キノサキにて2

kinosaki2

こんなタイトルを付けているのに志賀直哉の『城の崎にて』を読んでませんというのはやっぱりあれだという気がして後追いで読んだ。
城崎にて、というからには温泉街のことが主に描写されているのだろうと思っていたらそうでもなく、志賀直哉自身の体験をもとに書かれた、生きていることと死についての短い随想だった。
主人公はまかり間違えば死んでいてもおかしくない電車事故に遭い、背中に負った傷の予後のため湯治に来ている。3週間城崎にいたとあるけれど、今回用があって来ている私の城崎滞在も約3週間だった。

いま温泉街に来ている旅行客は、観光で訪れるから数週間滞在することは稀だろうし、日々の疲れを労うくらいでお湯に治癒の効能をそれほど求めてもいないけれど、城崎の歴史の本をパラパラめくっていると、日露戦争のあと城崎に療養所が作られたこともあって、傷病兵やその家族で賑わった時代もあったという。そうやって長期滞在の団体客を迎える機会のあったことは、その後の温泉街の繁栄にも貢献したらしい。いまは特に春休みの若い旅行客で華やぐ通りは、戦地から傷んだ心身を連れて戻った兵隊さんでごったがえした時代もあったのかと思って見ると、賑わいもまた少し違って見える。そしてこの春休み期間とカニシーズンが終わって桜の季節に入ると今度は外国人観光客が増えるという。訪れる人によっても街は風景を変えるだろう。
『城の崎にて』の主人公は事故にあったけれど取り留めた命と湯治の日々を過ごしながら、騒々しい巣の前で静かに横たわる一匹ハチや断末魔でもがく串刺しのネズミ、といった小さな生き物たちの死、死んでいくさまを目にする。不意に投げた石が偶然当たって殺してしまったイモリの死は、偶然生きている自分の生に重なり、自分がイモリのように思えてくる。事故で死ななかった自分のあること、生きていることのすぐ傍に死のあることを感じ、傷を負うそれまでは恐らくもう少し確固たるもののはずだった自分自身の境界がゆらいで、小さな生き物たちの息の喪失や息づかいが入り込んでくるようになっている。湯治という取り立ててすべきことに追いたてられない余白の時間は細やかなものへと視線を誘い、ただ生きているということが賛美に彩られることなく描写されている。『城の崎にて』はそういう小説だった。
志賀直哉が城崎に来て最初に入ったという御所の湯に浸かりながら、生きていることの裸身を思った。

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