うすしお

usushio

このコラムは時々詩だったりする。なぜ詩になることがあるのか。詩の言葉はこういう文章を書くときと言葉の編成の仕方が違う。散文を書くときは特別な意図がない限り滞りない描写に努めている。詩は違う。ひとつの言葉自体に言葉の行く先をたずねるというか、そういうところがある。詩を読んだ人から何かあったのかと聞かれることがあるけれど、特に何もない。詩は内面の吐露でも、詩的に自己を表現する方法でもない。

詩のきっかけとして出てきた最初のフレーズが、あるときの自分の状態と関わっていたとしても、それより先に続く言葉それぞれの頭が出てくるのを産婆的に手伝うという感覚で書いている。言葉にはすでに意味があり、記号の役割を担っているからこそ、どこか踏みはずす足を伸ばしたそうにしている。そういう言葉の欲望が詩なのだと思う。その欲望に動かされると詩を書くに至る。今回載せた詩のタイトル「うすしお」の最初は、コンビニに並ぶカルビーポテトチップスのパッケージに印字されたひらがな4文字の「うすしお」に詩の萌芽を嗅ぎ取ってしまったせいで、そこから連なる意味とリズムの踊りである。

うすしお

うすしおの

結晶も

見頃を迎え

花盛る

時満ちくれば

自然なかたちで

月をよみ

ひとよひとよに

身ごろをあわせ

縫い代が

表にいずる

君が代を

はいでさわいで

ゆがいて干した

浜風が

塩気を運ぶ

ちよにやちよに

同梱不可の

後ろ前

塩にまじりて

プラスチックは

懐に忍び入り

寝息の波に

よせてはかえす

丑三つ時に人知れず

骨は粛々削られてゆく

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