能 金剛流『道成寺』

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金剛流能楽師、宇高竜成さん主催の「竜成の会」で『道成寺』を観た。
「竜成の会」は年に一度開催されていて、今年で5回目になる。ご縁があってほぼ毎年拝見しているけれど、最初に演目についての解説があったり、その年の演目のテーマに沿ったゲストを招いてのトークなどが入る。例えば昨年の『谷行』では修験道がテーマで、それにちなんで修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)の弟子である五鬼の子孫にあたる方と仏師の対談、一昨年の『石橋』では獅子の親子を竜成さんの父である通成さん、弟の徳成さんの親子三人で演じられ、さらに能面作家の姉、景子さんが打った面を使用する実際家族総出での上演という、そこまで能に詳しくない人にも親しめるよう工夫されている。

今年も始めに『道成寺』の見どころをわかりやすく解説してもらえたので、まず茫漠とした心境でお能を拝見する、という強張った構えをほぐしてもらったところから上演を見ることができた。
前半は仕舞『鐘之段』と狂言『鐘の音』。『道成寺』にも有名な鐘入りの場面があるけれど、今回は他の演目も鐘で統一されてる。仕舞『鐘之段』では、ある詩人が「今宵一輪満てり 清光何れかの処にか無らん」という句を思いつき、うれしさのあまり真夜中に鐘を撞いて人々に咎められ「詩に狂ってしまいました」と答えた逸話があるらしく、子供を探す母親が三井寺にやってきて、その逸話を引いて鐘を撞くという一場面が舞われる。鐘は「撞く」もので「月」に縁があるらしい。そういえば精神に異常をきたす、常軌を逸するという意味のルナティックという言葉があるが、ルナも月。狼男も月夜に変身するし、月は古今東西どこか人を狂わせている。

狂言『鐘の音』では本来の言いつけである「付け金の値」を聞いてこいというのを「撞き鐘の音」と聞きちがえた家来が、鎌倉の寺院を巡って鐘の音を聴き比べ、主人に報告するというどうしようもない話で、そのどうしようもない話の道中に観客全員付き合っている状況がまずおかしく、内容はそんなふうでも狂言師の微妙な間合いの作り方、声と体の抑揚は観客を引き連れていく魅力を持っている。

休憩を挟んで『道成寺』。10代の頃、南座で坂東玉三郎の娘道成寺を観た。それがおそらく初歌舞伎で、とにかく豪華で色華やかで、坊主がたくさん、玉三郎は妖艶というくらいの記憶だが、歌舞伎や浄瑠璃は能の『道成寺』を元に作られている。『道成寺』は能楽師にとって登竜門となる演目で、そういう舞台に初めて挑むことは「披き(ひらき)」と呼ばれ、ひとつの節目となる。
能のどの演目でもそうだけれど、私はまず舞台上に大道具も何もないところから始まり、最後にまた何もなくなるところが好きである。本当は最後全員が舞台からいなくなるまで上演なので、拍手はいらないのだけれど、それを知らないと演者を拍手を送るべしと皆拍手をしてしまう。そうなるとあえてしないのも居心地悪いので、つられ拍手をしているが、本当は無音であの最後の時間を見ていたい。
『道成寺』の鐘は庭の番の役どころの狂言師によって運ばれてくるが、物語としても久しく鐘のなかった道成寺に新たに鐘が釣られる、というところから始まる。この鐘釣りのくだりが見ていてもなかなか大変そうで、地謡方、囃子方、ワキもワキツレも後見も、すでに20人近い人が舞台上に勢揃いしているところに担ぎ込まれ、2本の棒を使って狂言師2人で釣るそうとする。フックのついた棒は天井高くらいの長さがあり、舞台上で回転させることも他の出演者に当たらないよう慎重に動かさなければならないし、スムーズにいかない。そもそもスムーズにやることに無理がある。そこが人間的な笑いを引き受ける狂言師の役割になっているのは、演出的に考えられてるなと思う。どうにか鐘は釣るされた。白拍子(男装で舞う遊女)のシテがやってくる。寺の中は新しい鐘の供養の期間女人禁制だと門前払いされるが、面白い舞を舞うからと説き伏せて白拍子は中に入れてもらう。
烏帽子を被った白拍子の「乱拍子」が始まる。「乱拍子」とは、シテと小鼓が1対1で間をはかりながら小鼓に合わせ一歩ずつ三角に回る、という白拍子の芸を元に考案された動きで、かなり大きな間をとる。なので動きというよりシテは止まっている時間の方が圧倒的に長い。昔ラジオで放送された時は、無音の時間があまりに続くので放送事故と思われたという。
会場全体が固唾を吞んで静止の時間に同行する。小鼓とシテはどうやってタイミングを合わせているのだろうと見入る。耳をすますと小鼓を打つ前に鼓の紐を引き締める音が聞こえるので、シテはこれを聞いているのだろうかと思っていた。実際には両者の呼吸の回数を合わせていると後から伺った。常に音に反応するアンテナが張り詰められているのは2階席から見ていてもわかる。
ポンという音と共にシテの爪先がツッと上がる。そのまましばらく静止、でまたポンと鳴ると爪先の角度がツッ変わる。それくらいミニマルな動きで、シーンとしては30分くらい続く。舞台上のその他の出演者はその緊張の中に座したまま。こんな挑戦的な演出があるのかと感心していたけれど、道成寺が作られた当初の乱拍子は現在の倍の長さがあったそうで、さらに驚く。でも能にはどこかそういう挑発的な精神があったのかも知れない。私は囃子方の声をどうしてもシャウトと呼びたくなる。
静寂の乱拍子の後は急に加速する「急之舞」そして鐘の中に入る「鐘入り」と見せ場が続く。この鐘に入るところは流派によって入り方が違うそうで、金剛流は烏帽子を脱ぎ捨て斜めから飛び込む。シテも鐘の綱を握る鐘後見も絶対にタイミングをはずせない。能では本番までに装束や面をつけた状態で稽古をしないので、稽古段階と本番では視界も衣装の重さも違うし体感的には相当な差があると思う。本番中の意識は役どころに集中しつつ身体感覚は微調整を絶え間なく行いながら動いているのだと思う。装束は装飾的な理由だけでなく、表面張力のようにギリギリの状態に立たせる装置として機能しているようだ。
竜成さんは今「風姿花伝」でいう能楽師の絶頂期の年齢に近い。20代の頃の舞台を拝見したこともあったけれど、声の響きや動きのキレ、静止の間にもただ止まっているだけではない充実を感じた。ひとりを何十年も観続けることができるというのも、長く舞台に立ち続けることのできる表現だからできることで、同じく加齢していく観客としての自分自身の時間感覚や、受け取れるものの変化も感じられるのではないだろうか。

能にはカタがあるけれど、決まった習得方法がなく、師匠によってそれぞれの方法で伝達されるものだそう。カタはまず自分の外側にあり、はじめは体に沿わない。けれど、何度も反復しているうちに自分の体に沿っていく。それは例えば私自身も俳句やカタの踊りをしていて実感するところである。そのことを竜成さんは無鄰菴の小誌インタビューで「ファッションに例えるとプレタポルテでなくオートクチュール」と話していた。「自分の体にぴったり合ったものでないとカタとは言えない」と。

主観的な体感の基準から一旦離れて、別の形式をインストールし、日々変わる体と共に何十年もカタと過ごす。それは自分に外部の視線を挿入することと重なる。そこからようやく自分の形状が見えてくる。この見えてくるという感覚は「離見の見」にも関わると思う。能以外の芸能、現代演劇やダンスでも、演者は舞台上にいる自分の姿を演じつつ見る視線を持っているけれど、竜成さんは上演の時間に限定せず「自分が死んだ後の世界や生まれる前の時間のことを想像することも、一種の「離見の見」だと思います」と語る。これはすでに死者となった体に引き継がれてきたカタ、まだこの世にいない人にも受け継がれていくカタを身体化することから実感された率直な言葉であると思う。上演の外の時空にも離見の見が、演技の範囲よりも広がっていく。
カタは強固な価値観のようで、けれど本質的には定型ではない。ひとつの視点を定めてくれるものではあるけれど、少なくとも人間を定型化するようなものではないと思う。おそらくその逆なのだ。目に見えて逸脱したことをやろうとしなくてもよい舞や踊りは、人間は定型のカタになど収まらないということを、理屈でなく気づかせてくれる。

信田さよ子『〈性〉なる家族』

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新刊タイトルのなかで一際目を引いた『〈性〉なる家族』。
そういえば血縁のある家族というのは、脈々と引き続いてきた生殖の、性なるものの賜物、とも言えるけれど、性的な事柄は家族間ではなんとなく積極的に話題にしないことになっている。性的に目覚める年齢に差しかかった子供に、パートナーとの間に発生する様々な事柄について、性欲について、セクシーさのイメージと色気の本来について、普通に話すことができる家庭の方が少ないだろう。性的な事柄は知るべきこと、問われるべきことまで大雑把にモザイクがかかったままになっていることが多い。
『〈性〉なる家族』では臨床心理士である著者のカウンセリング経験などから性虐待、DV、セックスレス、不妊治療、セクハラ、戦争神経症など広範囲に触れながら「家族のなかに置き去りにされたもの」の中を覗き込んでいく。
家族のなかに置き去りにされたものとは何か。子供は物心着くまで基本的に接するのは親であり、世話をされながら人とはどういうものなのかを肌で受け取り、記憶に書き込んでいく。幼少期の親子の関係は圧倒的に親が力を持つが、保護者と被保護者の間柄は時に歪んだ形の力関係としてあらわれる。力のあるものが立場の弱いものに対して、支配的に振る舞うという構図として。
例えば父親の女児への性虐待は、可愛がりの延長で体に触れることが性的な接触に変質し、場合によっては慢性化する。性交に及ばなかったとしてもそれは当然性虐待と呼ばれる。女児にとっては自分が何をされているのか分からない。けれど最も信頼を寄せる人間からの行為であり、父親から秘密と言われる場合もそうでなくても、女児の多くはそのことを黙っているらしい。子供であっても日常とは雰囲気の違う過度な親密さの圧力は、どこか危ういもの直感するのではないだろうか。ちなみに「母親から性行為を迫られた」とカウンセリングセンターにかかってくる電話はほとんどがいたずら電話であるらしい。そしてそのことでカウンセリングに来談した男性はひとりもいないという。
物心がついて行為の意味を理解したとき、親子の関係として愛されていたはずの相手に自分は虐待と呼ばれることをされていたと知る。加害者がいくら可愛がりの延長で、傷付けるつもりでなくやったと言っても、被害者にはまぎれもない性暴力として、人を信頼するための基礎を揺るがし多大な影響を与える記憶になる。殴る蹴るの暴力と異なるのは、痕跡がなく自覚的に説明できるようになるまでに十数年の時間を要すること、また証言への抵抗感と、証言されても証拠がなく、加害者の方が記憶にないと言ってのけたり、歴史的には訴え自体が妄言とされ、むしろ娘の精神状態を疑われるなどして、なかったことにされるパターンが多かった。被害者はそれでも自分は愛されたのではないかという思いと、あれは暴力だったという思いに引き裂かれる。体が傷そのもののように感じられ、汚れたという体感を拭えず、自暴自棄に陥ることもある。
性的に成熟していない子供の体に一方的に触れる、触れさせることは例え泣き叫ぶように抵抗しなかったとしても同意にはなり得ない。しかし同時に同意がないことそのものや、幼い体への欲情が存在すること自体をどうすればいいのだろうと思う。行為となることを規制することは出来ても、惹かれてしまう心そのものは規制できないのではないか。当然、欲望のために誰かを犠牲にしてはならないことは前提として、規制の言葉で抑え込めないものがあるということは認めなければならない。惹かれてしまう自分を、誰も傷つけずに守っていくことは出来ないのだろうか。そういう観点から言うと、フィクショナルな世界で表現されるものまですべて取り締まろうとすることには疑問を感じる。

表立って出てこないものも含め「家族」であるから許される、という幻想の場において力の犠牲になり、抑圧されてきた立場の弱い女性や子供がどれほどいたことか。この本を読みながら飲み込まれた数知れない声の行方を思った。
女性に焦点を当てれば、自分のことより家族のことを優先し、耐え、許し、穏やかでいることが良しとされる良妻賢母のイメージは、変わってきているとはいえ、まだ根強くその女性像への期待と刷り込みが残っているのではないだろうかと世の中を見ながらしばしば感じる。「家族」という枠組みのなかで、妻、夫、子、父、母、など単に役割を担う人物としての距離でしか見られなくなった時、ひとりの個として、感情を持った他者だということを忘れて相手を扱ってしまうことがある。家族やパートナーは自分に従属するのもではないし、子供は親の所有物ではない。当たり前なのに人は時に勘違いを起こす。家族のなかに置き去りにされたものとは、犠牲を黙認する形で維持され、それを容認し、都合の悪いことはないものとして思い込める形骸体質ではないだろうか。

そしてきっと女性だけでなく、男性も男らしさの引き受けによって歪められている。先月起きた川崎殺傷事件のあと、こういった通り魔殺傷事件の犯人がなぜほぼ男性なのだろうと考えていた。近年起こった無差別殺傷事件をいくつか調べながら、背景はそれぞれ異なるとしても、暴力として表出せざるを得なくなる抑圧にはどこか「らしさ」の問題が関わっているのではないかと思った。いわゆる男らしさの像は悲しみや恐怖を露わにしない、力強い、正義、勇敢等の言葉で形容される。そうあろうとすればするほど、悲しみやさみしさ、劣等感を感じても、否定しなくてはならなくなる。生きていれば誰でも味わうに決まっているそれらの感情とは、都度手に取り付き合っていくしかないけれど、男らしさの要請によって、そういう心の時間が剥奪される、ということが起こるのではないだろうか。例えば心が感じている痛みは事実であっても、手段として素直な感情表現も言語化も選べなければ、行き場のない感情を怒りに寄せて暴力の行使に変換してしまう。歪んだ強さや正義として表出する。それはつまり考えなくなるということ。
そもそも物事をつぶさに感じるようできている心に蓋をすることで、痛みや恐怖を感じなくなり、同時に他者の痛みを想像することもなくなって、やがて加害者になれる。兵士を養成する場合などあらゆる洗脳は、こういった鋳型に人をはめ込んで自分で考える隙を与えず不感の状態に矯正していくのだろう。
男性が潜在的に持っている体の力を発揮することで発散される回路があったとしても、力の行使によって評価され、存在が認められる、優位に立ち、他者を従属させることが価値であり快楽であると、体の性質から引き出され、強化されたイメージをそのまま身体化してしまうことは間違っている。女性が備えている受容性につけ込んで、抑圧と忍耐が当然のことのように押し付けられてきたのと同じく間違っている。これがあらゆるジェンダーに関わる問題の根ではないかと思う。
家族の中の問題を見ていくと、社会の中で問題になっていることとそのまま重なる部分がある。押し付けられた「らしさ」によって括られた思考から逃れ、それぞれの言葉を持って考えることから始めなければこの問題は解決しないだろう。

KYOTOGRAPHIE 2019 金氏徹平『S.F.(Splash Factory』

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毎年初夏の頃に開催される「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」。京都の街に暮らしていると、KYOTOGRAPHIEと書かれた赤い幟をあちこちで目にする。一部の人のあいだでは、ああ今年も始まったと思える恒例行事として浸透している。昨年のKYOTOGRAPHIEのこともコラムに書いていた。
http://classroom-mag.com/column/imakokotoitsukanodokoka

昨年も同じことを書いているけれど、展示会場の一つである丸太町の京都新聞本社ビル印刷工場跡は父の職場であった。今年もまた展示があると2月頃父から聞いて以来楽しみにしていた。工場跡は天井高約21mの巨大空間で、内部の機械はすべて撤去されがらんどうになっている。新聞は2015年までそこで刷られていたけれど、現在工場は京都南部の久御山に移転している。
子供の頃、何度か連れてきてもらって輪転機が稼働している様子を見た記憶があった。特に昨年は20年以上ぶりに足を踏み入れて、時の流れへの感慨深さの方が優ってしまっていた。ちなみに昨年の展示はアメリカのローレン・グリーンフィールドという写真家の世界各国の富裕層を記録した作品だった。豪邸にハイブランド、アンチエイジング、生活も表皮もピカピカになった人たち。支払いが滞り建設途中で放置された邸宅などの写真もあった。大きく引き伸ばされたプリントとプロジェクションによる写真展示はかなりのボリュームで、黒ずんだ工場跡で写真に写っている人の姿がやたらギラギラして見えた。新聞という世の中をイメージする手がかりを刷り続けてきた跡地に、富む人のイメージそのままに刷り込まれて生きているような表面の生き様が並ぶ。表面はピカピカだけれど、どこかグロテスクに見えた。

今年は『S.F.(Splash Factory)』と題された金氏徹平による展示。中に入ると薄暗い空間で照明の色が絶えず変化し、いろんな音が響いていて印象はなんだか賑やかだった。工場跡の黒ずんだ空間の雰囲気も手伝って、人類滅亡後に模倣された遊園地のような趣がある。観客の導線上にはいろんな色水の入ったペットボトルが並べられ、照明が変化する毎にさまざまに反射し周囲の表情を変える。中央付近にはチューブから絞り出したままのインクの形状をプリントして、そのラインにカッティングした木のパネルを組み合わせたオブジェが並んでいる。数年前に見た金氏氏の美容雑誌などから切り抜いたファンデーションや口紅、ネイルカラーの垂らしたものを切り抜いて構成したコラージュを思い出す。過去作品の漫画の背景に使うスクリーントーンを大きなパネルにプリントしたもの、既製品のプラスチック製のものたちを積み上げて上から石膏を流しかけて固めるオブジェなどを思い返してみると、素材から何かを創出するというより素材のテクスチャー自体に形が与えられ、流動感を伴ったフォルムを取り出す手法がよく用いられている印象を持つ。
導線上には仮設の階段を上がって少し高い位置から空間を見渡せるようになっているところもあって、昨年は見ることができなかった角度から工場跡を望むこともできた。上方の壁面には印刷工場で新聞紙が規則的に流れていく様やインクがゆるゆると落ちていく様子などを撮った映像がプロジェクションされていた。機械の規則的な運動には見飽きない美しさがあって、工場見学的喜びを感じる。現在京都新聞を刷っている久御山工場にヒゲのお兄ちゃんらが撮影に来た、と父が言っていたのは金氏氏だろうか。
また、去年の展示ではほぼデットスペースとなっていた工場跡の奥行きも照明と映像と音の装置を用いて体感できるようになっていた。入口から入って奥に進むと、観客の立ち入れないゾーンにまだかなりの奥行きがある。作品として扱われるものからは表面、テクスチャーが形を持つという立体感を受け取るけれど、展示会場自体も場をより立体的に感じられるよう工夫されている。照明、音響、映像と作品の関わり方を見ていると、金氏氏が近年舞台芸術のフィールドでも作品を発表する機会をもっていることも展示の中に生かされているように思った。
普段美術展などを見ないゴルフが趣味の父に感想を聞いてみると、静寂していた工場跡に印刷の息吹が溢れていた、そこで働いていた人たちの活気を思い出したと、言っていた。
金氏氏は写真家とは名乗っていないけれど、プリントするという方法において、何を撮るかよりも、写す、刷る行為そのものから既にあるものの認識を刷新する手法において写真という行為と関係している。今回は空間自体が印刷工場跡であること、イメージの生産工場であり、はじまりは紙とインクである新聞の、情報伝達機能以前のものの時間が工場跡において上演されているようだった。

KUNIO14『水の駅』

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『水の駅』は1981年に転形劇場によって初演された演劇作品で、今回演出家の杉原邦生によって再演された。『水の駅』は上演中俳優が一度も言葉を発することのない、沈黙劇と呼ばれるかたちで上演される。最近では三年前にインドの演出家シャンカル・ヴェンカーテシュワランによってインドのキャストで上演され好評を博したが、私はそれを見逃している。戯曲自体を読んだのは十年以上前のことで、上演は転形劇場の記録映像しか見たことがなかった。

この作品を最もシンプルに説明すると、舞台中央にある壊れた蛇口から水がちょろちょろ流れていて、そこに人々が訪れて水に触れては去っていく、ということに尽きる。なので観客は一時間五十分蛇口のところにやってくる人々の姿を眺めている。例えば冒頭のシーンでは少女がひとりやってきて、赤いコップに水を受けて飲む。その次は荷物を背負った男がふたり、蛇口に口をつけて吸うように水を飲む。
演劇というと、俳優の演技によって展開する物語を受け取るというイメージが一般的であると思うけれど、そういう演劇を見ている時とは質の違った時間が流れていく。蛇口のところにやってくる人々はどこか水辺を求めてやってきた動物のようでもある。どこの誰で何をしている人物であるのかは判然としない。「どこの誰」よりもう少し手前の「人の姿」として現れてくるように見える。そうして上演される演劇は、おのずと物語よりも舞台上で起こる出来事ひとつひとつが際立って見えてくる。終始細く流れ続ける水音が耳に残る。
『水の駅』の戯曲には俳優たちに台詞として書かれた言葉はないけれど、一連の行動が記されている。例えば冒頭の少女があらわれるシーンでは以下のように書かれている。

少女が
一人
薄い光の中
バスケットを手に
歩いてくる

小さな坂の途中
少女の足が ふと止まる
 
歩いている 少女の背中

歩いている 少女の背中
ねじれる首
やってきた道へ
遠い広がりへ 向く首

こういう書かれ方の行動の指示と、詩の引用や小説、戯曲、絵の引用をして登場人物の行動や意識を間接的に限定することでそれぞれの状態は引き出されていった、と戯曲のことわり書きにはある。
起承転結の流れを物語ることや、台詞に含まれる意味や感情を表すことに身体を動員させなくていい分、俳優に要求されるのは、客観的な視点で書かれた行動をトレースすることから姿を醸造し、如何に劇の時間を身をもって生きるかにかかってくる。それにはいわゆる演技力だけではない身体へのきめ細かな集中力と、各々の演劇的佇まいを獲得する必要がある。

今回初めて実際の上演を見て、これは人を露わにしてしまう戯曲なのだとつくづく思った。俳優その人のそれまで生きてきた時間に培われた姿が、否応なく露わになる。単に演技の技術的な問題だけでなく、呼吸や血流と共に所作のテンポを作らなければ動きは単なる動作をなぞることにしかならず、むしろ戯曲に記された改行や一文字空けを読み取り、空白を満たす身体の時間を保たねばならない。
戯曲に書かれた行動の指示は人物の内面まで語らず、あくまでも外から見た動きのみに留め置かれ、詩的な言葉は抑制されているけれど、読んでいくと詩の律動を持っていることに気づく。戯曲の言葉はそれ自身では完結しない鍵として作られた、舞踊の型や楽譜のような機能を持つ。書かれた行動を腑に落とし、引用イメージ等を同居させながら内面を満たしていくのは演出と俳優の作業になる。そう考えると、台詞を発する演劇も同じように言葉から様態を探り当てていくのだから、同じような気もしてくるけれど決定的に違うのは、台詞に要約できないものを身の内に運ぶ俳優が、とにかく上演時間において一挙手一投足の在りようにこだわり、劇の時間にディテールを浸透させることができること、演劇に奉仕しない身体が演劇のなかに立ち表れるということではないだろうか。それを十全に演じるのは容易ではない。それでも静かに劇的に露わになる裸形を、太田省吾が演劇において探した痕跡を再演のなかで嗅ぎ取ることができた。

また、荷物と共に現れては去る、壊れた蛇口、舞台奥に捨てられた物の山などから、住むところを追われた人々の様子が想起され、震災後の状況が呼び起こされる部分もあった。
公演を見た数日後に今後数十年の内に世界規模の水不足が予想されるというニュースを見た。水を、湯水のように使えなくなる時代がそのうち来ると言われている。そして水道民営化のことも頭にちらつく。
いずれにせよ、今はまだ当たり前のように蛇口をひねれば出る水が、やがて切実な問題として生活に迫ってくることは間違いないらしい。水という生命にとって不可欠で普遍的なモチーフが軸になる作品であるから、世界の様相が映り込む余地も多分にある。これから先の世界で『水の駅』を再演するということは、強力な現実的意味を持ってしまうのではないだろうか。

——

[追記]
コラムを読んだ方から水の駅には「上演台本」と「記録のための台本」があると教えていただいた。戯曲集に載っているのは後者の方である。私が文中に引いた台本は、初演時の上演形態が出来上がってから改めて書かれた「記録のための台本」であり、「上演台本」は行動の指示が書かれているのではなく、演じる手がかりとなる図版などの資料と言葉が集められたものであるという。今回の再演は「上演台本」を用いられていたらしい。なので実際は文中で考察していることとは異なるアプローチから劇は立ち上げられている。しかし私は「記録としての台本」から上演が為されたと見ても違和感を覚えなかった。
『水の駅』は具体的な行動の指示の手がかりのないところから毎回獲得された俳優個々のフォームで演じられるということである。そうであれば、もっとこれが再演と呼ばれるのかどうか、というありようの身体が立ち表れる可能性はなかったのだろうか、本質的に『水の駅』を再演するとはそういうことなんじゃないだろうか、と観客としてはますます欲深く思うのだった。

温泉旅館 常盤「女将劇場」

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先日山口県を訪れた。山口在住の友人から山口に来たらば是非とも観るべきと勧められたものがある。女将劇場。湯田温泉街の中にある「西の雅 常盤」という旅館の女将によるショウが毎夜上演されているという。湯田温泉の別の宿をとっていたけれど、宿泊客でなくても入れるそうなので観に行ってみた。
開演は20時45分からで15分前くらいに旅館のロビーに着いた。売店には女将パッケージのオリジナル土産菓子、女将考案のグッズなども売られていたが、銘菓山焼きだんごを買って食べながら開演を待った。
劇場は数百人規模の広い宴会場で、模様入りのカーペットに藤のようなシャンデリアがたれ下がり、いわゆる劇場というわけでない。舞台は平台を並べて仮設されている。舞台両袖には幕などもないので、これからショウで使われるらしい大道具小道具、衣装の類がかなり雑然とした状態でセッティングされているのがすべて丸見えになっている。開演が近づくとさっきだんごを買った売店でレジを打っていたおばちゃんがスピーカーのボリュームや琴の弦の具合をチェックしにやってきた。どうやら音響、照明もすべて旅館の従業員によって行われるらしかった。ロビーにはそれほど人もいないので観客がどれくらい来るのだろうと思っていたら、浴衣姿の宿泊客がぞろぞろあらわれ、いつの間にか客席は賑やかになっていた。

開演時間になり、着物をアレンジしたコスチュームに年季の入った白い羽を背負い、さらに電飾のマントを羽織ったボブカットの女将が現れた。カセットデッキの音源からくぐもったポールモーリア、オリーブの首飾りが流れ出す。呆気にとられている間に音楽は一つの芸が終わったら無造作に停止ボタンで止められ、続いてマイケルジャクソンなどが流れ出し、ショウというには雑な手つきに観客は苦笑する。そこから先は何が起こったのか逐一覚えていられない。息つく間もなく次から次へと踊り、琴、ハンドベル、手品、変面、太鼓、水芸、一発芸、浮遊、イリュージョンのようなもの。とにかく宴会芸的な芸の数々が節操なく繰り広げられる。下品になりすぎない程よい品のなさが終始キープされている。女将からはどことなくいろいろなお稽古事や躾を通ってきた素地が垣間見え、品のなさはその反動というか崩す、逸脱という感覚の上にあるように思われた。繰り出される芸には既視感があって、昔テレビでよく見かけたマジックの特集番組や引田天功や隠し芸大会、24時間テレビなど、ブラウン管越しに見ていた世界がごった煮になってリバイバルされているようでもあった。けれどお手本通りうまくやる事は目指されていない。芸は上演時間を稼働させる燃料のように次々と容赦なく焼べられてゆく。

女将は74歳で女将劇場を20歳の時にはじめ、休んだのは年末年始と出産のときのみという。現在持ち芸は90近く、演目は日替わりで上演される。女将劇場には劇団員というのか、大学生くらいの男女が6人くらい出演していて、太鼓の演奏やマジックのアシスタントをしている。彼らの桴さばきを見るにきちんと稽古をしていることが窺える。
マジックなどはやる前からもうタネが見えていたり、半分失敗したりするけれど、そういうクオリティは何ら問題にならない。女将は絶妙なタイミングで矢継ぎ早に芸を繰り出すことで有無を言わせぬ独自のテンポを作り出し、観客を80分間引き連れていく。そこには半世紀以上毎日のように舞台に立ってきた手練れのみがなせる技を感じざるを得なかった。観客の方も織り込み済みの設えの雑さから、どうやら精度に感嘆するものではないらしい前提を早々に受け取り、女将の勢いによって人力稼働する時間に温泉と酒で弛まった身を任せてしまえるのだった。
なぜこれをするのか、どういう意味があるのか、といった問いを受け付けない勢い。やりたいからやるのだ。女将通常業務だけでは収まりきらなかった生体にあり余るエネルギーの生粋を女将劇場に来れば目の当たりにできる。湯田温泉に沸いているのは温泉だけではないのだった。

演劇「シティⅠ・Ⅱ・Ⅲ」

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『シティ』はカゲヤマ気象台の戯曲三部作で、今回京都芸術センターで『シティⅠ・Ⅱ・Ⅲ』と連続上演された。それもなぜかコンテンポラリーダンス企画の枠組みで。
Ⅰはプロデュースゆざわさな、ドラマトゥルク渡辺美帆子、振付川瀬亜衣、Ⅱはhyslom、Ⅲは捩子ぴじんと主に演劇を作っている訳ではないアーティストによって上演され、1日で全ての作品を見られるようスケジュールされていた。三部作の物語に連続性はないけれど、共通した世界観として、文明が一度滅び再興した未来の物語として描かれている。十全に語る言葉を失ったかのようなカタコトの人々がどこなのかよくわからないシティで生きている。ちなみに戯曲は公開されているので、以下から読むことができる。
http://www.kac.or.jp/events/24525/

三部通して姉、弟が出てくる。描かれ方は断片的だが、最もはっきりと姉、弟が描かれているのはシティⅠである。今回上演されたシティⅠの出演者は男性、女性、子供の3人。冒頭、舞台上には大きな黒い紗幕が敷かれており、男女はその下でゆっくりとうごめいている。子供は紗幕の周りで跳ね、何かに手を伸ばして触れるような身振りで踊っている。
戯曲を読んでから観るか、読まずに観るかで作品の受け取れるものがかなり違ってくる。読んでから観た者としては、冒頭の紗幕の下の男女は姉と弟に見えた。ふたりは同時にではないが同じ場所から生まれ出た者である。戯曲を読むと「姉」という存在が劇作家の創作動機にどうも深く関わっていることを感じるが、シティⅠの冒頭は、同じ胎内を発生源とする姉と弟を象徴するようなシーンに思われた。あるいは夜の帳の下の男女とその果てに発生した子供。そして後半出てくる掃除機や家具など具体的な生活用品の数々「帰ろう」という台詞から家族らしきものの印象が浮かび上がる。台詞の多くは手紙に書かれたものを読むという発話、あるいは映像字幕で文字を登場させるという手法が選ばれていた。その方法から3人は戯曲に書かれた「役」の外にいる誰かである状態と「役」を担っているように見える時間とを行き来しているように見える。子供の声で読まれるテキストは、カタコトの言葉に内蔵された言葉足らずなエモーションをほぼ自動的に引き出してしまう。また出演者の古川友紀の個の澱を濾したように澄んだ声もテキストの姉の質感と呼応していた。
ラストシーンでは3人で茶碗を並べてご飯をよそい卓袱台を囲む。お膳に手をつけることはないのでお供えのようでもある。もしかするとみんな死者で、たまたま居合わせた幽霊が家族のように見えているだけかも知れない。
作中で気になったのは、記号としてどう読み取っていいのかわからない振付の存在だった。作り手側にとっては動機も理由もあるのだろうけれど、創作過程を共有しない観客にとって振付の必然性が宙に浮いて感じられた。
例えば冒頭の子供の動きは京都の街を歩いて触れたものから振付を立ち上げたもので、街歩きから今回のクリエイションを始めたというシティⅠの冒頭に振付という形で引き入れられたと聞いた。そうであることは見ていてもわからない。観客とのあいだに動きの動機が共有されていればいいかというと単にそういう問題でもない。もちろんダンスは動機や理由を超えて享受することができるものであるけれど、今回のダンスのありようには、作品の中でのそれ自体の根拠を問いたくなる部分があった。戯曲の上演であるという軸足と、抽象化された身振りを行う身体の関係が不明瞭で、観客との間で所々接続不可能が起こっていたように思う。そのあたりに劇の時間が立ち上がるための持続に欠ける部分があったのではないか。

hyslomによって上演されたシティⅡは6ページほどの短い戯曲で、登場人物もA、B、C【根源】【下等生物】【作者】とあり、台詞は主に「あいむ、くれいじい!」というふうに英語でひらがな表記されている。そして日本語で宮沢賢治の疾中の詩『目で云う』が引用されている。
おそらくシティ三部作の中でどう手を付けていいのかわからない戯曲である。ト書きには「背後には【根源】がいる」「舞台下手には【下等生物】が吊るされている」「泉を見つける。三人はその水を飲む。霊感に撃たれる。」「三人は【下等生物】を火葬する。」「【根源】が突然膨らみ、爆発する。」といったことが書かれている。
上演する際に一体どうすればいいのかと思われる事々で書き切られているような印象があるが、上演する方がそれを編集したり、やらないことも当然できる。けれどhyslomは戯曲に忠実に書かれた全てやってのけた。
出演者はhyslomの3人と男性の4人。舞台上には10人以上で運び込まれた大きな鉄製の釜が据えられ、これは戯曲に書かれた泉に見立てられているらしく水が張ってある。下等生物は吊り下げられた氷塊であったり、火が実際に持ち込まれたりする。砂袋が散らばる仕込み途中の仮設されたような劇空間は、昨年仙台メディアテークで行われたhyslomの個展を彷彿とさせた。
行われるパフォーマンスは戯曲の展開に添いながら多分にアクシデントも含まれ、特にhyslomに親しみのある観客、起こってしまうことへの感度の高い観客はそれを見て笑う。初日と楽日の2回観たが、初日は特に戯曲の外枠で起こることが多く、頻繁に笑いが起こりノイズの方が立ってしまって彼らが遂行する戯曲のラインがぼやけていて、場のノリにも同調できないので遠い目で眺めてしまった。とは言え、例えば上演中に出演者が鳴らす太鼓を観客の子供が叩きたいとぐずれば、彼らは普通に太鼓を手渡す。想定外の要素をなんら上演の妨げにしないスタンスには惹かれる部分もあった。
楽日の上演はノイズとなるものがコントロールされ、彼らの持ち込んだ物と行為と戯曲の関係が均衡し、劇の時間として張りの保たれた上演になっていた。埃の立った劇空間に女性の声で録音された宮沢賢治の詩がしんと響く。水や火やパンが神聖なイメージを呼び込みつつ、それらが完全に演劇に回収されず、彼らの体と共に常にどこかはみ出している。【根源】をやっていた通訳兼プロンプター的な役の南大輔の、劇の内に居ながら外枠の視線を介入させる立ち位置も重要な役割を果たしていた。
普段演劇をベースにやっている人がこの戯曲の上演を構想するのでは、まず空間に引き入れられなかったであろう物たちと展開が繰り広げられていた。彼らの出会ってきた物たちが演劇をするという名の下に集い、そこから劇を遂行しているということも行為に説得力を生む要因であろうと思う。まるで指示書のように戯曲を読んだhyslomの上演は、戯曲の上演における広がりを見せてくれた。言葉から立ち上がる演劇の時間は、書かれていることをどのような体で、どのように発話するかの工作だけではないのだ。

今回3演目のなかでシティⅢだけが昨年10月に愛知芸術劇場で上演された作品の再演だった。初演時とは劇場空間が大きく変わり、それに伴い美術も初演とは異なり、出演者の5人中3人は新しいキャストで、リクリエイションを経てほとんど別の作品になっていると言ってもいい。
シティⅢはどこかの都市(だった場所)に暮らす人たちと通りすがりの泥棒、旅芸人など、他2作と比べると具体的にそこで生きている人の営みがまだなんとなく想像できるように描かれている。とはいえ、人物たちの話す言葉はやはり言いたいことを十全に語れず、例えば翻訳サイトで変換したままを自らの言語としているようなどこか欠けた、カタコトの印象は貫かれている。
上演はおおむね戯曲の流れに忠実に進行する。出演者の演技や発声は、統一された方法やテクニックではないものによって支えられていた。個々の身体にフォーカスされた演技体が引き出され、凹凸を肯定的に捉えつつ導きだされた在りようが見て取れる。ただ、観客が演劇を享受するための時間感覚よりも、出演者の身体感覚に引き寄せられた「間」や発話が、戯曲の言葉と親和する部分と、間延びや所有と感じられる部分があった。作品においてそれらが許容されているということは、それを選択する身体から紡がれる時間を観よということである。提示された身体をまなざすことから劇を受け取る観客に個はどのように受容されるものであったのだろう。劇の時間の中で身体をあきらかにするには、劇の時間を生きる個々の「私」がもう少し殺されなければならないように思う。
戯曲に書かれた登場人物は5人でそれぞれが役を担って登場するが、出演者は6人。ひとりだけ台詞のない出演者の姫田麻衣がいた。彼女は劇中で黒子のような立ち回りをする。物語には関わりがないけれど、劇の時間の中で彼女はいないものとして扱われているわけではなく、見えるものとして存在している。黒子というより後見に近いけれど介添えに終始せず、そこに居る。名付けられないものが物語の時間に並走して存在することは、独特の浮遊感を与えていた。

特徴的な演出として、出演者が舞台上手下手にはけるとき、防音扉のロック音を観客に聞こえるように出入りするところがあった。物理的な遮蔽音に劇の時間はふいに切断され、劇と並走する「今」に引き戻される。その音は劇の時間を隙間なく構築することへの批評のように響く。
ラストシーンでは舞台奥に建てられていたビルを描いた書割りがアクティングエリアにせり出してくる。書割りは出演者たちによって運ばれ、支えられ倒され滑られ登られる。書割りはつまり劇においては背景であり「地」であるが、それが「地」であることを放棄して、でかい重たい木の板として「図」の方に参入してくる。出演者が書割りに物体として触れるということは、虚構を開示する意味の「ばらす」と、舞台装置を解体する意味での「バラす」のふたつの意味で劇がばらされる時間として捉えられる。これが、全部作り事でした、という締めくくりであったとしたら、それまで劇の時間に観客が見ていたものは、何もかも明かしてしまってよい芝居であったのかということになるが、ここからまた反転が起こる。
ラストシーンで板を支えていた出演者たちはひとりを残して去る。残された出演者が約4m×3mの板をひとりでなんとか支えながら「腹減ったな」といって板と共に倒れる。板はその大きさのわりに音を立てずに倒れ、観客席には板に押し出された舞台上の空気が風となって客席に届く。そして安野太郎によるどこか不穏な「神聖な音楽」が流れ、倒れた出演者を演出兼出演者の捩子ぴじんがゆっくりと引きずって帰っていく。虚も実も倒れた末の、虚実どちら側にも寄らず起立したフィクションの時間は、工作された劇の時間と同等にその後ろ側や隙間を注視する演出家の演劇感によって呼び込まれたこの「劇的」なラストシーンに集約されていた。

カゲヤマ戯曲のカタコト感、詳細に描かれず語られない、そのような言葉から立ち上がってくる余白の潜在が、それぞれの上演の自由度を引き出したことは確かであろう。そのことは三者による連続上演が企画されなければおそらくはっきりと見えなかった。戯曲があるという縛りとそれゆえ発見されるもの、上演とは常に可能性に向かって開かれた時間であることを再確認した企画であった。

キュンチョメ「完璧なドーナッツを作る」

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昨年の12月たまたま東京にいて、人に連れられるがままトマト缶をたずさえて教会に行った。
何かの展示があるらしくトマト缶は入場料のようなものらしい。というくらい前情報のないまま駒込の駅から歩いてカトリック本郷教会にたどり着いた。

中に入ると2階フロアにはすでに他の来場者によって持ち込まれたトマト缶がたぶん100個以上積み上げられており、中にはパスタなども混ざっていた。トマトタワーの横には皿があって、ボール型のドーナツが盛られている。フロアにはほのかに揚げ油のにおいが漂っていて、ドーナツを取って食べている人もいる。トマト缶を持ってきたら食べてもいいようだったので、ひとつ食べてみた。まだあたたかい。
教会での展示は映像作品の上映だった。上演開始まで時間があったので礼拝堂を見学する。普段来ることのない場所。寺や神社には参ることができるけれど「祈る」はどうすればいいのかわからない。祈るあてなく祭壇を眺めて、聖歌の本をパラパラめくってみる。ここに通って歌ったり祈ったりしているうちにあの磔の姿は私と共にあり、特別な意味を持つものになるんだろうかとぼんやり座っていた。

上映されたのはキュンチョメの「完璧なドーナッツを作る」というプロジェクトの90分くらいのドキュメンタリー映像。「完璧なドーナッツを作る」は沖縄で行われたプロジェクトで、沖縄のドーナツであるサーターアンダーギーとアメリカの穴の空いたドーナツをそれぞれの土地の住人が作り、フェンス越しに合体させて穴のない「完璧な」ドーナツを作りたいと沖縄に暮らす様々な立場の人々にインタビューして、それについてどう感じるかを聞いてまわる。インタビューされる人はふたつのドーナツを手渡され、どう思うかと問われる。質問し返す人、複雑な表情を浮かべる人、賛成反対を述べる人、どちらかが割れなければならないと手にしたドーナツをバラバラにする人。
基地に反対か賛成か、という直接的な問いかけではないからこそ引き出せる言葉や表情やしぐさが映し出される。対象は少しずらされつつ、問いへの答えはどこか核心に触れざるを得ない。問いの中の「穴」や「完璧」という、どういう状態を指すのかはっきりしない概念が、答える人によって補足されていく。それ自体一様ではない。

数年前、沖縄市コザを訪れる機会があった。宿泊先からは嘉手納基地が近かった。泊まった宿はもともとは米軍関係者や家族の宿泊者向けに建てられたコザで一番古いホテルで、当時バスタブが沖縄にはなかったらしく、浴槽までタイル張りで作られた独特な浴室が印象に残っている。
コザが最も賑やかだったのは米軍の出入りが頻繁だったベトナム戦争の頃で、戦地から戻り疲弊した兵士の一時休暇の地になっていた。酒や薬で羽目を外した兵士による犯罪も多発したが、事件が起きても加害者が本国に帰されてうやむやに終わることが多く、米軍統治下の沖縄で沖縄の人々は、日本の憲法もアメリカの憲法も適用されない不安定な立場におかれていた。あちこちに潮風で錆びて色褪せたスナックの看板が見られる。基地のすぐ傍の営業しているバーを覗くと空軍の軍服姿が垣間見える。
フェンス越しを延々歩いてみた。想像以上に広大な面積で、フェンスには「軍用犬により巡視されている」と警告が貼り付けられている。フェンスの中のには海外ドラマで見るような住宅地があり、運動場もあり、短パンでランニングする金髪の女性、鳩はフェンスの中の芝の上で何かを啄ばみフェンスを越えて飛んでいく。
沖縄在住の人に話を聞くと、基地に関しては家族内でも年齢が違うと意見が噛み合わないことがあり、話すと喧嘩になるので選挙の時間もわざとずらして投票所に行ったりするという話を聞いた。

映像作品のインタビューでは、生まれたときからあるので基地のある風景がむしろ当たり前で、宜野湾市の普天間基地近くで生まれ育った人は、子供の頃ロケット花火を飛んでくる戦闘機に向かって放ち、米兵もその子たちに手を振っていたようなやりとりもあったとか、10代の頃にはすぐそばにあった異国の文化に憧れた、スナックに通ってきていたけれど戦地から帰らなかった兵士も少なくなかった、自分の父親は兵士であったし基地をなくすのは寂しいという意見、基地と関わりのある職業で、経済的な事情があって基地を受け入れるという人もいる。
過去に何度も起きている米兵による強姦、殺人事件、戦闘機の墜落事故など、すぐそばにあるものに生活を脅かされるという看過できない問題も当然ある。けれど同時に基地があることから形成された街の様相や人の暮らしがあることも事実で、事情の狭間で文書には残らないような人々の交流があったことも知る。
賛成にせよ反対にせよ、実際基地のそばで生活する人々のためらいや複雑さの含まれた、ニュースで切り取られるものとは質の異なる言葉を「完璧なドーナッツを作る」からは受け取ることができる。
見終わるとでは自分はどう考えるか、ということが自ずと返ってくる。ともすれば遠目で見てしまいそうになる基地問題を、自分の住んでいる国の問題と見る目を放さずにいるにはどうすればいいだろう。私は普段SNS等で政治的な発言を積極的に行っていない。けれど、どんな事情があったとしても、住んでいる国に他国の軍事基地はない方がいいし、現在問題になっている辺野古の海上基地建設にも、特にそれが強行姿勢で実施されようとすることを、どう考えても良いと思えない。 反対、とまず言葉にすることから始めてみる。

句集 御中虫「関揺れる」

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昨年の春に俳句をはじめてから御中虫という俳人を知った。おなかむしと読む。
1979年の大阪生まれ。第3回芝不器男俳句賞の新人賞を受賞している。女性である。
伝統を重んじる保守的な俳人はまず御中虫の句を好かないだろう。彼女の句は俳句らしき体裁を整えようとする類の句に対するアンチテーゼであり、殴り込みであるからだ。
御中虫の句には季語と五七五を守った有季定型と破調の句が入り混ざっている。どちらにせよ句を読んで聞こえてくるのは彼女の「肉声」である。実際俳句をやってみるとわかるが、有季定型で詠もうとするとまず何もできないという感覚になる。季語を使わねばならないという縛り、そして全体の3分の1を季語に与えるとその他私に許されるのはたった10数文字である。それで初心者が作れるのは、季節の雰囲気を字数内にまとめただけの毒にも薬にもならない句らしきものだったりする。まず強固な構造を前に身動きが取れなくなるのだ。それでもしばらく定型の中でもぞもぞやっていると、やや可動域を見出せるようになる。季語とも付き合っていくと、表層的な意味だけでないものを季語を起点に探しながら五七五を編成するおもしろさにも気付き始める。
俳句のひとつの方法として客観写生に徹するという態度がある。俳句は主観を述べるには短かすぎるので、ものごとを客観的に描写しつつ主観をそこに投影するというようなことである。けれどこのことを少し考えると客観と言いつつ、結局その目は私が介在する限り主観であり、その濃度を希釈しすぎても個の匂いが抜け落ちた形骸ばかりの句になってしまう。客観写生に徹するとすれば、客観というフィクションを構築する強固な自意識が必要なのだ。そういう自己の目の探求的創意がなければ、新しいものは生まれない。そして肉声を抑制してくるこの形式において、肉声が聞こえるということはやはりすごい。やろうと思ってもそう簡単に俳句の形式の中でそんなふうに振舞えないからだ。御中虫の句を読んでいると、この人には現代詩ではなくて俳句という定型があることが重要なのではないかと思う。抑制の中に身を置くからこそ特に響くものがあるように感じられる。俳句という器から漏れてくる肉声。何より御中虫と俳句が出会ったということが幸福ではないか。彼女のような言語センスとメンタリティを持つ人が俳句に足を踏み入れ、しかも本気になるということが稀なことなのではないだろうか。気になる句をいくつか挙げておく。

ところどころ説明のつかない銀河に住む
卵さん割りますよ初春の朝
チューリップ体は土に埋まりけり
寒くないだって私は雌だから
じきに死ぬくらげをどりながら上陸
遅々として進まぬ議論にレモン絞る
原材料不明のおやつ食ひ暑し
マンボウを見て少しだけ若返る
その善意突っ返します夏浅し  
いろんなものが滴るなかに手もあった 
コットン25レーヨン75の春雲
結果より過程と滝に言へるのか
あるがまゝの姿で水仙うそくさい
月といふのですか、巨きな石ですね。

第一句集『おまへの倫理崩すためなら何度(なんぼ)でも車椅子奪ふぜ』このタイトルも破調の句だが、際どい言葉でなんて胸のすく、と思った。第一句集が欲しくて探したがどうやらもう手に入らない。残念すぎてネット上から御中虫の句を漁って自分用の御中虫句集を作ってしまった。
第二句集『関揺れる』は手元にある。この関とは人名で、茨城県在住の俳人関悦史のこと。震災直後ツイッターで日々揺れたとつぶやく関氏のツイートを眺めながら、関西在住で被災しなかった御中虫は「関揺れる」を季語として震災俳句を詠んだ。これには別の動機もあって、長谷川櫂というよく知られた俳人の『震災句集』に対する抵抗でもあった。彼女は長谷川櫂のこの句集に全く良さを感じられず、むしろキモいと評し、その俳句を良きとする人たちにも物申す思いで『震災句集』と同じ125句の『関揺れる』を編んだのだった。何句かここに引いてみる。

春麗洗濯物と関揺れる
関揺れる人のかたちを崩さずに
神仏の力を超えて関揺れる
私は先刻揺れたが今は関揺れる
関さんと一緒に揺れるをんなかな
「この季語は動きませんね」関揺れる
関の揺れ共有できず春の月
本日はお日柄もよく関揺れる
「お母さん、関と」「ダメ、まだ揺れるわ」
暴動の起きない国を関が揺らす

私は初めて『関揺れる』を読んだとき、本当におかしくて読みながら笑った。震災以降揺れ続ける地面の上で日常生活を送る関、そして関以外の人びと。どうにもならないものとの共存が不安という側面からのみ切り取られず、こんなふうに俳句で詠まれることは、それまでおそらくなかっただろう。震災を語ること残すこと、悼むことも当然必要だけれど、当事者の口調では語れないという地点から、被災から自身を遠くに感じているからこそ見えるもの、詠めるものもある。俳句らしき体裁を整えることに気を取られ、震災の風景と季語を消費しないという態度、『関揺れる』は御中虫という俳人の反発と実感を起点に編まれた誠実なユーモアである。ただおもしろいだけでなく、こういうものはどこか人を救う力を持っているのではないか。
ネット上では最近の彼女の足跡を見つけられなかった。私はこれからも彼女の句を読みたいと思っているのだが。

映画「寝ても覚めても」

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今まで観た濱口竜介監督作品で印象に焼き付いているのは『PASSION』という監督の藝大終了作品だった。映画を観てあまり泣いたりしない方だが、この映画に限っては嗚咽しながら泣いた。人それぞれの儘ならないならないものが徐々に露わになり、そのどうしようもなさが骨伝導のように伝わってきて揺さぶられた。物語がなければ描けないものの力が直に伝わってくる映画だった。

『寝ても覚めても』は柴崎友香の小説を映画化した作品で、濱口監督の商業映画初作品である。
あらすじ。主人公の朝子にはかつて朝子が運命的な恋に落ちた恋人、麦がいた。風来坊の麦はある日何も告げず朝子の前から姿を消す。数年後、朝子は麦とそっくりなサラリーマンの亮平に出会う。朝子は麦と見紛うが別人であった。それから朝子は亮平が気になりつつも避けて暮らし、そんな朝子のことが亮平も気にかかり、戸惑いながらも惹かれあっていく。やがてふたりは仲を深めるが、朝子はある日麦がテレビに出る人気俳優になっていることを知って…というふう。
映画を観る前にこのあらすじを読んだとき、なんだか少女漫画にありそうな設定だけれど、映画にしておもしろいのだろうかと思った。と同時にこの通俗的な設定をどうおもしろく撮るのだろうという興味が湧いた。

冒頭、朝子と麦の「運命的な」出会いのシーンがある。偶然に麦の姿を見とめた朝子の感覚を原作の小説では「彼の全部を、わたしの目は一度に見た」と書いている。原作と映画では出会いのシーンは違っているけれど、「彼の全部を、わたしの目は一度に見た」という恋の落ち方で、映画での出会いの表現があまりに非現実的ドラマチックさで、若干不安な気持ちになった。設定はフィクションでも風景は確実に大阪とわかるランドマークで、見知った風景が映ったせいもあるけれど、現実世界とのコントラストが強すぎるように思え、そんな出会いあるかい!とつっこみたくなる感じだった。この「運命的」が記号的に表現されている意図は、物語が進む上でどう消化されていくのだろうと違和感を持ったまま続きを観た。

麦の失踪後、数年が経過して朝子は東京のオフィス街の喫茶店でバイトをしていた。ある日、近くの会社にコーヒーを届けに行って、大阪から移動してきたばかりの亮平と出会う。「ただまっすぐに立ったその人の、全部を、わたしは見た」亮平は麦そっくりの別人だった。その出会い方は麦との出会いとは全く違う日常的な一場面で、出会いのショックは麦のときと似ているが、麦のと出会いのシチュエーションを思い返すと、その落差によってようやくあの冒頭のドラマティックさがおもしろく感じられた。
映画では麦と亮平が同じ俳優によって演じられる。雰囲気を変えて演じ分けられているが、実際同一人物だということが映画を観る方には当然認知されているし、演じるということに視点をおいて見ると、演じ分けの巧みさをエンターテイメントとして、また同じ「顔」の中身を変えて別人とする、という演技の形式をやや映画の外から眺めて色々考えることもできる。

映画を観てから原作を読んだのだけれど、原作でおもしかったのは、読み進めると語り手である朝子の思い込みによって、麦と亮平は「そっくり」な人物として錯覚されている可能性があると周囲の人物とのやりとりからほのめかされてくるところ。運命的な恋は盲目フィルター越しの世界を、朝子の目を借りて見ている感覚になる。朝子は過ちと見える選択にも筋が通らない要求にも躊躇がない。そうなのだから仕方がないという原動力で、赴くままに動いてしまう。その点では映画での朝子の描かれ方も同じで、傍目にはふわっとしていて、自分の意思で物事を決めて遂行するタイプに見えないけれど、実はかなりエゴイスティックな人物である。

原作にはなくて映画の中で登場する設定もいくつかあって、特徴的だったのは震災との関わりについてだった。原作でも地震があったということは書かれているが、詳細には触れられていない。映画では被災地と復興後の風景が何度か映り、震災自体が登場人物の人生ともう少し深く関わってくる。そのシーンを見ながら、濱口監督が震災後に東北でドキュメンタリー映画を撮っていることも思い出された。ドキュメンタリー映画の記録として残されるだけでなく、映画のワンシーンとしてアーカイブされる風景。商業映画として物語を遂行すると同時に、現在の日本に住む人物を描こうとするときに監督がまなざすものも綿密に編み込まれている。

映画の中では朝子と麦の出会いから8年の月日が流れる。
朝子は亮平と出会いはするけれど、ずっとどこかで麦を待っている。だから朝子は変わらない。周りの友人たちは、整形したり結婚したり続けてきたことを辞めて子供を産んだり、それなりに変化している。原作にはなかったことでもうひとつ印象的だったのは、友人のひとりが8年の間にALSという難病を患っていたことだった。ALSは体の筋力が徐々に落ちていき、最終的には自分で動くことが出来なくなる。進行すると呼吸筋が動かなくなり、やがて自発呼吸が出来なくなる。それはつまり死を意味する。その時が訪れる前に気管切開をして人工呼吸器を着けるか否かを患者は選ぶことができるけれど、彼は気管切開をして自宅で生活していた。映画のなかでそこに至るまでの彼の経緯は語られない。けれど見えてくることは、彼はただ病に臥せっているのではなく、意思によって選んで生きているということだった。
『寝ても覚めても』は恋愛主体の物語のようだけれど、ベースにあるのは意思によって選び取ること、到底受け入れられないものと共存すること、そのなかで孕まれる正解のない問いに向かって開かれた映画であると感じた。

ウースターグループ『タウンホール事件』

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毎年秋に開催される京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2018 が今年も始まった。期間中は毎週末京都の各劇場で国内外の先鋭的な演劇、ダンス、パフォーマンスが上演される。
プログラムを開いてみて例年と異なるのは、招聘されたアーティストが全て女性であるところ。ディレクターズノートには「性およびジェンダーが文化的であるだけでなく、いかに政治的なものであるかへの問い」「「他者としての女性」というアイデアを通じた社会への問い」そして「どう考えても女性が屈辱的な地位にある現在の日本の社会の中で、ここで暮らす女性たちにエールを送りたいと思った気持ちがスタート地点にある」とあった。
今回観たウースターグループの『タウンホール事件』。ウースターグループは1975年からニューヨークを拠点に活動するマルチメディアな手法を駆使し演劇、ダンス、映画、ビデオ作品とジャンル横断的な活動を展開し、演劇の可能性を追求し続けてきた。今回上演された『タウンホール事件』は1971年第二波フェミニズムの只中のニューヨーク、タウンホールで催された討論会のドキュメンタリー映画『タウンホール・ブラッディ・ホール』の映像をもとに、俳優たちが当時の登壇者に扮して議論と出来事をリプレイする、という方法で上演された。

1960~70年代にかけてアメリカではウーマン・リブ運動が活発に行われ、女性の一生を予め規定するような家族のあり方、内在化された「女らしさ」や男女の役割分担への問題提起、中絶の合法化などが掲げられた。今回の上演の題材になっている『タウンホール・ブラッディ・ホール』ではベストセラー作家ノーマン・メイラーの著書『性の囚人』についてメイラー本人、フェミニスト、レズビアンの作家、運動家、批評家の女性たちが様々な立場から討論を交わす模様が記録されている。『性の囚人』でメイラーはケイト・ミレットをはじめとするフェミニストの様々な文献を引用しつつ、ばさばさ斬るように批評する。例えば女性の性的快感は膣内では一切得られないと断言する意見や、妊娠という身体拘束から女性を解放すべく子宮外で胎児を育てるテクノロジーがいち早く開発されるべきという意見などをメイラーは批判している。

舞台上の俳優は映像の人物の喋り方や身振りをトレースし、衣装も映像に近いものを身に付けて登場する。舞台奥にはスクリーンがあり、ドキュメンタリー映画が断片的に映し出される。その前に映画の風景を模したパネリスト席とスピーチ台、そして舞台の方に向けられた観客には見えないモニターが数台設置されている。このモニターには俳優の動きを演出するための映像が映し出されているらしい。ウースターグループはリハーサルを録画し、即興的に生まれた動きを上演のための振付けとして引き込んだり、映像のカメラワークを俳優の動きに反映させたりする手法を用いている。動作を内発的な動機とは切り離したものとして、発話されるテキストと体の状態に意図的な齟齬を生む演出として利用される。俳優がモノローグを発話しながら動くさまはいわゆる自然な所作ではなく、発話の内容とは関わりの見て取れない身振りをしている。その違和によって立ち現れる奇妙さから観客は、ある鮮度をもって言葉や身体と遭遇する。どこかズレたものを前にしたとき、観客の思考の触手は伸び、傍観よりも上演の時間を引き寄せて観る契機になる。観客の能動性への導入を敷き、そこから言葉を手渡していく上演はとても軽やかで、意味の伝達や単なる再現に終始しないあそびの感覚をはらんでいた。

メイラーとフェミニストたちの白熱する討論が俳優によってリプレイされる。そのなかで女性は「不適格な女神、不本意な召使いである」という言葉が耳に残った。
私は女性であるけれど、屈辱的と言うほど女性であることに抑圧を感じてはいない。ただ日々生活していると役割を引き受けざるを得ないと思うことはある。例えば日本では男女が共働きで生活している場合、統計的に見ても家事分担の比率はまだ女性の負担が大きい。これを解決すべく分担ルールを決めたりしてバランスを取っている家もあるだろう。けれどそれがうまく機能しなかったり、いちいち指示するのも双方あまり愉快ではないし、相手の機嫌を損ねると遠慮して何も言わなくなることもある。いつか気付いてやってくれるのを期待して待っていては毎日は到底まわらない。もはや自分でやったほうが早い、結局私がやるしかない、という諦念に至り、気付けば女性が召使い化してしまう傾向にある。あなたがやらないということは私にやれということと同義です、という言葉を飲み込んで。その消化不良はやがて不機嫌としてあらわれるか、ある日フラストレーションとして爆発するか、もしくは不平を言わず日々坦々とこなすことを美徳とするか。認識は変わってきているとはいえ、家事は女性がするものという刷り込み、献身的に家族を支え世話する女性像の内在化は案外根が深い。

生活を共にする相手が充実して仕事や為すべきことに取り組めるようはからうことはいいと思うが、それが一方的なものでなく、お互いがそのように立ち回れることが理想で、なおかつ役割に過度なクオリティーと一貫性を持たせないことが重要ではないだろうか。女性に「不適格な女神、不本意な召使い」という配役を背負わせないこと、同じく男性を「不適格な王子、不本意な大黒柱」に仕立て上げないこと。気を抜くと私自身男性に、精神的経済的な支柱を求めたくなってしまうことがある。家父長制には否定的でもどこか男性に美化された父的なものを見ようとしてはいないだろうか。そうやって相手を縁取ろうと作用してしまうことにも自覚的でなければならない。あらかじめ定型の役割を背負わず、双方が時により様々に立ち回れる自在さを持つことは、現代的な男女のあり方の指針になるだろう。もちろん男女は同じではないし、性別のみならず人はそれぞれ刷り込まれたもの以外にも心身の特性を持っている。先天的とも後天的とも言い切れない傾向というものはどうしてもあって、性別がそれを方向付ける矢印として作用する部分はおそらくかなりある。けれどそれらをただ野放しにせず、と言ってむやみに抑圧もせず、各々動的なエネルギーを発することができる関係を状況に応じてアジャストしつつ維持することを真剣に目指すべきだ、と観劇後の日々考えながら米を研いだりしていた。

演劇とは何かと問うとき「言葉が聞かれる」場を開くことがその一つであると思う。今回の上演で聞いた言葉というのはドキュメンタリー映画『タウンホール・ブラッディ・ホール』で話された言葉であり、もしもこの映画を観る機会があればおそらく今書いたようなことを考えただろう。演じられることを介して言葉を受け取ったことが自分にとってどう作用しているかは、例えば男女の役割の一貫性を回避するということについて考えるとき、現代演劇において役を固定化せず流動的に演じる方法のことが過ぎったりはしたけれど、演劇の上演でしか聞けない質の言葉であったかどうかというと疑問が残る。いわゆる演劇のフィクションの時間を経たという感覚とは異なった方法で言葉を聞かせるウースターグループの上演は、このカンパニーが常に演劇の手法を問い、更新し続けていることと関わっているのかも知れない。