春と灰汁

harutoaku

花や新芽の吹く勢いは桜並木や空き地の草花だけでなく、スーパーの青果コーナーに並ぶ野菜も、春キャベツ、レタス、そら豆、新じゃが、新玉ねぎ、花の咲いたブロッコリー、青い葉もの、年中見かけるものも皆どこか活気付いている。そんな野菜の群れのなか何を食べようかと行ったり来たりする。ウスイエンドウが出ているので豆ご飯もいいなと思いながら竹の子がふと目に止まった。
竹の子とは要するに、将来竹林をなす竹の1本になるわけだから、野菜というよりやはり木の部類で、あれだけ背丈の伸びる力が潜在するものを食べるのかと思うとちょっと愉快になってくる。
子供の頃、季節になると必ず一度は若竹煮が食卓にあがった。特にうれしいとも思わず地味なおかずとして柔らかいわかめの絡んだ竹の子を食べていた。けれどそれが毎年繰り返されたから覚えているのだし、何気ないふうに季節の献立があった幸せに気付くのはそれなりに歳を取ってからだったりする。
竹の子は食べるのに手間がかかるけれど、去年は下茹で済みをもらって楽をした。家にちょうど2合ほど残っているもち米を使って、大きめに切った竹の子がごろごろ入ったおこわにしたらさぞ、と想像したらどうしても食べたくなった。それほど大きくない竹の子と傍に小分けで売っていたぬかを買い物かごに入れた。

竹の子の皮を剥く。全部は剥かないで少し残す方が風味よく茹で上がるらしい。竹の子の根元にあるぶつぶつは、ナウシカに出てくる王蟲の目が赤いときを彷彿とさせる。細かい粒の寄り集まりが苦手なのでちょっと気持ちが悪い。茹でる前に半目で見ながら削ぎ落とす。ぬかをお茶パックに入れて水の中で揉み、水を濁らせて竹の子を沈め火にかける。普通の鍋だと下茹でに1時間くらいかかるけれど、圧力鍋だと10分加圧くらいで済む。香ばしいにおいがしてくる。鍋の圧力が抜けた後も4時間ほどそのままにしておく。冷めた頃に蓋をあけて竹の子を取り出し、皮を剥がすと柔らかな白い肌があらわれる。
ほんとうはその後一晩水に漬けておいた方が灰汁は抜けるようだけれど、それを知らずそのまま一口大に切って出汁で少し煮て、冷ましてからもち米と炊こうとした。
出汁で煮たものを味見してから気が付いた。舌がぴりぴりする。どうやら灰汁が抜けていない。もうひとつ食べてみたけれど誤摩化しようがないほどぴりぴりする。せっかく茹でて味まで付けたのに食べられないのは辛いので、リカバーする方法を検索した。
すると同じように悔いている人は世の中にたくさんいて、おかげで解決方法もすぐに見つかった。バターで炒めるとえぐみはほとんど消えるという。さっそくフライパンにバターを溶かして竹の子を炒める。ほどよい焦げ目がついて香ばしさが引き立ったおいしそうな見た目になった。食べてみるとほんとうにえぐみは抜けていた。それで無事に念願の竹の子がごろごろしたおこわができた。苦肉の策で炒めた竹の子はうっすらバターの風味をまとって、もち米の甘みと出汁と醤油と相まって功を奏してもいた。
山菜や野草、春のものはクセや苦味のあるものが多いけれど、目に見える芽吹きの勢いに簡単に御せない力が含まれていることは、花を見ても道草を見ても頷ける。生き物には春に促される受動の力が備わっているように思う。陽気に体がゆるまって肺にたくさん空気が入り血がめぐる。血に促された恋猫の鳴き声が町内に響きわたる夜。

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