荷造り再び

hutatabi

去年12月に引っ越したばかりだけれど、また引っ越すことになった。いろんな条件を満たす家が見つかってしまったからで、物件はタイミングだからこれはもう縁だと思った。
それでアパートの部屋に腰を落ち着けている様子の物をまた移動させなければならなくなった。

食器棚の食器をテーブルに全部並べて古新聞で包んでいく。新聞紙の手触りとインクのにおいには親近感がある。父が新聞社で働いていて、この新聞はお父さんが作ったと聞かされて育ったせいだ。今でも新聞は父の製作物に思え、電車なんかで読んでいる人を見かけると自動的にうれしくなる。
父の新聞に包まれている食器の多くは陶芸をしていた祖父の作った器で、祖父本体は25年前に亡くなっているけれど、孫は祖父の手による抹茶茶碗でグラノーラを食べたり、菓子鉢でタイカレーを食べたりしている。グラノーラもタイカレーもたぶん知らない祖父の好物はゴーフルだった。
器、新聞、度重なる引っ越しに困窮する末裔。

5ヶ月暮らしたところは醍醐という地名で、住所として何度も書く必要がなかったら一生そらでこの漢字で書けなかった自信がある。隣の部屋の住人とは一度も顔を合わさないままだったけれど、近所の河川敷でヌートリアを見た。醍醐というのはチーズに似た食物の名前でもあるらしい。チーズというところに住んでいながら発酵する間もなく出ていく。

前の引っ越しでいらないものは捨ててきたので、今回は物を段ボールに詰めるだけだからそれほど時間もかからない。
できるだけ持ち物を減らそうと思っても、生きているとそれなりの分量にはなっていく。もう読まないかも知れないのに手放す気にはなれない本や、数ページで挫折した哲学の本などが本棚に残る。並んだ背表紙の題名や著者名を眺め、部屋にあるものを見渡してふと、私というのは私以外のものに形づくられているものだと思う。くっついたりはがれ落ちたり削れたり、また別のもので埋まったり風化したりしながら延々形の決まらない粘土の塑像のような。
それ以前の、そもそもあった私というのが、あるとすれば、塑像の最初に粘土をつけるために立てる棒みたいなものだろうか。芯の棒。芯というほどしっかりしたものでもない気がする。彫刻でその芯になる棒は心棒と呼ばれている。芯と心。
芯というよりはもっとつかみどころのない、ドーナツの穴みたいなものを思い浮かべる方がしっくりくる。穴自体には何もないけれど、ドーナツは穴によってドーナツたらしめられ、周りを囲われることによって穴は穴となる。穴自体に内容はないし、穴は意志によってそうなったのではない。穴はないけれどあって、あるけれどない。それで私はドーナツを食べるのが好きなのでよくミスドにいく。最近は成城石井にあるドーナツ型のホットビスケットが気に入って毎日それを食べている。穴はしかしそれぞれの磁気を帯びるのか、その周りに引き寄せられるものは異なっている。

私の発生した地点から考えてみてもそれは他者に委ねられていて、こうして使っている言葉も私のものではない。けれどそれを使わなければ考えることもできないし、こうして読まれることもできない。まるで他者によって作られていくよう仕向けられた場所としか思えないような開かれ方をしながら、人はそれぞれの体を持った個別の孤独でもある。四角い段ボールに囲まれながらそれはとても奇妙だと思った。

メイプルソープとソフトクリーム

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毎年この時期京都ではKYOTOGRAPHIEという国際写真祭が催されている。約1ヶ月のあいだ、市内にあるギャラリーや寺院、普段は非公開の歴史ある建物などに点々と国内外の写真家の作品が展示されていて、パスポートを買うとその全部を見ることができる。パスポートは期間中有効なので時間の隙を見つけては、今日はこの徒歩圏内を攻めよう、というふうに毎年巡っている。
去年の展示では、はじめて自分で写真集というものを買った思い出のサラ・ムーンを久々に見て、根本的な好みは高校生の頃とそれほど変わっていないことを確認し、一昨年はそれまでまったく知らなかったロジャー・バレンという写真家の作品に電撃的に出会い、惚れ込んで買った写真集は今も時々眺めている。

KYOTOGRAPHIEは見る人によってそれぞれ異なる順路を辿ることになる。連続的に見ることでその前後の印象も連れて歩くわけだから、同じものを見てもどこから来てどこにいくのかによって、受け取るものも微妙に違うだろうと思う。
今年の展示にロバート・メイプルソープの作品があった。著名な作家であるし、写真集で見たことくらいはあって、リサ・ライオンの鍛え上げられた肉体は忘れられなかったけれど、取り立てて好きという訳でもなかった。
けれど写真集を眺めるのとプリントに対面するのとは同じ見るでも違う。特にチューリップを撮っている写真には圧倒された。白と黒のコントラストと構図の緊張感のなかに捉えられた一瞬には、1ミリも動かしがたく永遠に残存する美しさ、というような言葉で言いたくなる絶対的な強度が与えられていた。花はその後枯れたに違いないけれど、そんなことを想起させないくらい、ひとつの形状として定着したものの永続性が勝っていた。何か、完璧というものを見た思いだった。赤白黄色が並ぶプランターのチューリップはにぎやかすぎて遠巻きに視界に入れるくらいだったのに、その花の印象さえ少し変わった。自分の目では見られなかったものを、他者の視線を介して見られたものから、見知ったものの見知らぬ姿を知らされる。

会場を出ると昼過ぎの太陽が街の全面を隈無く照らしていて、汗ばむ陽気だった。室町通から歩いてすぐの元・新風館に向かって烏丸通に出ると、ミニストップが見えた。最近できたのだと思う。ミニストップと言えばソフトクリームが思い浮かび、アスファルトの照り返しに足元が浮かされて、気付けばレジの前だった。店員はたぶん入ったばかりの不慣れな男の子で、慎重に作られたソフトクリームはかなり標高が低かったけれど、店の外にテーブルと椅子が置いてあって日陰でありがたかった。メイプルソープとソフトクリームは語感が似ている。どちらにも甘みとホイップ感がある。メイプルソープ/ソフトクリームと何度かつぶやいてみた。つめたいバニラに舌が冷える。

新風館はこのあいだまで商業施設だった。外側は残っているけれど内装工事は途中段階で、コンクリート塀があらわになっている。2階にあったレストランのスイーツが驚くほどイマイチで気まずかったことや、あの辺にビームスがあったなと思い返す。
廃墟の一室に吉田亮人という写真家の、従兄弟と祖母を撮った写真が展示されていた。従兄弟は生まれた時から祖母と一緒に暮らし、成人以降も80歳を超えた祖母の介護をしながらふたりで生活していた。写真家はふたりの生活風景を追い続け、従兄弟と祖母は家の中で寝転がったり、食事したり、お風呂に入ったり、ふざけて笑ったりしている。そんな写真の様子からは、ふたりのあいだに結ばれていた日々のおだやかで温いものが感じられる。けれど23歳になった従兄弟はある日突然姿を消し、約1年後に山中で遺体となって発見された。失踪の動機も死の理由も不明のまま。祖母は待ち続け、従兄弟が発見されたしばらくあとに亡くなっている。
そういう物語を背負ってしまった写真を、その背景から切り離して見ることは難しい。写っているものを介してそこに写っていないものと、背後の時間に想像を及ばせようとしてしまう。けれど写っているふたりはそれ以上何も語らず、見る者は写っているものと起こったことの断絶を前に立ち止まるしかない。宙づりにされた心境になる。見ながら泣いている人もあった。
写真には切り取られたふたりの像と、まるで重ならない物語が二重写しになっている。それは作家の意図を越えた写り込みで、重ならずブレ続け、見る者に揺さぶりをかける。写真を見るとは一体そこに何を見ているのか、という問いが浮かんだ。
ついさっき見たメイプルソープの写真に感じた、その他の可能性や写真が撮られた背景を想像させない隙のなさ、物語を受け付けない1枚の強靭さとは異なる写真のありようで、それが写真でありモノクロであることくらいは共通しているけれど、受け取るものの質が真逆と言っていいほど違っていた。作品受容のコントラストで脳内がハレーションを起こし、ちょっとチカチカしながら歩く帰り道、iPhoneで撮った地面。

春と灰汁

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花や新芽の吹く勢いは桜並木や空き地の草花だけでなく、スーパーの青果コーナーに並ぶ野菜も、春キャベツ、レタス、そら豆、新じゃが、新玉ねぎ、花の咲いたブロッコリー、青い葉もの、年中見かけるものも皆どこか活気付いている。そんな野菜の群れのなか何を食べようかと行ったり来たりする。ウスイエンドウが出ているので豆ご飯もいいなと思いながら竹の子がふと目に止まった。
竹の子とは要するに、将来竹林をなす竹の1本になるわけだから、野菜というよりやはり木の部類で、あれだけ背丈の伸びる力が潜在するものを食べるのかと思うとちょっと愉快になってくる。
子供の頃、季節になると必ず一度は若竹煮が食卓にあがった。特にうれしいとも思わず地味なおかずとして柔らかいわかめの絡んだ竹の子を食べていた。けれどそれが毎年繰り返されたから覚えているのだし、何気ないふうに季節の献立があった幸せに気付くのはそれなりに歳を取ってからだったりする。
竹の子は食べるのに手間がかかるけれど、去年は下茹で済みをもらって楽をした。家にちょうど2合ほど残っているもち米を使って、大きめに切った竹の子がごろごろ入ったおこわにしたらさぞ、と想像したらどうしても食べたくなった。それほど大きくない竹の子と傍に小分けで売っていたぬかを買い物かごに入れた。

竹の子の皮を剥く。全部は剥かないで少し残す方が風味よく茹で上がるらしい。竹の子の根元にあるぶつぶつは、ナウシカに出てくる王蟲の目が赤いときを彷彿とさせる。細かい粒の寄り集まりが苦手なのでちょっと気持ちが悪い。茹でる前に半目で見ながら削ぎ落とす。ぬかをお茶パックに入れて水の中で揉み、水を濁らせて竹の子を沈め火にかける。普通の鍋だと下茹でに1時間くらいかかるけれど、圧力鍋だと10分加圧くらいで済む。香ばしいにおいがしてくる。鍋の圧力が抜けた後も4時間ほどそのままにしておく。冷めた頃に蓋をあけて竹の子を取り出し、皮を剥がすと柔らかな白い肌があらわれる。
ほんとうはその後一晩水に漬けておいた方が灰汁は抜けるようだけれど、それを知らずそのまま一口大に切って出汁で少し煮て、冷ましてからもち米と炊こうとした。
出汁で煮たものを味見してから気が付いた。舌がぴりぴりする。どうやら灰汁が抜けていない。もうひとつ食べてみたけれど誤摩化しようがないほどぴりぴりする。せっかく茹でて味まで付けたのに食べられないのは辛いので、リカバーする方法を検索した。
すると同じように悔いている人は世の中にたくさんいて、おかげで解決方法もすぐに見つかった。バターで炒めるとえぐみはほとんど消えるという。さっそくフライパンにバターを溶かして竹の子を炒める。ほどよい焦げ目がついて香ばしさが引き立ったおいしそうな見た目になった。食べてみるとほんとうにえぐみは抜けていた。それで無事に念願の竹の子がごろごろしたおこわができた。苦肉の策で炒めた竹の子はうっすらバターの風味をまとって、もち米の甘みと出汁と醤油と相まって功を奏してもいた。
山菜や野草、春のものはクセや苦味のあるものが多いけれど、目に見える芽吹きの勢いに簡単に御せない力が含まれていることは、花を見ても道草を見ても頷ける。生き物には春に促される受動の力が備わっているように思う。陽気に体がゆるまって肺にたくさん空気が入り血がめぐる。血に促された恋猫の鳴き声が町内に響きわたる夜。

襖の張り替え

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引っ越して以来、襖を張り替えたいと心のどこかでずっと思ってはいた。もともと張ってあるのは、引手のところに紺色の帯が入っている紺手引帯という襖らしい柄で、特にそれが気に入らない訳でもない。遠目にはきれいに見えるけれど、近くで見ると何の飛沫なのかわからない茶色い液体の跡が引手より下の白地全面に散っている。それは例えばコーヒーやお茶をこぼしたというよりは、細い管のようなものを切って中を流れる液体が勢いよく飛び散ったような、細かい飛沫の跡だった。その下の畳はわりと新しく何の痕跡もないけれど、もしかするとこれは血飛沫なんじゃないかと引っ越してすぐの頃は疑っていた。舌先をちょっと噛んで痕跡の横に少し血を付けて乾いた後色を比べてみたりしていた。それほど神経質でもないのにそんなことをしていたのは、この部屋の戸棚の奥から某組の組長の名刺が出てきたせいもあって、流血沙汰でもあったのではないかと妄想したからだった。それに4枚の襖のうちの1枚は内緒で連れ込んだ猫に破られているし、遅い桜も満開の春の陽気に誘われて、襖を張り替えてみる気になった。
歩いてすぐのところにホームセンターがある。朝の6時から開いていて、大工さんたちが現場に行く前にそこで必要な物を買って行くらしい。だから建築資材の数は豊富だけれど園芸コーナーはない。襖紙の売り場には切手のように濡らして貼る再湿タイプ、粘着シートタイプ、アイロン接着タイプなど部屋をのりでべたべたにしなくて済む便利でよさそうな商品がいろいろある。いちばん簡単そうなのはアイロン接着タイプで、これなら枠を外さないまま貼付けられる。けれどせっかく襖を張り替えるなら枠は外してみたかった。面倒に思うのはのりだから再湿タイプを張ることにして、刷毛やバール、スポンジがセットになっている襖張り替えセットと、白のエンボス加工になっている細かい不規則な格子模様の襖紙を2巻抱えて家に戻る。
必要そうなものは揃ったけれど、やったことがないので何もわからない。とりあえず動画を検索して手順を見る。まずは枠を外す。襖は上下それぞれ2カ所だけ釘が打ってあるので、まず上の枠を持って少しゆすりながら引っ張り、出来た隙間にバールを差し込んではずす。下も同じようにはずし、両横ははめ込まれているだけなので端を金槌で叩いてずらすと簡単に外れる。次は引手の部分。引手は上下に1本ずつ釘が打ってある。襖と引手の隙間にバールを差し込んで少し浮かせ、釘の頭が出てきたらペンチで引き抜く。襖紙は3枚くらいなら剥がさずに上から貼っていいらしい。今の襖の下もう1枚古い紙が貼ってあるのがわかった。いつ張られた紙だろう。新しい襖紙をサイズに合わせて切る。巻き癖のついた大きな紙を扱い慣れないので何度も巻き戻る紙に地味に苦戦しながらなんとか切って、水を含ませたスポンジでのりの付いた面を濡らしていく。湿した紙は水を吸って伸びる。そこへ襖を乗せてひっくり返す。襖を乗せて、と簡単に書くけれど、狙った位置にひとりで襖を乗せるのはなかなか難しい。どこを持ってどう置くのがいいかと妙な中腰の体勢で、身の丈より大きな長方形を抱えて困りながらしばらく右往左往する、という動作を含んでいる。刷毛を使いながら表面のシワを軽く伸ばし、後は四方に余った紙を切って側面をきれいにしたら乾かす。貼ってすぐはうまくいったかどうかわからない。刷毛でシワを取っても紙自体は水で伸びてたわんでいるので所々浮いている。動画では乾くとピンと張ると言っていたけれど、あらゆる工程で手間取ったのでうまくいった気がしない。とにかく乾くのを待つ。
数時間後、紙はみごとにぴったり襖に張り付いて、襖になっていた。私の腕というより紙と水の仕業という感じがしたけれど、うれしくなって急いで枠を取り付け、引手をはめ込む。引手の釘が金槌ではものすごく打ち辛い。動画に出てきた引手釘打ちという道具は襖張り替えセットに入っていなかったから、なくてもなんとかなるのかと思っていたけれど、むしろ必須アイテムで、襖張り替えセットに引手釘打ちを入れていないのは手落ちではないかと思う。またホームセンターに走る。この引手釘打ちというちょっとした道具が如何に素晴らしいかを襖を張り替えた人は思い知るだろう。
要領を得た2枚目以降は早かった。
こうして無事部屋の襖は張り替えられ、部屋はワントーン明るくなって春を迎えた。

賞味期限

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半月ほど家を留守にしていて久々に帰ってきた。日に日に春の増す日差しに促され、半月前は葉が伸び始めたくらいだったベランダのニオイスミレは一気に濃い紫を咲かせていた。顔を近づけると白粉のような粉っぽいにおいがする。3月初旬に蕾のいくつか開いたのを見届けて出たクリスマスローズは満開になっていて、俯きながらも茎はかなり伸び上がり、去年の冬の手入れを怠ったのでちゃんと育たないかも知れないと思っていたばらも葉数を着々と増やしている。不在のあいだに活気づいたベランダの様子にやや浮かれながら覗いた郵便受けの中身は公共料金などの払込用紙が主で、浮かれたものは引き戻される。

冷蔵庫には味噌と酒粕と玉ねぎと、どうしても食べきれなかった納豆1パックと卵2個が残されたまま時が止まっていた。納豆の賞味期限は3月9日で、20日以上過ぎているけれど、開けて様子を見て嗅いで大丈夫そうだったら数字はあまり気にしない。たぶん胃腸が強いので多少のことでは揺るがないと過信しているところもあって、いつか痛い目にあえばこの思い込みを悔い改めると思う。

例えば実家の台所の戸棚の奥に忘れ去られて賞味期限が年単位で過ぎた鰯や鯖の缶詰が出て来た場合にも、そういうものはつまり今後も開封されることなく缶に詰まった魚のまま戸棚に仕舞い込まれ続ける運命にあるので、不憫で持って帰ってきてしまう。缶詰は確か賞味期限が相当過ぎていても大丈夫、と昔テレビで聞いたことがある。
2年物のさんまの味噌煮を開けてみた。缶を開けると猫が走ってくる。猫は普段ドライフードを食べていて猫缶は時々しかあげない。その時々のそれだと思って缶を開ける音をさせるとこの現象が起こる。煮干しをあげてごまかす。煮干しを食べたあとで顔を上げて違うと鳴く。
さんまは見た感じも臭いも問題なさそうなので缶のままコンロの弱火にかけて温める。そのあいだに冷凍ご飯を温めなおし、残り野菜をぱさぱさ切ってみそ汁を作る。缶のままお膳に並べるのはさすがに貧相だったので、器に盛りなおした。
戸棚での永い眠りから目覚めたさんまの味噌煮は、そんなブランクを感じさせない湯気を器から立ち昇らせている。箸をつけても食べ物として平然としている。缶詰の味噌煮の味の安定感は賞味期限2年過ぎていることを悟らせる余地がない。あまりに何事もない。けれど調味された食べられる魚の状態が缶の中で数年も維持されるとはどういうことなのかと思うと、食あたりと別の意味で頭がくらっとする。背骨が実際骨だったこともすでに忘れ去ったように口の中でもろもろ砕けて喉を通っていく。骨の髄まで味噌に漬かり過ぎてこのさんまは海のことなんかもう思い出せないだろう。それでもこれは魚だった、缶の中でいつまで、どこまで魚でいられるのだろうか。銀色の皮フは所々まだ残っているけれど。どこかの海で釣り上げられて加工され、缶の中で眠りについて、死んでから数年経った生き物を食べるのは墓を掘り返すようで、それが現在時の私に混ざり込むのはちょっと妙な感覚になる。胃袋で食物と時差が溶かされて取り込まれる。どこか不気味で愉快でもある。
そんなことを思いながらもひたすらごはんが進むのは、味噌煮の味がとにかく、濃いからだった。

キノサキにて2

kinosaki2

こんなタイトルを付けているのに志賀直哉の『城の崎にて』を読んでませんというのはやっぱりあれだという気がして後追いで読んだ。
城崎にて、というからには温泉街のことが主に描写されているのだろうと思っていたらそうでもなく、志賀直哉自身の体験をもとに書かれた、生きていることと死についての短い随想だった。
主人公はまかり間違えば死んでいてもおかしくない電車事故に遭い、背中に負った傷の予後のため湯治に来ている。3週間城崎にいたとあるけれど、今回用があって来ている私の城崎滞在も約3週間だった。

いま温泉街に来ている旅行客は、観光で訪れるから数週間滞在することは稀だろうし、日々の疲れを労うくらいでお湯に治癒の効能をそれほど求めてもいないけれど、城崎の歴史の本をパラパラめくっていると、日露戦争のあと城崎に療養所が作られたこともあって、傷病兵やその家族で賑わった時代もあったという。そうやって長期滞在の団体客を迎える機会のあったことは、その後の温泉街の繁栄にも貢献したらしい。いまは特に春休みの若い旅行客で華やぐ通りは、戦地から傷んだ心身を連れて戻った兵隊さんでごったがえした時代もあったのかと思って見ると、賑わいもまた少し違って見える。そしてこの春休み期間とカニシーズンが終わって桜の季節に入ると今度は外国人観光客が増えるという。訪れる人によっても街は風景を変えるだろう。
『城の崎にて』の主人公は事故にあったけれど取り留めた命と湯治の日々を過ごしながら、騒々しい巣の前で静かに横たわる一匹ハチや断末魔でもがく串刺しのネズミ、といった小さな生き物たちの死、死んでいくさまを目にする。不意に投げた石が偶然当たって殺してしまったイモリの死は、偶然生きている自分の生に重なり、自分がイモリのように思えてくる。事故で死ななかった自分のあること、生きていることのすぐ傍に死のあることを感じ、傷を負うそれまでは恐らくもう少し確固たるもののはずだった自分自身の境界がゆらいで、小さな生き物たちの息の喪失や息づかいが入り込んでくるようになっている。湯治という取り立ててすべきことに追いたてられない余白の時間は細やかなものへと視線を誘い、ただ生きているということが賛美に彩られることなく描写されている。『城の崎にて』はそういう小説だった。
志賀直哉が城崎に来て最初に入ったという御所の湯に浸かりながら、生きていることの裸身を思った。

キノサキにて

kinosaki

先週の頭から城崎にいる。城崎といえば城崎温泉。
温泉街の真ん中には大谿川という川が流れていて、枝垂れ柳に石橋の掛かる風情ある川を挟んだ両岸にいくつもの旅館やお土産屋、食べ物屋、7カ所の外湯があり、旅行客はそれぞれに浴衣を着て湯巡りをする。若い女性向けには何種類か好みの色柄の浴衣を選ばせてくれる旅館もあるようで、3月は春休みの卒業旅行なんかで女の子や若い恋人同士が多く、色とりどりに下駄の音を響かせて外を歩いている。夜になって街灯の下、照明装置が灯れば特に浴衣姿の人びとが行き交うところに混ざって旅情風景に溶け込める。特に下駄は普段履いている靴と足下の感覚を大きく変えるから、いつもと違うところを歩いていることが身体的に作用するし、慣れない鼻緒が痛いのも含めて高揚感がある。少し履いて歩くといい音が鳴るようになる。地面との響きの心地よさに身を任せていれば、身に覚えがなくても体の底の方からどこかなつかしさを呼び出されるところもある。そんな音の出る履物をはいて実際その場所を歩くカランコロンと行き交う人たちのカランコロンは合わさり、街の風景に作用していることが実感できて旅行客はその合奏を楽しめる。温泉街はそういう非日常を旅させてくれる街になっている。
私は旅とは違う用があって来ているので旅館に泊まってもいないし、浴衣も持っていない。お湯に行ってもいちいち厚着している洋服を脱いだり着たり、スニーカーを履いて温泉旅行の色気もないので、そういうのを楽しむ人たちをちょっといいなと思いながら眺めている。
脱衣所は明るい声の女の子たちの会話と浴衣の色で華やぎ、旅館でいつもより豪華な夕食をとったあとのお互いに膨らんだお腹のことを笑い合ったりしている。銭湯だとどちらかと言えば歳を重ねた体とすれ違うけれど、20代そこそこの女の子がほとんどの風呂かのなかでは丸みと張りのある白い肌の輪郭が目にとまり、曲線が湯気にぼかされて浴室全体をまろやかに満たしている。洗面台に並んで座り友達同士シャンプーを貸し借りして香りや泡立ちの良さを讃え合っているその傍では、旅行客ではない近所の顔見知り、お互いの裸にも慣れている同士が泡立てた手ですでにいろんなものを背負ってきたのだろう背中を洗い合っている。露天風呂に浸かりながらするのは仕事の愚痴や恋愛の話、3月といっても日が暮れると外は冬のコートを着ないと寒いくらいなので、なかなかのぼせないから長話をしていく。ひとりで隅の方に浸かっている女の子は外で恋人と待ち合わせをしていて、自販機のアイスクリームをひとつ買ってふたりで食べながらお揃いの浴衣で宿に帰っていった。

周辺視野

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いま私が座っている六畳の部屋の目の前にあるものはノートパソコンの画面で、ワードの白紙にこう、打った文字が、並んでいく、のを、見ている。その向こうにぼやけているのは押入れで、焦点を画面からそっちへうつす。引き手のところを中心に20センチくらいの紺の帯模様が入ったこれぞ襖らしい襖が入っている。これは紺引手帯と呼ばれる柄で、紺の帯がよく触れる引手のところに重なって汚れが目立たないよう考えられたデザインだと襖のことを調べていて知った。4枚の襖のうちのいちばん右だけ破れている。猫にやられた。それを自力で張り替えられないかと同じ襖紙を探していた。けれどパソコンをひらいた当初の目的は襖紙を検索するのではなくてこのコラムを書くことだった。このコラムは週1ペースで書いている。1週間は7日ありその間にはどんな日々でも、特に何もないにしても何かはあったはずで、なのに書くことの糸口をつかめないことがある。今週は特にそうで、それにしたって仔細に日常を見つめれば何かあるに違いないと前向き方向にギアを入れたら、目の前の襖について3枚ほど書けたけれどなんか違う気がして別名で保存した。

ここから先はその翌日、四条大橋のたもとにあるドトールの2階から橋を渡る人を眺めながら書いている。何を書くのかまだ決まらない。書き甲斐や書きごたえのある題材というものが、自然と自分のうちに起こってくるならいいけれど、そういうものを欲しくなると書くこと自体より書くネタに振り回される。エピソードとして強いものを扱うときに動員する言葉の並びには安心感と依存したくなるところがあって、用心しないといけないと思う。そこばかりに気を取られると言葉が上滑りしていく気がする。何でもないようなことを何でもなく書くこと。もちろん書かれたものに何が書かれているかについて読む方は興味を持つのだし、書くことについて書いている、つまり内容としてはまるで何も書いていないようなこういうものを読んでもらっているという事態は、これを読んでいる時間は、どういうものなのでしょうか。とそわそわしてトイレに行きたくなり、席を立とうと後ろを振り返ったら、スマホケースも手帳カバーもかばんもスカーフもヴィトンのモノグラムで、その席はモノグラムの迷彩のようになっていて、ネックレスにもLVの文字がぶら下がっているモノグラムのおじさんが座っていた。その上読んでいるものもヴィトンのカタログで、近くにある路面店に行った帰りだろう。たぶん全身そうなのだと思う。コーヒーはドトールでいいのかこだわりはないのか、それとも問題はコーヒーやお茶する場所ではなくて、とりあえずいち早くカタログに目を通したかったのかも知れない。どうしても滑稽に見えるけれど、身を埋めてしまいたいものにそこまでしっかり埋まりながら息をしていることは容易にばかにできない気もしてくる。トイレから帰って来るとき目が合って逸らした。席に戻って逸らした目をパソコンの画面に戻すけれど、目はその向こうの窓の外、橋を渡る人をぼんやり眺めたがった。

土用と水用

suiyodoyo

2月の短いしっぽの端を見送る前に3月の頭はもうはみ出していて受けとめる間もなく春に押し出される、あるいは春が張り出してくる。春は張る、ハル、膨張する。木の芽をふくよかにする。
毎月1日は赤飯を炊くと年の初めに決めたので、3月のついたちを迎える赤飯を食べて過渡の季節に浮き足立つものの腹を据える。

今のアパートに引っ越して3ヶ月経って家が私に慣れた。周辺はこれまで住んだところと比べると良いとはいえない環境だと聞いていたので、最初は若干怖じ気づいてもいた。でも住んでみるとそんなに悪くもない。確かにパトカーはけっこうよく走るし、警察官が歩いて何かを聞いてまわっていたり、アパートの駐車場にたむろする中学生は吸殻といちごみるくのパックを捨てていくけれど。
NHKの人がやってきたのでテレビはないです見ますか、と言ったら笑顔で帰っていった。どうしてその仕事をやっているのか聞きたかった。午前中に4回ノックが聞こえたら宗教の勧誘。どうしてその神さまを信じられるのか聞きたかった。けれど聞いたら最後、聞いたことを後悔するほどそのことを話してくれるに違いないので、トーストを齧りつつ覗き穴からふたりの女性を見送る。
真下の部屋の人はベランダにずっとピクニックシートを吊り下げて部屋の中が見えるのを遮っているのに、ポストの扉は毎日全開の開けっ放しになっている。通るたびにそれを閉めているけれど、こう毎日開け放たれているということは、もしかしたら何らかの理由で開けておきたいのかも知れない。3つ先の部屋の人は玄関先に白い天使と赤茶色い大黒さまか布袋さまの置物を並べていて、しょっちゅう家具家電を運び込んだり運び出したりしている。その下の人は空き缶を集めている。私は内緒で部屋に猫を連れ込んでいる。

引っ越してすぐ100均で見つけて買って来た小さいサボテンはこの3ヶ月のあいだに大きくなったのかなってないのかよくわからない。水をやり過ぎるとだめになる代表格みたいなサボテンが実は水栽培できると知ってやってみたくなった。サボテンの根はどんなものかと引っこ抜くと、特に他の植物と変わらないものが生えていた。洗って土をおとし5ミリくらい残して根を切り落とす。
土から水や養分を吸い上げる根と水栽培の根が同じではだめで、直接水に浸かる生活に切り替えるために水用の根を新たに生やす必要があるらしい。それで一旦古い根を切る。切った根の先がぎりぎり浸かるくらいの水を張った瓶に入れて日当たりのいい窓のそばに置いておく。2週間過ぎた頃、砂つぶを掘り進めなくていいためか土用より繊細でよく見るとまわりに細かな毛の生えた眠たい触手のようなふわふわした根が水中に漂いはじめた。同じように多肉植物も水栽培できると知り、引っ越した直後はとにかく物の整理のためのケースのようなものを求めて100均に足繁く通っていたので、その度小さな植物コーナーでいきのいいのが入ったかどうかチェックし、小さい空き瓶で次々水栽培にした。

大きいのも見つけた。
駅から家までの川沿いの道の対岸に緑というより灰色がかかった青い葉の、周りの植物のトーンからちょっと浮いているアロエの化物みたいな巨大植物がある。ちゃんと調べてないけれどあれはアオノリュウゼツランというやつだと思う。漢字で書くと青の竜舌蘭。開花するまでに数十年かかり一度花を咲かせると枯れてしまう。その一生一度の開花のために5メートル以上の花茎を伸ばし、これでもかという高さに達したのちに黄色いこまかな花をたくさん咲かせる。去年市の植物園で20年ぶりに開花したとニュースで見てこの植物の存在を知った。
川沿いに潜むアオノリュウゼツランは葉だけで花茎は伸びていないからしばらく開花の見込みはなさそう。でも通るたびに日常の隙間に息づく奇怪な部分を見たくなる。あそこのドラゴンに。ねぎの突き出したスーパーの袋をカゴに入れて自転車を引き川沿いを歩いて会いにいくと、どこかから梅の香りが流れてきた。

クートラスの夜

coutelas

音楽家の友人にすすめられて京都の大山崎山荘美術館にロベール・クートラスの絵を見に行った。
クートラスは1930年パリで生まれ、ユトリロの再来と呼ばれ画商もついた画家だったけれど、風景などの売れる絵を描かなければならないことに苦悩して美術界から離れ貧しい暮らしのなか絵を描き続けた人。

初期の油絵、古典技法で描いた板絵、ガッシュで紙に描いた絵。クートラスが古城を持っている友人を訪ねたときに、そこに掛かっていたもう誰なのかわからない古い肖像画の並ぶ様子に心を惹かれたことをきっかけに、印刷屋でいらないポスター紙をもらってきて架空のご先祖さまの肖像画を何枚も描いたものや、街で拾った厚紙をまさにちょうどiPhoneくらいの大きさに切って下塗りをし、油絵で描かれたカルトと呼ばれる小さな絵がたくさん並んでいる。ひとつひとつは小さいけれど、それを20枚くらい縦横に並べて構成したものもある。カルトの隣り合った色柄のそれぞれは、関係しないまま関係を見出される兆しをはらんでいて、まるで占われる前の予感のままに置かれ、既知と未知のあいだで読み解かれない張力が維持されているようだった。クートラスが心を寄せていた古典絵画やイコンの面影を残したカルトには、その辺に落ちていた紙に描かれたとは思えない経年のトーンと神聖なものが呼び込まれ、一枚一枚に描かれたモチーフはどれも密やかな遊びに満ちている。大きく引き伸ばして描けば売れると人から助言されても聞かなかった。それらのカルトには「僕の夜」というタイトルが付いている。

何に対してどう祈らねばならないかは具体的に明かされないのに、祈る必要だけ抱えている人間のまっとうでささやかで、そう見えて根底にあるものは苛烈な日々の積み重なりを思った。祈る手を合わせるとき触れるものはなにか。
クートラスは55歳で自宅兼アトリエのアパートで死後発見された。最後の恋人は日本人女性だったけれど、その人とも距離を置きながら付き合っていたようで、恋人でさえ亡くなったことを人づてに聞いて知ったという。
出来合いの神さまでは足りなくて誰かを求めても埋まらない、どうしてもひとりでやらなければならないことがある。
クートラスは古城に掛かる古い肖像画を見たときに、それが誰であるとか何のために描かれたという目的も剥落しつつあってなおそこに人物の絵がある、ということの永遠性に魅せられたという。それは転じてクートラス自身が自己の有限性に強く触れたということではないだろうか。この画家はどんなモチーフよりもそのことに面と向かって描いていたのではないか。手の届かないほどの過去に筆先を向けることで現在を撼わそうとするかのように。絵を見ながらそうでなければ結晶しない個の純度の痕跡だと感じた。「僕の夜」、昼ではなくて。夜、暗色、暗転、暗くしないと見えないものがある。

クートラスのこととは関係ないけれど、病を得て余命宣告を受けた後の日々を生きている人の日記を読んでいる。その日記には装飾的に生を賛美することもヒロイズムに酔うこともない冴えた目で、命ある刻々の現在進行形があまりの素面さで綴られている。読んでいると気力や体力が徐々に減衰するなか、病床にあって時間を過ごす命ある状態と表裏の死が鮮明すぎるほど、ただ今ここにあること、にひたすら焦点が合っていくように感じる。命の終わりをすぐ傍に感じるから浮き彫りになるそれは、何より生きているということの常態だと綴られた言葉に照り返されて思う。日々の用事にかき消されて意識にのぼらなくなっていることがあるのを知らされる。
絵を見たことと日記を読んでいるふたつのことは関係ないけれど、私のなかで混ざって勝手に反応し、発酵して糠床をかえすように生きていることに手を入れさせたり、発光してよく見えくなっているものをふと照らしてみせたりする。