瀧口修造/加納光於「海燕のセミオティック」

海燕_660

2019年の暮、年内の仕事に大体片がつき、年末の家事の波に飲まれる前に一年をねぎらう小旅行ということで富山県へ向かった。いちばんの目的は会期最終日になったが、富山県美術館の瀧口修造/加納光於「海燕のセミオティック」展を観ること。もちろん冬の北陸、寒鰤をはじめとする美味しい魚たちも楽しみのパーセンテージを大きく占めていた。京都から金沢までサンダーバード、そこから乗り継いで約3時間。曇りがちな日本海側だが、運良く晴天で日差しも柔らかだった。

富山駅から美術館までは歩いていける。道幅は広くゆったりしていて、途中に富岩運河環水公園があり、展望台付きの天門橋の流線型が目にとまる。岸辺に馴染むようなかたちでスターバックスがあって、冬休みの親子連れなどで賑わっている。富山県美術館は運河を越えてすぐのところにあった。2017年にオープンしたまだ新しい建物で、2階のホワイエから立山連峰が一望できる設計になっている。普段盆地に住んでいて山に囲まれてはいるが、同じ山でも見慣れた山とは別のもので、パノラマの風景にはちょっと圧倒されるものがあった。山はこんなに鋭く切り立った大地の隆起なのだ。美術館という場所は屋内で展示物を見るための施設だが、展示と関わりなく視覚を解放する遠景があるのはとてもいい。

「海燕のセミオティック」展は、詩人と画家の出会い 交流 創造、と副題が付いている。 加納光於の作品が年代を追って展示され、瀧口修造のデカルコマニーや出版物、往復書簡なども見られる。セミオティックとは記号、記号論という意味。
瀧口修造は富山出身である。書斎にあった様々な作家から贈られたオブジェ、絵画、鉱物、貝殻などが亡き後に夫人より寄贈され、コレクションとして恒久展示されている。書斎の雰囲気や交流の幅広さが伺える。どちらかといえばモノは溜め込むより断捨離が推奨される世の中だが、よくわからないモノがごちゃごちゃあるのも悪くないと思える。瀧口修造は詩人であり、美術評論家として活動していたが、1960年頃から評論の執筆から距離をおき、造形作品の制作に没頭する。その頃に作られたデカルコマニーの連作「私の心臓は時を刻む」が展示されていた。約100枚で構成されている。作品ひとつひとつは小さいけれど、詩人は遭遇するために、今ここで、その手によって、世界から見知らぬものを引き寄せる。言葉の外で詩を見出す作業のように感じられた。絵画表現としてこれを成立させようという握力で向かうと取り逃がしそうである。静かに開示される秘密を紐解くように紙と絵具に触れる手つきは、描く能動の手前にあり、むしろ受け取られたものたちのようだった。

私は加納光於の「稲妻捕り」という画集のアブストラクトな作品群が特別に好きで、今回の展示では稲妻捕りの実物も見られるということで富山まで来た。タイトルの通り一瞬のうちに捕獲されたかのような動的なイメージになぜか心から惹かれる。
加納光於は古書店で手に入れた銅版画の本を読み、19歳の時に独学で版画を始めたそうで、初期の作品は病弱だった本人が病床で見た幻影や植物、胞子のような有機的で細密なイメージを具象としてあらわしたモノクロームの作風だった。1954年の春に人の勧めで瀧口修造を訪ね、作品を見てもらうことになる。加納光於21歳、瀧口修造51歳。親子ほど歳は離れていたが、加納光於の才能をすぐに認め、その後も長く交流は続くことになる。
加納光於の作風は1957年を境にアブストラクトへ移行し始める。防蝕ニスが剥がれた版の裏面を試しに刷り、偶然生まれたイメージに手を加えた「星とキルロイが濡れる」あたりから、自身が内包するイメージの具現化よりも、手法から未知のイメージを導き出すことに焦点が移った痕跡が作品からはっきり見て取れる。作家に親密な内的世界から、それを手放し偶然に起こることに身を任せる喜びを知った新しい鼓動が作品からそのままに伝わってくる。以降加納光於の作品は、手法の中に分け入っていく精神によって現在も変化し続けている。油絵に移行して作品のサイズが大きくなり、画面構成を模索し始めた絵画作品は、やや構成主義に偏っていた。意識的な操作の印象の方が残るものが多く、このままだったらどうしようと展示の終盤やや心配になっていた。
けれど展示室の最後に最新作であり、展覧会のタイトルにもなっている連作「海燕のセミオティック」はその心配を完全に払拭した。透明感のある色面が並んでいるのだが、ほとんど自然現象のように見える。もちろん絵画であり構成されているのだけれど、人の手の介在や作為をほぼ感じさせない。蜜蝋を混ぜた自作の油絵具を水平に置いたカンヴァスに流し、薄いフィルムを近付けて静電気で絵具を動かして描かれているらしい。だから画面に起こった現象がそのまま取り置かれているように見えるし、実際それに近い状態を抽出する技法である。この連作は光に見えた。加納光於の初期作品はまるで自分に中に梯子をかけて降りていき、わずかな光で照らして見えたものを紡ぎ出す細密な夜のイメージであったけれど、絶えざる実験の果てにその光の方を探り当てたかのような、邂逅の感があった。
ところで光於という名前、於はああという感嘆をあらわす。もとは烏の象形であったらしい。「光に於いて、ああ…」しばらく作品の前から離れ難かった。

展示室を出てホワイエから立山連峰を眺めた。やはりすばらしいけれど、写真に撮ってもおもしろくないのでそのままにした。
例えば美しいからこれを撮るとか描くとかいう動機からは遠いところで、全く別の創意によって獲得されたものが、こういう風景を見たときと同じではないにしろ、肩を並べる霊性を帯びているとき、その作品は私にとって深く残るものになるのだろう。

富山で食べた魚が美味しかったことは言うまでもない。

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