戸川純を知ったきっかけが何だったかもう覚えていない。初めて聴いたのは「空の彼方に浮かぶは雲」と衒いのない高音で始まる『諦念プシガンガ』だった。イントロでなぜかコンドルは飛んでいくが浮かぶと思っていたけれど、原曲がアンデス民謡だったことは最近知った。「牛のように豚のように殺してもいいのよ」「我一塊の肉塊なり」と繰り返しと歌われる。諦念の果てに名前を持った何者かから肉の塊に還元される、自暴自棄とも違う妙な受動の力強さに惹かれた。それから色々聴いてみるようになったけれど、曲によって歌唱法というかキャラクターが変わる演劇的な歌の世界に最初はついていけなかった。それでも聴いてきたのは、歌に表現されるものに脈打つ赤さを感じたからだった。
イヤホンから音楽を流し込むことで足る日々を送っていたけれど、京都でワンマンライブがあることを不意に知る。その時に居合わせた友人が、戸川純がテレビに出ていた頃を知るファンであって、その場と酒の勢いでチケットを2枚予約してしまった。
ライブの数日前から止むことを忘れた怒りのごとき大雨が続いた。後からその雨には西日本豪雨と名がついたけれど、もはや中止になるのではないかと人を寄せ付けぬ濁流と化した鴨川を眺めていた。ようやく雨が落ち着いたのはライブ当日の7月7日で、新幹線も動いていた。一緒にチケットを取った友人は愛知から戸川純Tシャツで無事たどり着いた。
京都MOJOというライブハウスには学生の頃に来て以来。あまり広くないのは知っていた。おしゃれカフェでバゲットサンドを齧って話し込んでいたら思ったより時間は過ぎ、開演15分前くらいにたどりついた。場内は既に半分人で埋まっていてステージはほぼ見えない。最前列あたりは頭髪の雰囲気を見るにファン歴もそれなりに長そうな人が多く、そこに20〜30代の人も混ざっている。目の前にいる二人連れは母親と娘だった。開演時間になって後ろを振り返ると、すし詰め状態で退路は断たれている。立っている位置からステージはほぼ見えない。開演時間から10分経っても始まらないので、待ちわびる観客のそわそわも限界に近づいた頃、戸川純がステージに現れた。現れたと歓声でわかっただけで、この時点で姿は帽子しか見えていない。
雨でお客さんが来るのかどうかと心配していたこと、山口県から来る予定だったキーボードのメンバーが雨の影響で電車が止まって間に合わないこと、それで急遽曲目やアレンジを変え、助っ人を呼んでさみしくない感じでやれます、と重たい舌を持ち上げて喋るような独特の口調で説明する戸川純。曲が始まる。喋る声が歌う声に変わる。今は昔出ていた高音域の声は出なくなっている。さらに腰を痛めてあまり長い時間は立っていられないので腰掛けて歌っていた。後ろの人に申し訳ないから時々立ちますと気遣いつつ、今も痛み止めを飲んでいるという。
MCで高い声が出なくなったことについて本人も話していた。ホイットニー・ヒューストンは酒と薬で声を潰し、一世を風靡した力強いハイトーンボイスを失って48歳で亡くなった。ホイットニーの場合、とにかく超人的な歌唱力が歌のほぼ全てを支えていたのだし、声のクオリティを損なうことは歌手でなくなることと同義だったのだろう。戸川純はホイットニーのことを悔やみ、声が出なくても声出せよという。出なくなったからってやめるなよ、と。つまり歌唱力によってのみ支えられているのが歌なのか、という問である。それは何よりも戸川純自身のあり方が物語っていた。実際、現在の音程に合わせて歌われた若い頃の曲、特に『ヒステリヤ』『Not Dead Luna』『母子受精』『バーバラ・セクサロイド』『好き好き大好き』『赤い戦車』もちろん『諦念プシガンガ』そして近年Vampilliaのアルバムにヴォーカルで参加した『Lilac』どれも聴きごたえがあった。高音域が出ないとか昔と違うとか、そんなことは何の問題にもならなかった。
アンコールでパンクverでも歌われた『蛹化の女』の「それはあなたを思いすぎて変わり果てた私の姿」『好き好き大好き』の「愛してるって言わなきゃ殺す」『Not Dead Luna』の「私は死ななかった 死にゃしなかった」といった歌詞の数々、若い頃の勢いと演劇的歌唱力で歌い切られていた部分がもっと素朴で率直な声として、経年の厚みを含んで届く。若い子たちは純ちゃんかわいーとか叫ぶ。私もミーハー心に動かされて足を運んだ訳だけれど、戸川純がすぐ目の前にいるという事態が了解されたあとは、声が昔のように出なくても、立っていることがままならなくても、人前に立ち続け観客を魅了する、この熟練や洗練という言い方からはみ出す現在進行形の力は何だろうと思っていた。
若い頃から一緒にやっているバンドメンバーもそれぞれ白髪混じりになっていい顔をしている。いくつになってもできる限り続けてほしい。若くして開花し人気を博したアーティストがその場限りの消費に終わらず、年月を経ても作った楽曲を介し表現を熟成させることができるのは、時の花だけでなく深く根差すものが音楽の根幹にあったからに違いない。
改めて2016年にリリースされたアルバムのタイトルが『私が鳴こうホトトギス』であることに感動する。鳴かぬなら、殺すのでも鳴かせてみるのでも鳴くまで待つのでもなくて、戸川純は、私が鳴こう、なのだ。今回このアルバムのタイトルチューンである『私が鳴こうホトトギス』は歌われなかったけれど、歌詞にある「門前に習わぬ歌を」「何年経っても鳴いていよう」ライブではまさにそれを聴いていたように思う。
戸川純にはアイドル的女優的側面と、表層的な振る舞いや他者による演出だけでは消費され尽くされないものがある。生命維持より余分な血が余るのだ。歌は血の余剰のように感じられる。だから印象が赤い。器である楽曲は年を経てもこの先も、声を注げば血はめぐり、息を吹きかえし続けるだろう。