7月素描

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今年はじめてのそうめんは、たった2分の茹で時間をなめてかかり、ひたひたくらいのお湯で茹でたら、そうめんの持ち味である清涼な喉ごしを見事損ねたごねごねの麺が茹で上がった。氷水に浮かせてみたけれど焼け石に水だった。刻まれた薬味に申し訳がない。そうめんは、泳がせるように茹でないことには夏は来ないのだと思った。

熱くなり始めてからそれまで元気だったエアプランツが急に枯れ、水栽培しているサボテンが腐り始めた。人は蚊ではない虫に点々と刺されてぶつぶつしている。睡蓮は葉っぱばかり伸びて花を咲かせる気配がない。ドライフラワーになったあじさいはかさかさに乾いて、花びらに青い色素が残っている。

近所に気になっていたレストランがあった。家の場所を人に説明すると、あの店の近くかと言われる。一生通い続けたい店だという人もあった。誕生月ということでついに予約をとった。ずっとこのまちにある佇まいの洋食店。料理はボリュームがあって味も確かだけれど、メインについてくるサラダも丁寧で、パンは足りないことのないくらいの量をサーブされ、それにトマトとオリーブのペーストが付いてくるとか、お酒を頼むとサービスされるカナッペにも行き届いた工夫があったり、端々に満ち足りるものがあった。食べ過ぎて翌朝目覚めてもお腹がいっぱいのままだった。胃だけがまだ昨日の夜にいる。久々の胃もたれは体の内部で起こる時差ぼけのようだった。

祇園祭が近づいてきた。町内で祭りに関係する飾り物の保存のための協賛金を募っていた。協力するとお札がもらえる。そのお札は玄関先に貼るもので、近所の家々にも貼ってあり、自分の家にも同じようにそれを貼った。貼ることでなんとなく、お祭りを迎える雰囲気がまちの景色に醸されて、そのムードに加担していることに一種のよろこばしさがあった。

昔から重たい掛け布団がないと足元がそわそわして落ち着かず寝られない。タオルケットという言葉は夏らしくて軽やかでいいと思うしあこがれるけれど、タオルケットでは寝られない。一年中ぼってりした綿布団をかぶっている。

夕立というより最近のはスコールと言った方がしっくりくる。自転車で傘がなくて、小雨になったのを見計らって出たつもりが、ぶり返した雨に下着まで絞れるレベルで濡れて帰った。まとわりついてじっとり生ぬるい服と冷えた露出部。帰って即熱いシャワーを浴びた。水に濡れると妙に疲れる。プールで泳いだあとのような気だるい感じがなつかしかった。

日記

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6月が終わったということは、すでに1年も半分が過ぎたということで、あじさいが咲ききった頃に出遅れた梅雨がやってきた。今年の最初に決めた月初めに赤飯を炊く習慣はこの半年続いている。

毎年、6月末になるとひとつ歳をとる。そういう特別なときに食べるために日常から隔離してあるヴァチュールのタルトタタンを食べた。火を通した場合のこれ以上ないりんごの煮詰まり加減。りんごの極限状態に毎回うなる。
去年の今頃はどうしていたっけと思って日記を読み返してみたら、一見すごい量に見える映画館のポップコーンはそんなに食べた気がしないのに、上演が終わる頃にはものの見事消えているようなところがフィクションと相性がいいとか、絵をいつもより大きい紙に描いたとか、読んだ本の名前、そんなようなことが書いてある。毎日寝て起きて何か食べ、起きているあいだに何かして、また食べて寝ているわけだから、いる場所が変わってもやっていることはさほどかわらない。
前に読んだ写真家の中平卓馬の日記には、毎日の自分と家族が寝起きした時間、食事をした時間だけが書かれていた。そこに時々プリントした写真の枚数、釣りに行って釣った魚の数などが加わるけれど、毎日ほぼ同じような感じで時間や数が記され、日記というよりほとんど何かを観察して書いた客観的記録のようだった。1日の詳細な内容や本人が思ったり考えたりしたことや情緒的なものは一切省かれている。その生活を文字から想像すると、本人を含めた家族は寝床にごろごろ横たわり、起き上がって、ひととき食卓に群れ、またばらけて群れて横たわる反復運動を小さな家のなかで延々繰り返している生き物のようだった。生活になんの装飾も施されていない。けれどとにかく生き物が生きている感じがあり、それがなんだかやけに生々しく、そういうふうに日々を捉える視線は中平卓馬の写真と地続きのようだった。

70近い知り合いの男性の家に行ったとき、その人は足が悪いのだけれど、両親が亡くなったあと、ひとり生家である2階建ての一軒家に暮らしていた。年々足は動き辛くなり、今はもう2階に上がれないらしい。その2階には50年以上書き続けている日記と、趣味で毎週のように描いてきた裸婦の絵も数10年分置いてあるらしい。男性は手も少し動き辛く筆圧が弱いので、絵は鉛筆で薄い線を何度も引いて体の輪郭線を描いていた。日記に並ぶ文字もたぶん薄いのだろう。書くのも時間がかかる。男性はしばらくあとに施設に入ってしまって、その日記は表札そのままで空き家になっている家の2階に読まれることのないままたぶん今もある。

自分の過去の日記を読んでいるとむしろ書いてあることよりその周辺にあったもっと細かなこと、書ききれなかった事々を文字の余白に思い出す。書いてあることから書いていないことを読んでいる感じがする。ある映画や本を選んだときの自分の感じというのが呼び起こされたりする。どういう日記にも書いた本人にしか読めないところがある。
誕生日だとかの節目が訪れると来年の今頃はどうしているだろうとなんとなく想像する。この先も変わらず、誰かのそばにいたり会えたりする訳ではないということが年々実感されてくる。予期せぬことは起こる。
いつかはわからないけれど、いずれ終わることだけが決まっているその間にあるという、この今というのが自分にある奇妙さは、何歳になっても変わらない。

演劇の煮こごり

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大阪心斎橋、スナックの看板が縦に連なる雑居ビル街の6階にウイングフィールドという小劇場がある。何度か行ったことはあったけれど先日、数年単位の久々に演劇を見に行った。ウイングフィールドは劇場になって今年で25周年を迎えるそうで、それ以前はオーナーの住居だったらしい。その名残というか、劇場は照明機材を吊るので天井は高いものだけれど、この劇場は天井高が一般の住居とほとんど変わらず、広さは客席数で言うと100くらい。
見に行ったのは、dracom(ドラカン)の『空腹者の弁』という公演で、まず中に入ると劇場内に観客席というものはなく、舞台も設けられていない。なにも仕込まれていないカラの劇場の好きな場所に観客は腰を下ろし、開演を待つ。観客と変わらない服装の俳優らしき人たちが観客に紛れて入ってくる。それで何かを話し始める。最初どこかに墜落した飛行機のことを話しているようだったけれど、聞いていると飛行機の話しが展開するなかで「とびきりのねり消しゴム」とか「頭の上にタコをのせてやろうかしら」などという奇妙な言葉が聞こえてきて、むしろ話しの筋よりそっちの方が気になってくる。その後会話はアクロバットを連発するようにねじれて変転をくり返し、どうやらひとつのストーリーを追って見るものではないことがわかってくる。俳優もだれそれという名前のある役を担っているのではなく、自分の順番が来た、という感じで言葉を発しているように見える。会話は具体的な意味のやりとりからはみ出した言葉の交換のようになっている。例えばどんなふうかというと、ドラカンのサイトに公開されているテキストの一部を引用する。
「もっとすばやく。 失敗すればベルトの穴を増やさないとだめだ。 海草の隙間に落ちる月の影な頃合い。 とっくの昔に死んだ人のことを話そうか。 あ、それは旅先で話すって約束だったのに。 トタン屋根に落ちる猫の死体は太陽光線を遮って。 黒マジックでそれを消そうと思ったら、意外な効果に「舟盛り」を頼むしかなかった。 そう、丸焦げ。 草履の裏に「ごくろうさん」って書いたの誰? えっ?」
というようなテキストを一行ずつ別の俳優が喋っていく。俳優はその一行を演じ渡していく。平行して途中から俳優が観客を避けながら木材を運んできて、上演中に組み立て始める。それはこの劇場が劇場になる前の、オーナーの住居だった当時の実寸の間取りで、何もなかった劇場が過去の間取りをなぞって区切られた空間に戻っていく。リビング、浴室、トイレ、リスニングルームというのもある。それらの部屋の輪郭だけがあらわれ、俳優は劇場の過去がなぞられた場所で部屋を移動しながら言葉を演じ続けている。観客も立って部屋を移動しながら好きなところからそれを見る。合間にリスニングルームからレコードの曲が流れて来たりする。レコードはオーナーの私物であったらしい。
劇場が演じ手である俳優によって劇場以前の場所に戻されていく、という行為はアイロニカルに見え、もちろんそれは舞台美術なのだけれど、何もない劇場をさらに1枚剥がした過去の間取りであって、そのあいだにフィクションの場が仕立てられていることがおもしろい。
意味をやりとりしているようで、脈絡のほぼない台詞のやりとりが会話として成立しているふうに見えるのは、俳優の発語、表情、身振りが言葉の意味でない部分を補っているからだけれど、演じることが可能な糸口が言葉の端々に残されている。このテキストは最初詩のように思えたけれど、聞いているうちにやはり戯曲として書かれ、言葉は俳優に宛てられ、当て(ぶつけ)られた台詞であると感じた。演じるということが一定の役の人格や感情描写から放たれている台詞のありように、俳優は、誰かでなくその人自身でもない「俳優」であることに軸足を置きながら、何かになりきってしまうことを寸断され続ける。まるで過去にこの劇場で話された台詞、場所の記憶を再生したコラージュのようにも見えてくる。けれどよく考えると、どういう演劇であれ台本があるならば、俳優は常に過去に書かれた言葉を再生するということをやっていることに変わりはない。
脈絡を欠いた台詞の数々は、意味に満ち過ぎて飽和し、潤滑に繋がらないという感じで、その高密度がもう可笑しくなってくる。実際笑ってしまう。それでも台詞のやりとりが耳に届くのは、俳優が息を吹き込んで聞く隙を観客に与えるからで、俳優というものの、芝居の時間を是が非でも生きようとする欲と性が抽出されて見えた。さらにベニヤの間取りが演劇感を助長して、演じられるほど素っ裸な演劇に見えてくる。手法や構造のことよりも、何より演劇を見たという感じ、演劇の煮こごりを味わったような感覚が残った。最後には観客の手を借りながら部屋の間取りはバラされて、もとの劇場に戻る。

劇場は本来、「何もない」とされる空間に別の場所や時間を仕組むことのできる場であるから、どのような場所としても上書きすることができてしまう。劇場で何を上演するか、となったときに、過去そこに住まれていたことに目を向けるような視点の持ちようがなければ、この構造は生まれなかったのではないだろうか。劇場を劇場以前に1枚剥がして劇の時間に巻き込んだことが、却ってこの上演を演劇の血の通ったものにしていたように思う。

鳥葬

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根こそぎに
掘りかえし
疑わしきは
根絶やしに
カッコーの巣をつくる
ふ化する前に
速やかに

飼い慣らされた
ネコシラズ
お気に触れば
首根っこ
引っ掴まれて
ホトトギス
鳴いて血を吐く
返り血浴びて
極楽鳥も飛び去った

能ある鷹の隠した爪も
火のともされた貝爪も
一枚一枚剥がして捨てる
好きな絵柄をのせるネイルも
なくなって
呼んでるよ霧のなか
さえずりよりも悲鳴がまさり

盛られた致死量
ネコイラズ
骨身に染みても
痛まないよう
悼まないよう
気付かぬうちに
巻かれた煙に
つながれている

視線の網目に羽が絡んで
飛べなくなったら
転げて踊ろ
息が苦しくなったなら
明朝体の先端で
言葉のむこうに風穴をあけ
降りて潜ってどこまでも
地を這う私の飛び方は
誰にも決められない

発育

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近所にあるラブホテルの路地に面した植え込みの、ほふく性の植物は育ち過ぎ、なだれて歩道まで這い出してきている。その横にはこれもほふく性ではあるけれど、なだれるまではいっていない花盛りの松葉菊、稚児笹、投げやりに突き出したアロエが群れで生えている。
もちろんホテルの正面入り口はきれいに整えられていて、紫のクレマチスなんかが咲いているけれど、路地の方は一応植えられて、そこに植わっているものの、各々勝手に雨水を吸って思うまま生きているという感じになっている。その様子がなんだかいいので、いくつかある帰り道のなかでそこをよく通る。昼間に裏口から出てくる私よりずっと大人のカップル。黒い日傘の下からせっけんのにおいがした雲ひとつない昼下がり。
歩道になだれている植物の葉は平たいけれどやや多肉で、明るい黄緑色に白い縁取りがあり、赤い蕾を持っている。
ある日の夜、ホテルの路地を通りがかって、歩きながら素早くしゃがみ込み、歩道に這い出ている先端をもらってきた。これをいつ実行しようかと機を狙っていた。見られても別に誰にも怒られないだろうけれど、誰にも見られず遂行したかった。
多肉植物を挿し芽で増やすのは難しくない。通る度に気になりながらずっと名前がわからなかった。近くで見てちゃんとした名前を調べると、花蔓草という植物だった。南アフリカ原産で、ベビーサンローズとも呼ばれる。花言葉は愛、淡い恋心。このラブホテルから這い出してきた愛は根付くだろうか。

室温が上がると共に2階の部屋は温室のようになっていく。せっかくだから部屋のなかに木がほしいと思った。もう既に大きい木でなくてこれから育っていく木でいい。育っていくのを見ていたい。いろいろ迷ってフィカス・ティネケというゴムの木を買ってきた。斑入りの葉がきれいだった。葉に柄がはいったものに弱い。
まだ40㎝くらいしかないから木とも言えない。植木鉢が小さそうだったし、大きくなるよう植え替えて、根元に近いところの傷んだ葉を整理しようとハサミで葉を切ったら、切り口から白い液体が流れた。白いのはラテックスというゴムの原料。小さくてもゴムの木はゴムの木だった。立派な木と言えるような大きさになるには何年くらいかかるだろうか。

梅雨の手前

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5月末に続いた夏日の加熱を冷まして梅雨の寝床を編むように6月最初の夜は嵐だった。
今年買った温室育ちのあじさいのるり色はもう褪せつつあって、5月の日差しに耐えきれずところどころ茶色くなっている。けれど褪せてセピアがかった頃のあじさいが好みの色合いだった。その傍には冬まで仕舞っておくために洗った鮮やかなマリンブルーのマフラーが干してあり、水を含んだウールからじわじわ水分が蒸発して羊毛の温いにおいがしてくる。物干し場で陽に当たっているとあんなに寒かったことが嘘のように毛穴もゆるみ、ゆるんだ腕の皮フをじっと見ていると表面に虹色が見える。
5月の中頃に買って来た睡蓮は睡蓮鉢いっぱいに葉を広げ、いつの間にかどこからか湧いてでたボウフラも大量に泳ぎ回っている。このまま全部が蚊になったら物干に出るたび献血なので、その前にメダカに食べてもらいたいのにメダカの売っているところが近くになかなか見つからない。
家の中の多肉植物やサボテンは温かくなると見るからに勢いを増し、猫は無限に毛が抜ける。水苔をふやかしてジュエルオーキッドという蘭を植え替えた。この蘭は葉の表面が細かく起毛していて、深いビリジアンの天鵞絨のようになめらかで、葉脈はラメを流したようにきらきら光るフィクションみたいな姿をしている。東南アジアの森林の暗く湿ったところに育つらしい。この蘭を初めて森で見つけた人は最初に何と言っただろう。店でこれを見つけて造花でないとわかったとき、ひとりでいたのでそもそも黙っていたのだけれど、その上からさらに黙らされる驚きがあった。それほど魅せられた美しい葉は、肉食のくせに葉をかじるのが趣味である猫に食まれて結構ぼろぼろになっている。猫の届かないところに避難させて新しい葉が育ってくるのを待っている。
冷蔵庫には紙パックの微糖アイスコーヒー、冷凍庫にはチョコレートコーティングのチョコレートアイスバー。近所のスーパーの隣の衣料品店で買った580円の明るいターコイズブルーのゴムサンダルは、きれいと思って買ったけれど、履くと明るすぎて足下が浮いて見える。つっかけて浮いたまま散歩をしたり買い物に出る。家から徒歩2分のところに手書きのメニューが表にたくさん貼ってある中華料理屋がある。冷やし中華がもうやっている。今年初めての冷やし中華はガラスの器に錦糸卵とハムきゅうり、真っ赤なさくらんぼが乗っていて、完璧な夏のお手本だった。
徐々に夏が近づいてくる、体が夏に寄っていく。

玉の緒と定家葛

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急に夏日が続き、油断しているうちに襟ぐりが日に焼けている。
昼間は外に出るのが億劫になる日差しでも、5月は日が暮れると羽織るものがほしくなるくらい熱はどこかにすっと引く。夜の鴨川を散歩していると花のにおいがただよってきた。ジャスミンに似ているけれどジャスミンよりも鼻にまとわりつく甘さはなく、青田の傍で嗅ぐようなオゾンの水っぽいにおいがする。河川敷には白い花をたくさん咲かせたつる植物があちこちに絡みついていて、においはその花の群から流れてきていた。名前を知らない。5月、白い花、いいにおい、で検索するとそれらしき花の写真がでてきて、それがテイカカズラだとわかった。
テイカは定家、百人一首の選者の藤原定家からきている。能の演目になっている藤原定家と式子内親王の死後も捕らわれ続ける恋の物語、『定家』で式子内親王の墓に絡みつく定家の妄執として表現される蔦がテイカカズラだった。
実際そういう物語があったかどうか、史実の上でははっきりしないようだけれど、作り話であってもその由来と背景を知ってからこのにおいを嗅ぐと、振り払うこともできず捕われながらなお匂いたつ心情、というようなイメージに変換されるようになってしまった。においは情景や言葉と結びついて記憶されるから、一度そういう印象がついてしまうとラベルがなかなか剥がれない。
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする」
という式子内親王の歌は百人一首にあったので覚えている。私の命よ絶えるなら絶えてしまえ、長く生きていれば耐える心が弱まって、忍んでいなければならない心が滲んでしまいそうだから。式子内親王は生涯独身を通さなければならない身分だった。ふたりの関係が能の『定家』のようであってもなくても、藤原定家も式子内親王も800年くらい前に生きて京都で暮らしていた。邸宅跡や墓は残っているし、それぞれの詠んだ歌も今日まで伝わっている。今と風景や呼び方は違っても鴨川の流れを見ただろうし、四方の山の四季を眺めて心をうつしていただろう。
「恋せじと せしみそぎこそ うけずとも 逢瀬はゆるせ 賀茂の川波」 三条実継
今は穏やかな川辺に点々と並ぶ恋人たちの姿が見られる。見慣れた景色は見たことのない「ここ」の積層の上にあらわれた今だと花のにおいから知らされた。この風景も800年後には様変わりしているに違いない。800年後の人たちも恋をしたり川辺で会ったりしているだろうか。その頃人間はいるのだろうか。

次々ばらが咲く

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家が落ち着き、花を飾るくらいの余裕がでてきた。通りがかった花屋の店先で、母の日向けのカーネーションの群れのなかに濃い紫の珍しい色を見つけた。一輪差したらその一輪で部屋が格段によくなった。
近所のスーパーに通うのも徐々に馴染んで、前のアパートより広くなって使い勝手がよくなった台所で料理をしたくなる。家の古い雰囲気に合う地味な作り置きを作りたくなる。切り干し大根、ねぎのぬた、春キャベツのコールスロー、新じゃが土佐煮、だし巻き、ごま和え。米を炊いてみそ汁を作れば献立になりそうなものを作っておいて数日楽をする。
最寄りスーパーの不思議なところは、ぱっと見生レバーな滋賀の近江八幡名物、赤こんにゃくの煮たのや、同じく長浜名物の焼鯖そうめんがおそうざいコーナーに並んでいることで、京都の他所のスーパーでは見かけたことがない。滋賀の味覚のピンポイントな需要があるのだろうか。

ジュード ジ オブスキュアというばらが咲いた。淡いアプリコットでころんとした球形の花を咲かせるイングリッシュローズ。英語で書くとJude the obscureで、Judeというのは人の名前だろうか。obscureを調べてみると、あいまい、漠然、はっきりしない、という意味らしい。あいまいなジュードはっきりしないジュード。誰なのかわからないジュードは優柔不断な奴だったのか、なぜばらの名前になったのか、ますますよくわからない。さらに名前の由来について調べてみると、トーマス・ハーディの『日陰者ジュード』という小説から取られているようだった。これを読めば命名について納得のいく理由が得られるかも知れない。けれどその前にジュード ジ オブスキュアの素晴らしいのは何よりもまず香りで、みごとなフルーツ香をもっている。プラム、シトラス、りんご、その他いろんな果物の印象がひとつの花のなかで混ざっている。もちろんこの花の香りは長い交配の道のりの途中で生まれたもので、無為自然に任されたものではなく、人の手が介在している。けれど香りの成分を潜在的に持っているのも咲くことも花の領分であるから、植物と人のあいだに結ばれた縁のようなものを見る思いがする。交配には何の約束もなく、何万種の中から運良く結実した色かたちで、それを育てることも植物と人の両方があって実現する。ばらを咲かせるということには、植物と人のあいだに結ばれた創造的なものに触れる喜びが含まれていて、そこに感動がある。

ばらが咲く

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夜、久々にしっかりと水分量のある雨が降った。引っ越してきて最初の雨だった。この家を選んだときから雨漏りはするものと思っていた。横たわっていると案の定雨音に混ざって、パタ パタと滴の落ちる音が聞こえてきた。起き上がって水源を探す。押入れの、かなり隙間があって危うい天井板は一応テープで修繕してあるけれど、iPhoneのライトで照らして見てもどうやら押入れではなかった。布団を敷いている居間に戻り再度耳をすます。エアコンの近くからで、そのあたりを照らしてみると、エアコンの管と壁の接着面から水が漏れていた。なぜどこから雨が入ってエアコンの管から漏れてくるのかは謎だった。気休めに隙間をマスキングテープで貼って寝た。

部屋のなかが徐々に整っていく。
数十年分の油煙で茶色くなっていた台所の天井をベビーブルーに塗り替え、照明器具を取り替えた。シューズラック、ゴミ箱、モスボックス、猫の砂などを届けに毎日クロネコと佐川の人がやってくる。
ベランダには植木鉢を置けるスペースが結構あって、あると増やしたくなる。
去年の夏の終わり、それまで住んでいた家を出ていくことを決めたとき、朝が来る前に育てていた植物をもう伸びてこないくらいの長さに全部切った。すぐにはすべてを持って動けなかったので、その間に枯らすのがいやだった。それに育ててきた日々の風景への愛着を断ち切りたかった。軒先に咲くばらは近所の人たちもささやかな楽しみにしてくれていた。ある朝突然緑色を失った軒先のありさまは異様に思われただろう。大事にしてきたばらも剪定時期ではないときにめちゃくちゃな位置で切ってしまった。それでも結局捨てられず、このあいだまでいたアパートのベランダに置けない分は公園の隅に植えて、鉢のいくつかは今の家まで持ってきた。あのときの引き千切ったようなハサミの跡は苗にそのまま残っているけれど、脇芽を伸ばしてばらは今年もちゃんと咲いている。例年通り最初に咲くのはディオールの香水から名をもらったディオレサンスだった。移ろいやすい紫色もベルガモットを翳らせた香りも変わらない。
梅雨の前にあじさいがほしくなってひと鉢買ってきた。今花屋で売っているあじさいは、梅雨を先取って咲くよう育てられている。路地に植わっているのはまだつぼみが集まってきたくらいなのに、買ってきたあじさいはすでに青く色付きはじめてしまっている。今年は梅雨に入る頃にはもう褪せてしまうだろう。あじさいはそのあと植え替えないと根詰まりを起こす程ものすごい勢いで株が大きくなって、次の年には倍くらいになる。花を終えてすぐの7月〜8月にはもう来年の梅雨に咲く花芽を用意している。来年の梅雨の頃は何を思っているだろうとあじさいを見ながら思う。
一抱えくらいの大きさの陶の鉢がある。それは実家から持って来たもので、ずっと半夏生が植わっていた。水を含んだ泥が重すぎて持ち運べなかったので引っ越す前に空にして、今度はその鉢で睡蓮を咲かせたくなった。園芸店に睡蓮を探しにいくと、赤白黄色の姫睡蓮が売っていた。赤と白で迷ったけれど、ここは凛と咲く白だと思った。引っ越しで散財し、千円でも節約したいところなのに花は買ってしまう。生きるのにパンは必須だけど花もいる。水を張った睡蓮鉢にはボウフラがわくそうで、メダカを飼うと食べてくれるらしい。今度はメダカがほしくなる。メダカのためにホテイアオイも浮かせたい。

この「惑生探査記」は去年の5月から連載をはじめたからこれで季節を一巡し、これから2周目に入る。

壁も塗れるはず

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引っ越してきた家は外から見た感じはそうでもないのに、築年数は住んでいる界隈でいちばん古いらしい。確かに家の中のあちこちに年季を感じさせるところはあって、それを良さ思える部分と、ちょっとどうにかしないと住むにはな、というところがある。そのどうにかせねばならない最たる箇所が押入れだった。
最初開けたとき慄いた。土壁で、剥落を防ぐためにその上から全面茶紙が貼ってあり、その茶紙も相当古くなって所々シロアリの這った跡が見られ、貼った紙も半ば剥がれてまさにボロボロだった。押入れというか洞窟に近い雰囲気さえ漂っていた。
とりあえず全面の茶紙と床面に画鋲で貼られた80年代くらいの雰囲気のアイドルポスターを剥がす。紙の隙間から銀色の小さいフナムシのようなやつが走って逃げていく。土壁の全面があらわになったことでさらに洞窟に近づいてしまった。ここに毎日布団を出し入れしていたら擦れて落ちた砂のざらざらの上で寝ることになるだろう。
新しい紙や布を貼るかと考えた。けれど壁とのあいだに虫が巣食ったりカビが生えたりしてきそうで、その場しのぎでない自力でやれる最善の解決法は、壁を塗り直す、だった。
土壁の補修を調べてみると、漆喰は土壁の上からでも塗れて、吸湿、防カビ、消臭など押入れにとって良いことずくめだった。コテを使って左官職人のように上手くやれるイメージが全然できないので、刷毛とローラーで塗れるペンキタイプのものと下塗り塗料や必要な道具一式と注文した。とにかく荷物が押入れに仕舞えないのでは部屋が一向に片付かない。壁を塗るのは大変そうだと思ったけれど、もうやるしかなかった。

まず土壁の汚れや埃を落とすため、小さいほうきで壁の表面を軽く掃いていく。
そのあとマスキングテープを柱や桟に沿って貼り、押入れの中板と畳にビニールを敷き詰める。これだけでも結構時間がかかるけれど、マスキングを怠ると塗料がはねたり溢れたりして、後の掃除にむしろ時間を取られる。
マスキングテープは思いのほかたくさん使うので、余分に買ってちょうどいい。部屋の養生ができたらまず下塗りのシーラーを塗っていく。白色でゆるいボンドのような質感の塗料。これを塗ると砂が落ちてこないようになり、漆喰を塗るための下地ができる。ローラーでは塗れない4辺の端を刷毛で塗ってからローラーで面を塗る。塗料を含ませる量、ローラーを動かす速度を心得ないあいだは塗料をぼたぼた落とし、飛沫を浴びる。だんだんちょうどいい感覚がわかってくる。土壁は塗料をよく吸うので1度塗って乾いたら2度塗り。塗料のにおいのせいで頭がずきずきする。でもしばらくして塗料のにおいが飛ぶと水気を含んだ土壁の仄暗い官能的なにおいがしてきた。
1日置いて乾いたら漆喰の本塗り。手順は同じで1度塗って乾いたら2度塗りで仕上げ。下塗りでムラになっていた部分も塗り重ねる毎に均一になっていく。乾くとぐっと白さを増し、光を吸う土壁から白く明るく広がる壁が出来上がっていくのは高揚感がある。作業としては丸2日間ほとんどかかりっきりで、三畳間の壁面の押入れと余った漆喰で部屋の壁も塗ってしまった。
乾かしているあいだ早くマスキングを剥がしたくなる。作業中は完成図が見たいがために体力以上に集中力が保ってしまい、やり切ったらぼろ雑巾のように疲れ果てていた。マスキングを剥がすときは、壁とテープの間にカッターの刃を沿わせるときれいな直線が出る。テープに付いた漆喰がぱらぱら部屋に舞い散っていく。
養生を剥がして部屋を掃除するあたりには朦朧としていた。そのかわり押入れと壁は見違えるように美しくなった。そうなったらまた欲が出て、襖も張り替えたくなり、襖の枠の漆が剥がれているのも気になり、小襖含め9枚の襖を張り替え、漆を塗り直し、蛍光灯だった電灯をペンダントライトが付けられるよう接続を替えたり、思った以上に苛烈な連休は終わったのにまだ、畳表 張り替え 自分で と検索ワードに打ち込んでいる自分にはっとした。