お気に入りのパン屋が日常自転車移動範囲に数件ある。そのうちの一件はくるみパンが有名で、そのくるみパンには数日後にまた食べたくなる柔らかなものの中毒性があり、出先でお腹が空いたらしょっちゅうそれだけ買って自転車で走りながらかじっている。
そのパン屋の2階にはクラシックのレコードを専門にかける名曲喫茶がある。学生の頃少しだけそこで働いていたことがあった。とてもいいスピーカーの置かれたリスニングルームは私語禁止で、注文を取りに行くときもしずしず歩いてお客の傍に寄って、ホット、とか、トマトジュース、と耳元でささやかれそれに小さく頷き、注文されたものを用意してまたしずしず運んでいく。
ノートに書かれたリクエストの曲を膨大なレコードが並ぶ棚から探し出して、掛かっている曲が終わったら掛け替える。
朝の開店前に入るのはまだ2度目くらいのとき、開店準備の勝手をよく把握していないものだから、オーナーに怒られつつ焦りながら右往左往していた。開店直後に入ってきたお客があって、そのときレコードは何も掛かっていなかった。名曲喫茶は掛け替えているとき以外音楽は常に掛かっていないといけない。オーナーにレコード!と言われて急いで棚のところで、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番を取ってきた。リクエストがないときは好きなレコードを掛けて良かったので、好きな曲のいくつかの所在は覚えていた。ジャケットから丸いナイロンに包まれたレコードを取り出してプレーヤーの上に置こうとしたとき、いつもより急いている手元からレコード盤がふっと消え、その直後足元で割れたような音がしたのはどうか聞き違いであってほしいと祈ってからそっちに視線を移したけれど、レコードはどう見てもまっぷたつに割れていた。パーンでもパリーンでもないレコードの割れた音は擬音語で的確に表せない鈍い音だった。
それから長らくこの曲を自発的に聞けなくなっていた。最近ようやく聞いてみようと思えるようになり、これを書きながら今も聞いている。やっぱり好きな旋律であることに変わりないけれど、この曲は割れたことともう分かち難く結びついていて、チェロ・ソナタ第3番は一生割れた音楽として聞くことになるのだろうと思う。そういう意味で特別な、これも縁と言ってみる。そんなふうに時々古傷に塩を振ってみて、もう沁みないけれど、時々そういう痕跡のあったことをたどって、自分の凹凸をなぞってみる。