かれたことをきっかけに、印刷屋でいらないポスター紙をもらってきて架空のご先祖さまの肖像画を何枚も描いたものや、街で拾った厚紙をまさにちょうどiPhoneくらいの大きさに切って下塗りをし、油絵で描かれたカルトと呼ばれる小さな絵がたくさん並んでいる。ひとつひとつは小さいけれど、それを20枚くらい縦横に並べて構成したものもある。カルトの隣り合った色柄のそれぞれは、関係しないまま関係を見出される兆しをはらんでいて、まるで占われる前の予感のままに置かれ、既知と未知のあいだで読み解かれない張力が維持されているようだった。クートラスが心を寄せていた古典絵画やイコンの面影を残したカルトには、その辺に落ちていた紙に描かれたとは思えない経年のトーンと神聖なものが呼び込まれ、一枚一枚に描かれたモチーフはどれも密やかな遊びに満ちている。大きく引き伸ばして描けば売れると人から助言されても聞かなかった。それらのカルトには「僕の夜」というタイトルが付いている。

何に対してどう祈らねばならないかは具体的に明かされないのに、祈る必要だけ抱えている人間のまっとうでささやかで、そう見えて根底にあるものは苛烈な日々の積み重なりを思った。祈る手を合わせるとき触れるものはなにか。
クートラスは55歳で自宅兼アトリエのアパートで死後発見された。最後の恋人は日本人女性だったけれど、その人とも距離を置きながら付き合っていたようで、恋人でさえ亡くなったことを人づてに聞いて知ったという。
出来合いの神さまでは足りなくて誰かを求めても埋まらない、どうしてもひとりでやらなければならないことがある。
クートラスは古城に掛かる古い肖像画を見たときに、それが誰であるとか何のために描かれたという目的も剥落しつつあってなおそこに人物の絵がある、ということの永遠性に魅せられたという。それは転じてクートラス自身が自己の有限性に強く触れたということではないだろうか。この画家はどんなモチーフよりもそのことに面と向かって描いていたのではないか。手の届かないほどの過去に筆先を向けることで現在を撼わそうとするかのように。絵を見ながらそうでなければ結晶しない個の純度の痕跡だと感じた。「僕の夜」、昼ではなくて。夜、暗色、暗転、暗くしないと見えないものがある。

クートラスのこととは関係ないけれど、病を得て余命宣告を受けた後の日々を生きている人の日記を読んでいる。その日記には装飾的に生を賛美することもヒロイズムに酔うこともない冴えた目で、命ある刻々の現在進行形があまりの素面さで綴られている。読んでいると気力や体力が徐々に減衰するなか、病床にあって時間を過ごす命ある状態と表裏の死が鮮明すぎるほど、ただ今ここにあること、にひたすら焦点が合っていくように感じる。命の終わりをすぐ傍に感じるから浮き彫りになるそれは、何より生きているということの常態だと綴られた言葉に照り返されて思う。日々の用事にかき消されて意識にのぼらなくなっていることがあるのを知らされる。
絵を見たことと日記を読んでいるふたつのことは関係ないけれど、私のなかで混ざって勝手に反応し、発酵して糠床をかえすように生きていることに手を入れさせたり、発光してよく見えくなっているものをふと照らしてみせたりする。

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