今年も京都で開催中のKYOTOGRAPHIE 2018のパスを買い、日々隙を見つけては会場を巡っている。
作家それぞれの作品に合わせて会場も選ばれていて、普段足を踏み入れることのない場所を訪れる楽しみもある。毎年同じ会場もあれば、その年だけの場所もある。ギャラリーのように作品展示に特化した場所ではないところも多く、展示される写真以外のものも大いに目に入るし、そこに来た、という体感がはっきり残る。つまり鑑賞者はある場所を訪れるという立体的な体験を伴って写真を見ることになり、鑑賞することが平面的で受動的な行為として完結しない仕掛けのようにはたらいている。場所が持っている物語や雰囲気とそこで写真を見ることが相乗的に作用するようキュレーションされている。
今年は会場のなかに一ヶ所思い入れのある場所があった。
丸太町にあるダークグレイの京都新聞本社ビル。外から見ると普通のビルだけれど、中には地下1階から3階まで天井をぶちぬいた1000平米の印刷工場がある。その工場跡が展示会場だった。そこは父の職場で、父はまさに印刷部勤務だった。
私が子供の頃、休みの日に何かの用事で父が会社に寄ることがあるとき、何度か連れてきてもらった記憶がある。ネクタイを締めて行く職場ではなかったし、夜勤があるため休憩所には畳敷きのスペースがあって、そこでごろ寝している人や将棋を指している人もいた。社宅に住んでいたので顔見知りのおっちゃんも多い。みんな友だちの誰かのお父さんだ。会社に連れていかれるとおっちゃんたちがひやかしに来るので恥ずかしかった。UCCの甘い缶コーヒーで歓迎された。
新聞は2015年までそこで刷られていたけれど、今工場はもっと南に移転して内部の機械はすべて撤去され、全体的にインクで黒ずんだ巨大ながらんどうになっている。そこにまだ印刷機があって、動いていたのを見せてもらったことを断片的に覚えていた。とにかく大量の新聞がベルトコンベアのようなものに並んでダーっと上へ上へ昇っていく様子と、まだ会場内に残っているインクのもっと油気の強いにおい、さらに耳もとで喋らないと声の聞こえないくらい騒音だったことを覚えている。こんなところに1日いたら耳が変になると思った職場に父は18の頃から40年以上、もう現場は離れているけれど今もなお働いている。仕事用軍足は洗っても黒いままだった。工場の壁面に手形や靴跡が残っていて、当然見分けるすべはないけれど、この中のどれかは知っているおっちゃんや父のかも知れないと思ったりしてしまう。当時30代で働き盛りだったおっちゃんたちは皆そろそろ定年をむかえる。全国紙に少し遅れてカラー印刷機が入ったときは、家に届いた新聞のカラー頁の反対面に色が少し付いているのを見て乾燥足りひんなどと言っていた。父がここで稼いだお金で私は学費の高い私立の美大に行かせてもらったのだった。
会場に入ってしばらくはそういう回想の方が浮上して、目の前にある写真を見る目はほとんど遮られていたけれど、しばらく経ってその波が引いてからようやく写真を見ることができた。
アメリカの写真家ローレン・グリーンフィールドの作品は世界各国の富裕層の人々を記録し続けている。読まないのに立派な書庫付きの豪邸に暮らし、高級車、ハイブランドに身を包み、義足もヴィトンのモノグラム、肌のたるみは切って伸ばし、生活も表皮もピカピカになった人々、支払いが滞り建設途中で放置された邸宅などの写真もある。大きく引き伸ばされたプリントとプロジェクションによる写真展示はかなりのボリュームで、黒ずんだ工場跡で富や名声への欲望が余計ギラギラして見える。図鑑のようにそういう人々の生態を見ていく。この会場で戦争や難民や貧困を撮った、たとえばマグナムの写真などを展示したらトゥーマッチだろうなと思う。ローレン・グリーンフィールドの作品はフォトジャーナリズムの側面とアーティスティックさを兼ね備えていて、批評的な視線だけでなく、表面に吸収された人々の様態の過剰さを、被写体として魅力的に捉えていることも感じられる。
今回のキュレーションがおもしろいのは、新聞という世の中をイメージする手がかりになるものを刷り続けてきた廃墟に、富む人のイメージそのままに刷り込まれて生きているような表面の生き様が展示されているということで、それはピカピカの表面なのだけれど、グロテスクに見えてくるところだった。写真にそういうものが捉えられていることが見えてくる。そして単に成金と言って笑えない何かがある。彼らの姿もより良く生きたいと願った結果なのだ。けれどその、より良く生きる、は余剰に潤色されいつしか、より良く、自体が目的となり肥大化した生き物になっている。余りあり、溢れかえる衣食住におぼれる、命に別状のないことの別状という言葉が浮かんだ。