イヴォンヌ・レイナーというポストモダンダンスの振付家がいる。ポストモダンダンスというのは、1960年代にアメリカで起こったそれまでになかったダンスを創造しようとするムーヴメントで、例えば日常的な動きや、ダンスとして洗練された動きからは逸脱した動作をダンスとして見る視点を持つところから、そういった体のありようをダンスとして肯定し、実験的な作品を上演するという試みが盛んに行われていた頃のダンスのことを言う。既成の美的価値観や舞台芸術におけるスペクタクルを否定し、新しいダンスの可能性、方向性がさまざまに模索され、その中心であったニューヨーク・ジャドソン教会派の代表的な振付家イヴォンヌ・レイナーの仕事に関する展示を見る機会があった。
このイヴォンヌ・レイナーという人は振付作品を作ったり踊ったりしていたけれど、途中で映画製作に移行し、それから数十年を経てまたダンスを作り始めるという少し変わった遍歴をたどっている。今回の展示では期間中に映像作品や本人についてのドキュメンタリーの上映、振付作品のショーイングも行われた。
イヴォンヌ・レイナーの代表的な振付作品は『TrioA』という。どんな作品かというと、高く飛んだり鋭く回転するような技巧的な動きを排した、一見して前後の繋がりのない簡素な動きの連続で構成された数分のダンスで、いわゆる舞踊的優美さはない動作のように見える。けれど日常的な身振りをしているわけではなく、表面張力ぎりぎりのところで維持されたダンス、という感じのダンスである。そのような振りを自らのダンスとして選び取った体は何に抵抗し、拮抗した末にこのような型をあつらえるに至ったのかと本人がソロで踊った映像を見る度思っていた。スペクタクルも躍動も官能も排して踊ろうとしている。平坦なところから、何もなさから、ダンスでしかない裸の状態を。ある人がある場所に生まれて、既にあるものを借りるのではないやり方で、生きるよりさらに生きようとするときの問いを映像の踊りからは感じた。
今回ショーイングで『TrioA』は年齢性別ダンス歴の異なる5人の日本人ダンサーによって踊られた。実際に踊る人の体を見ながら、本人が踊る映像を見ているときは一見して簡素な動きに見えたけれど、これを踊るための踊りの文法を案外要請していることがわかった。ダンス的な動きを排したと言っても足の運び、所々の体の使い方には西洋的なダンスのメソッドの印象が色濃くある。数人のダンサーの動きを同時に見ながら私の目にこの振付けは、バレエの基礎が血肉化された体ほどよく踊られているというふうに見えた。つまり型が要請する動作、方向性が明瞭に体に伝達され、わかりやすい視覚的快楽でなくても、前後の潤滑さを欠いた動きや観客をいないものとして扱うように操作される視線の複雑さを再現しようとするときに生じる緻密な体には蜜の味があり、表面張力に留められた躍動に体が接続したとき、踊りの良さを感じた。けれど同時にそれではそもそも『TrioA』が作られ、踊られた意図とは違うものを見て取って良しとしているのではないかという疑問があった。この振付けが「ダンス」に抗したものがあったはずだった。ポストモダンダンス以前の表現主義舞踊の価値基準から漏れる体の踊る方向を探し、むしろダンスから切り捨てられるような動きから模索されたダンスだったのだとしたら、現在においてこの型を介し観客は何を見るべきなのか。踊り手はこの型から何を踊るべきなのか。動きは一見努力次第で誰でも出来るように見えるけれど、前提としてこの型による制御が作用し拮抗する場としての踊れる体を、少なからず必要としていると思ったのだった。そこに見えない基準を見てしまった。私は観客としてこのダンスをそれに準じて見、差を見てしまった。その差異は必ずしも個々の良さとして受容されるものではなく、振り分けられる良し悪しの感覚が浮上した。ことダンスを見るときに何よりそういうものを見たくないと思っているけれど、そう見えてしまったことは自分でも嫌だった。ある時代のある場所においてセンセーショナルなダンスとして発表されたときの観客の目に見えたものと、それから半世紀の時を経て、それ以降のダンスのありようも知りつつ、さらに別の文化背景をもつ場所の観客の目に見えるものは違うということはどうしてもあるだろうけれど。
いつの時代であれ個々の体は正しく氾濫すべきであるし、ダンスは誰の体にもあると思っている。
イヴォンヌ・レイナーの仕事に触れて最終的に心に残ったのは、徹底的に個であれということだった。それはある時代ある場所で生きる当事者であるということを引き受けるということで、何をするにせよ、その宿命が個である体に映り込むまで何かを作ることを、私はしたい思った。つまり現在を生きる自分の体からダンスを取り出したいという欲望を持った。イヴォンヌ・レイナーの仕事、特に『TrioA』とは私にそういう痕跡を残したダンスだった。