駅前の公園で木枯らしでも微動だにしないパンダがほほえむ。駅に降りていくもこもこした人々を見送るパンダのほほえみ。
その向かいにはおでん屋があって、夏には見られなかった行列が寒くなるに連れて伸びていく。
手と唇から油気がうせる。
ガラスマジックリンブルーは冬の青。
落ち葉の道を歩くと朽ちつつある葉のにおいが思ったより甘い。
濡れたイチョウの葉の道を自転車で走るとバナナの皮くらい滑る可能性があるので危ない。と書いておきながらバナナの皮が実際どれほど滑るのかよく知らず、バナナが滑る体感はマリオカート由来だった。
そういえば自転車で走りながらちらっと視界に入った青竹を磨いていたのは、門松になるのだと今気付いた。
乾いたというより凍えた洗濯物を物干から救出。
うちの並びにある呉服屋には見るからにかなり齢のいった猫が1匹いる。
陽の差している時間帯は大概店先のガラスの側にへばりついて温まっている。すでに艶をなくした毛並で関節は骨張っているけれど、絵に描いたように見事な三毛で、引っ越してきた今年の初夏から前を通るたびに毎日見ている。通るたびに呉服屋の看板猫にぴったりだと思う。もともと小さかった体がこの冬に至る一年足らずの間にいっそう縮んできたように見える。このままいけばある日毛皮だけが専用座布団の上にぱさっと残されており、そんな夢をみた。猫の形から猫がぬけていく。だからいつもの場所にその三毛がいることを確認するときは、猫のなかにまだ猫がちゃんといるかどうかを確認する思いがする。温かいときは体を広げてできるだけ陽を集め、寒いときは手足を折りたたんで箱になり、三毛は今日もそこにいる。
まだ寒くなかった夏の終わりのある夜に前を通りがかったとき、三毛と呉服屋の店主が店先のガラス戸を少し開けて外を眺めていた。三毛はもう俊敏に動けそうにないけれど、万が一道路に飛び出さないように店主は軽く三毛の胴体に手を添えていた。きれいな三毛ですねと話しかけた。「この子はもうだいぶおばあちゃんですわ。8年くらい前に裏のガレージに迷い込んできて、その頃からもうだいぶ齢いってたけど、そっからうちの子になって。もともと外の猫やったから外の空気吸いたいかな思て、時々こないして一緒に風にあたってるんですわ。」夏の終わりの夜の空気を店主と三毛はそれぞれの肺で呼吸していた。来年もふたりの夕涼みを見たいと今は結露のガラスごしに小さく眠る猫を見る。
雨は夜更け過ぎに雪へと変わりそうで変わらなかった。