♯通低音とアルフォート

alfort

生まれたときの心臓はピンポン球くらいの大きさで、背が伸び尽くして以降そのサイズはだいたい握りこぶしくらいになるという。ためしに手をグーにして、それくらいのものが肋骨の奥にあるのだと積極的にイメージしてみる。心臓というのが全身に血を行き渡らせるポンプの役割をしていて、たえず収縮運動をしているから音がするというのをもし知らなかったら、この鳴り止まない通低音をなんだと思うだろう。止まれと意思を送っても止めることができない。勝手に動いている。ずっと当然のことのようにリズムを刻む身の勝手で、これを書いている今もたぶん読まれている今も、動いていることがいちいち意識にのぼってこないほど滞りなく、おかげでそれとは別のリズムに乗ったり、動きや線や文字からリズムを生み出すことができている。この通低音が当たり前のようにあることの当たり前でなさを、あるピンポン球くらいの心臓の人から教えられた。その人にとってそれはこれから命がけで手に入れなければならないものだった。
生まれて以来止まったことがなく止まるということをまだ知らない。そういうものに動かされながら、ある日は何本もペン先を潰し、ある日は指先を非日常の方向に反らせ、ある日は電車にゆられて仕事に出かける。仕事先ではチョコ菓子をもらうこともある。箱に入った普通のアルフォートはしかし、30度を超える気温のなか持ち歩くと袋のなかで溶けていることが開けずともわかる。かばんの中で沈没しかかっているアルフォートのせいで帰宅を急かされ、とにかく冷蔵庫に放り込んで、冷えた頃に取り出して封を切る。中からは12個すべてが溶解し、一枚岩となった塊が引き出された。ほとんどの船は見る影もなくチョコの海に沈み、端の方にかろうじて2隻ほどマストの面影を残すばかりだった。割りながら食べて胃袋に埋葬する。沈没アルフォートに限らず、あらゆるものを埋葬するように口に運ぶことにすると体の捉え方は変わるだろうか。墓穴としての体は穴でありながら凸としてあらわれる墓標を兼ね、いちいち戒名などを記さなくてもこの形状には何かしらが反映される。生きることと供養が同期して脈打つ。生きていることに謙虚であるには死の陰影を必要とする、そんなことを考えているうちに五山の送り火も燃え尽きて、私に至るまでの無数のご先祖さま方も帰っていったと思うと、なんとなく空気中の人口密度がガランとしたようだった。

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