小学校に上がる前、ひらがなを本格的に習い始める前までは鉛筆も箸も左手で持っていた。ちょうどその頃引っ越して祖父母と同居になった。茶道の先生だった祖母は左利きは教えにくいというのが頭にあって、ぎっちょはあかんと箸と鉛筆は右で持つよう躾られた。この躾という字は滅多に使わないけれど、ギュッと圧力をかけて身と美を箱詰めしたようだ。利き手と逆で箸を持つなんとも使い辛いあの感じをなぜか強要されたときの飲み込めなさは今でも鮮明に喉元によみがえる。鉛筆を左で持って字を書くと、あ、とか、め、といったひらがなの中でもやや形が複雑なものは鏡文字になっていたのでそれを理由にされた気がするけれど、とにかく利き手じゃないのでまず鉛筆が持ちにくい。その上に新しく文字をインストールしようとするのだから当然混乱する。なんで左はあかんのと泣いて反抗したけれど、納得のいく答えは返ってこなかった。とにかく右で持てるようにならなければならない。とはいえ子供心にも意地があり、じゃあ絵は左で描いてもいいのか言ったら絵はかまへんと言われた。それで私は私の領域をなんとか守れたと思った。それ以来字は右手、絵は左手と分業になり左と右は共存している。箸、スプーンは右、球技のラケットも右だからスポーツで有利なサウスポーは活かせず、カッターは両方、はさみは右、包丁は右、ピーラーと大根おろしは左、拭き掃除は左、というふうに。
右はライト左はレフトと教わったときに、まるで右のライトは明るさや正しさを担っていて、対比でレフトはやや暗くどこか放っておかれた野蛮に感じられ、そうやってライトレフトを覚えた。左手を不浄とする文化圏もあるけれど、少数ながら左の方が優位である地域も世界にはあるらしい。
私にとって左手は育った環境によって教わったり矯正されたりする前の、社会的な部分とは別の、生きてあるものの形式以前の生(き)のものとつながる回路のようにも感じられ、特に左でしか描けない絵はそういうものとして表れるように思う。いくら描いてもうまくならないけれど、とにかく緻密に形でないものを描きたいという衝動がある。
言葉でしか書き出せない流れや意味と音の跳躍、絵にしか描けない線と面と重なりと色と明暗のリズム、私が体にあるこの期間を端々まで踊りたいという欲望によって、来年も生きることへの放蕩を尽くしたい。