急に夏日が続き、油断しているうちに襟ぐりが日に焼けている。
昼間は外に出るのが億劫になる日差しでも、5月は日が暮れると羽織るものがほしくなるくらい熱はどこかにすっと引く。夜の鴨川を散歩していると花のにおいがただよってきた。ジャスミンに似ているけれどジャスミンよりも鼻にまとわりつく甘さはなく、青田の傍で嗅ぐようなオゾンの水っぽいにおいがする。河川敷には白い花をたくさん咲かせたつる植物があちこちに絡みついていて、においはその花の群から流れてきていた。名前を知らない。5月、白い花、いいにおい、で検索するとそれらしき花の写真がでてきて、それがテイカカズラだとわかった。
テイカは定家、百人一首の選者の藤原定家からきている。能の演目になっている藤原定家と式子内親王の死後も捕らわれ続ける恋の物語、『定家』で式子内親王の墓に絡みつく定家の妄執として表現される蔦がテイカカズラだった。
実際そういう物語があったかどうか、史実の上でははっきりしないようだけれど、作り話であってもその由来と背景を知ってからこのにおいを嗅ぐと、振り払うこともできず捕われながらなお匂いたつ心情、というようなイメージに変換されるようになってしまった。においは情景や言葉と結びついて記憶されるから、一度そういう印象がついてしまうとラベルがなかなか剥がれない。
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする」
という式子内親王の歌は百人一首にあったので覚えている。私の命よ絶えるなら絶えてしまえ、長く生きていれば耐える心が弱まって、忍んでいなければならない心が滲んでしまいそうだから。式子内親王は生涯独身を通さなければならない身分だった。ふたりの関係が能の『定家』のようであってもなくても、藤原定家も式子内親王も800年くらい前に生きて京都で暮らしていた。邸宅跡や墓は残っているし、それぞれの詠んだ歌も今日まで伝わっている。今と風景や呼び方は違っても鴨川の流れを見ただろうし、四方の山の四季を眺めて心をうつしていただろう。
「恋せじと せしみそぎこそ うけずとも 逢瀬はゆるせ 賀茂の川波」 三条実継
今は穏やかな川辺に点々と並ぶ恋人たちの姿が見られる。見慣れた景色は見たことのない「ここ」の積層の上にあらわれた今だと花のにおいから知らされた。この風景も800年後には様変わりしているに違いない。800年後の人たちも恋をしたり川辺で会ったりしているだろうか。その頃人間はいるのだろうか。