ドキュメンタリー映画「ジェイン・ジェイコブズ ーニューヨーク都市計画革命ー」

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この映画を見るまでジェイン・ジェイコブズという名前も知らなかった。
ジェイコブズはアメリカのジャーナリストでノンフィクション作家で、1961年に書かれた『アメリカの大都市の死と生』が有名な著書。ニューヨークのダウンタウンに暮らす二児の母だった。あるとき街に高速道路を通す再開発計画が発表されたことを機に反対運動の先頭に立って活動を始める。
この映画ではジェイコブズと対立して都市開発の帝王と呼ばれたロバート・モーゼスという当時ニューヨークの都市計画に強い権限を持っていた人物が登場する。モーゼスは低所得者の居住地をスラムとして、そういった地区を一掃して10階建以上の公営住宅をばんばん建て、クリーンで自動車中心の近代的な街づくりを推進する。ジェイコブズはその真逆で、そこに暮らす人の目線から街づくりを考えなければ都市計画は必ず失敗すると主張した。モーゼスの主張にはスラムは不衛生で犯罪の巣窟であるから、貧しい人々も公営住宅のような整頓された箱型の住まいに暮らすようになれば、そのように従順な人間になり、街の雑多な景色も一掃されるであろう、という目論みが含まれている。しかしそれは生活者でもあるジェイコブズにとって到底理想の街とは思えなかった。
都市は多様な人々が多様な生活を営む場所であり、その様が街の表情を作るものだというのがジェイコブズの主張で、都市が多様性を持つための4つの条件をあげている。簡単に言うと1、地区には主要な主要な用途が2つ以上望ましくは3つ以上存在しなければならない。人々が異なる時間帯に異なる目的で外出したり留まったりする場所であると同時に、人々が多くの施設を共通に利用できること。2、街区のほとんどが短くなければならない。街路が頻繁に利用され、角を曲がる機会が頻繁に生じていなければならない。3、地区は年代や状態の異なる様々な建物が混ざり合っていなければならない。古い建物が適切な割合で存在すること。この混ざり合いは非常にきめ細かくなされていなければならない。4、目的がなんであるにせよ人々が十分に高密度に集積していなければならない。

このジェイコブズの条件は都市の近代化を加速させようとする動きとはぴったり当てはまらない。それまで営まれていた暮らしを切断して、生活者以外の外からの目線で設計した場所に整理整頓して人を住まわせようとすること、人の暮らしを管理しようとすることはやはりうまくいかなかった。アメリカ各地に建設された公営住宅の多くは数十年のうちに荒廃し、巣窟化していった。窓ガラスはほとんど割られ、廃墟の様相になって結局取り壊されることになる。つまり途方もない失敗だった。
そこに住まない人の理想で肥大化した公営住宅群がダイナマイトで爆破され積み木のように崩れ去っていく。爆破の映像を眺めながら、お仕着せの場所に人を押し込めてもだめなのだと思った。特に貧困の目立つ地区に公営住宅を建てて、そこに住まうようにとあてがわれた住まいというのは、以前より清潔で便利になったこともあるかも知れないけれど、それまであった隣近所との近しさや生活の肌理はことごとく失われてしまっている。整頓され管理されているという体感や、街の風景から阻害された自分たちの暮らし。そんな居場所を芯から愛せるはずがない。

それまであったものを損なわず、住む人たちを中心に改善すべきことを改善しながら街は代謝していくべきで、経済効果や体裁のために急激に変えてはいけない有機的な場所なのだ。ジェイコブズが言うように古い建物が混在しているべきだというのは、風景に積極的に過去を同居させるということだと思う。古い建物に歴史的価値があるとかないとかでなく、建物や街並みというのは過去を反映するもので、痕跡と共にあることは多くの人に住み継がれてきた時間を含み、また現在そこに住む人も、過去と現在進行形のあいだで自分も過渡の中にいることを感じることができる。
ちょうど先月、兵庫県豊岡市の街をリサーチしてテキストを書く仕事をしていた。豊岡の街は北丹大震災で大きな被害を受けている。そして洪水が頻繁に起こる円山川と共にあり、街は震災後に作られた区画や復興建築と呼ばれる地震に強い石造りの建物、治水工事の名残がある。高齢化や商店街に人が来なくなるなど地域が抱える問題もあるけれど、街を歩いたときに時間の変遷を感じられる場所には魅力的がある。私が住んでいる京都のような観光地になるとまた話は別で、名残以上に街は演劇的に振る舞うけれど、豊岡はそうではない生成りの部分が多く見られた。

自動車中心になっている国道沿いなどは、どの地域でもお馴染みのチェーン店が並ぶ似たような風景になる。そういうところは歩いてもあまりおもしろくない。もちろん立地の問題で生活に車移動が必須の地域も多いし、流通に道路は不可欠だけれど、人が日々を生きる上での豊かさとは何かを問い直したときに、自分が暮らす街の「いい風景」を改めて想像できるようになるのではないだろうか。

演劇「忘れる日本人」

忘れる日本人

ロームシアター京都で地点の「忘れる日本人」を見た。地点の作品は地点が京都に拠点を移した10年くらい前から何本も見ている。最近は大きな劇場作品より、地点の持っている劇場であるアンダースローで上演される演目をよく見ていた。

当日ロームシアターのロビーで。上演内容とは何の関係もないのだけれど、チケットは整理番号付き自由席で、開演前に劇場ロビーで整理番号順に並ぶようアナウンスがあった。観客は各々チケットを手に「何番ですか」「117です」「あ、すいません、じゃひとつ前です」「もっと後ろやわ」と前に行ったり後ろに行ったり、パズルのように自分の隙間を探して歩く。そして前後の番号の人たちが揃うとささやかな達成感を味わえる。
並んだ観客は列になって階段を降りていく。ロームシアターのノースホールは地下にあり、劇場にたどり着くまでにけっこう階段を降りる。たどり着くと空間の真ん中に木製の船が一隻置かれているのがまず目に入る。地下にある船はここぞというときのために隠されていた脱出用とか、そんなふうに見える。船の周り、俳優が動き回るアクティングエリアは、結界を張り巡らすように紅白のロープで囲われている。ノースホールは常設の舞台と客席がなく、演目ごとに空間の設えを変えられる。リハーサル室としても使える仕様になっているので、今回の客席から見て上手側にあたる壁面はレッスン用の鏡張りになっている。上演のときはもちろん隠すことができるけれど、今回はそれが全開になっていた。
俳優たちは開演前から船が置かれた台座の下の隙間に隠れて寝そべり、既にうごめいている。ふねふね動く手が見える。波のようでもありワカメのようでもある。船の下から男がひとりあらわれる。ハチマキにモンペをはいてボーダーのロンTを重ね着したちぐはぐな格好で、左胸には日の丸のマークが張り付いている。男は喋りながらずっと蟹のように横歩きをしている。体が上下動しないよう足の裏は床から離さず、擦るというかにじるというか、足をハの字、逆ハの字と素早く入れ替えながら滑らかにスライドするように動いている。確かパントマイムにこういう歩行がある。インドネシアの古典舞踊であるジャワ舞踊にもkenser(ケンセル)というよく似た動きがある。うまくやれると自分で動いているというより運ばれているような動きに見えてくる。このあと船の下から他6人の俳優たちもあらわれるが、俳優は全員終始この歩き方だった。船を中心に波間を漂っているようにも見えてくる。俳優たちは胸に張り付いている日の丸のシールを、剥がして船に貼り付けた。全員で船に乗り込む。船に乗る7人。でも七福神ではない。
地点の演劇は、戯曲を書かれた通りに物語として上演するのとは違う方法で演じられる。演じられるというか発語される。言葉は句読点以外の場所で区切られたり、反復されて意味より音の方が際立ってきたり、観客はそういう発語から物語の筋を追うのとは違う仕方で濃縮還元された言葉を受けとる。どういう演劇でも俳優は書かれた言葉を体を通して立体化するものだけれど、地点によって立体化される言葉は、演じられたというより、声と体によって造形されたものという感じがする。そういう上演を重ねてきた地点の俳優には、個々に違う部分もあるけれど共通するフォームが見える。今回中盤に差し掛かって、俳優の口調や立ち振る舞いに日常的な雰囲気が徐々に混ざり、強固なフォームが緩みはじめたところがあった。その前に真ん中に置かれた船を7人で
持ち上げようとするシーンがあった。船の底には神輿のようにかつげるように棒が両サイドから4本づつ渡してあり、全員で持ち上げようとしたけれどうまくいかなかった。どうやら本当に重いらしい。それで持ち上げるための人手を観客席から募るというくだりだった。俳優は虚構度の高い立ち振る舞いをにわかにほころばせ、観客に近い体を作って窓口になる。10人手伝って欲しいと観客に向かって話しかける。最初は観客同士様子見の時間があって、しばらくしてひとり、またひとりと手が上がり、立候補者が舞台上に上がっていく。人数が集まりつつあった頃、ひとりの観客が突然船の上に飛び乗った。近くにいた俳優が降りてくださいと注意しても観客は降りようとしない。スタッフや演出家も走ってきて説得が始まった。観客はなかなか降りない。何かしらの反感による妨害のように見えるけれど、降りようとしない理由はわからない。そのうちにどうにか船から降ろされ、その観客はスタッフに運び出されていった。つまりちょっとしたアクシデントだったのだけれど、もちろんそれで壊れるような劇ではなかったし、出来事として見ていたくらいだった。ただ演劇は人の集まる「場」であるということが否が応でも意識にのぼる時間ではあった。つつがなく進行していたらこの感覚はそこまで浮上しなかったかも知れない。

観客の加勢で船は無事持ち上がった。日の丸のシールが貼り付けられた立派な船がみんなの力で運ばれる。この船は誰が乗るための船なのだろう。運んでいる人は船には乗れない。ノアの箱船、宝船、泥の船、それとも象徴の船だろうか。日本のラベルをつけた無人船。やがて船が降ろされ、観客は席に戻った。今度は船を持ち上げていた神輿の棒だけを俳優たちが担いで歩く。何もない何かを担ぎ続ける、わっしょいわっしょい、それも一生懸命に。祈りや願いとは無関係な空洞の祭りの身振り、わっしょい、ただの行事でもない、空しいばかりでなく、身に覚えのない血の騒いだ痕跡も、記憶のどこか引きずっているのか、わっしょいという掛け声。舞台上で起こることは終始鏡に写っている。あんなふうに舞台上に鏡があることは俳優にとってものすごく気になると思う。実際鏡を見ている暇はないかも知れないけれど、わっしょいを連発する姿の写っている状況が上演と並走している。あの鏡は自分たちのやっていることへの批評的な視線として機能する装置でもあったのではないだろうか。そして輿のない神輿を担ぐその傍で、スーツを着た若い俳優が最初に船を据えていた鉄製の見るからに重そうな台座を、なぜかひとりで持ち上げている。台座を必死で持ち上げる。持ち上げる意味のなさそうなものを全力で持ち上げては移動させゴトンと落として脱力し、また持ち上げては落とし脱力。何かをそうやって頑張っていなくては、活躍しなくてはならないその要請の空洞。矛先を失って意味の満ちなさに満ちた動作の数々、さまざまな事柄におけるコアの忘却と形式をなぞり覚えていることにする、大したことじゃなかったことにする、なかったことかも知れないと思い始める、忘れる日本人。畳み掛けるようにそのタイトルから想起される様々は反射して、同じく日本人である私にも鋭く向かってきた。

音楽 「戸川純 Live in Kyoto 2018」

togawajunのコピー

戸川純を知ったきっかけが何だったかもう覚えていない。初めて聴いたのは「空の彼方に浮かぶは雲」と衒いのない高音で始まる『諦念プシガンガ』だった。イントロでなぜかコンドルは飛んでいくが浮かぶと思っていたけれど、原曲がアンデス民謡だったことは最近知った。「牛のように豚のように殺してもいいのよ」「我一塊の肉塊なり」と繰り返しと歌われる。諦念の果てに名前を持った何者かから肉の塊に還元される、自暴自棄とも違う妙な受動の力強さに惹かれた。それから色々聴いてみるようになったけれど、曲によって歌唱法というかキャラクターが変わる演劇的な歌の世界に最初はついていけなかった。それでも聴いてきたのは、歌に表現されるものに脈打つ赤さを感じたからだった。

イヤホンから音楽を流し込むことで足る日々を送っていたけれど、京都でワンマンライブがあることを不意に知る。その時に居合わせた友人が、戸川純がテレビに出ていた頃を知るファンであって、その場と酒の勢いでチケットを2枚予約してしまった。
ライブの数日前から止むことを忘れた怒りのごとき大雨が続いた。後からその雨には西日本豪雨と名がついたけれど、もはや中止になるのではないかと人を寄せ付けぬ濁流と化した鴨川を眺めていた。ようやく雨が落ち着いたのはライブ当日の7月7日で、新幹線も動いていた。一緒にチケットを取った友人は愛知から戸川純Tシャツで無事たどり着いた。

京都MOJOというライブハウスには学生の頃に来て以来。あまり広くないのは知っていた。おしゃれカフェでバゲットサンドを齧って話し込んでいたら思ったより時間は過ぎ、開演15分前くらいにたどりついた。場内は既に半分人で埋まっていてステージはほぼ見えない。最前列あたりは頭髪の雰囲気を見るにファン歴もそれなりに長そうな人が多く、そこに20〜30代の人も混ざっている。目の前にいる二人連れは母親と娘だった。開演時間になって後ろを振り返ると、すし詰め状態で退路は断たれている。立っている位置からステージはほぼ見えない。開演時間から10分経っても始まらないので、待ちわびる観客のそわそわも限界に近づいた頃、戸川純がステージに現れた。現れたと歓声でわかっただけで、この時点で姿は帽子しか見えていない。

雨でお客さんが来るのかどうかと心配していたこと、山口県から来る予定だったキーボードのメンバーが雨の影響で電車が止まって間に合わないこと、それで急遽曲目やアレンジを変え、助っ人を呼んでさみしくない感じでやれます、と重たい舌を持ち上げて喋るような独特の口調で説明する戸川純。曲が始まる。喋る声が歌う声に変わる。今は昔出ていた高音域の声は出なくなっている。さらに腰を痛めてあまり長い時間は立っていられないので腰掛けて歌っていた。後ろの人に申し訳ないから時々立ちますと気遣いつつ、今も痛み止めを飲んでいるという。
MCで高い声が出なくなったことについて本人も話していた。ホイットニー・ヒューストンは酒と薬で声を潰し、一世を風靡した力強いハイトーンボイスを失って48歳で亡くなった。ホイットニーの場合、とにかく超人的な歌唱力が歌のほぼ全てを支えていたのだし、声のクオリティを損なうことは歌手でなくなることと同義だったのだろう。戸川純はホイットニーのことを悔やみ、声が出なくても声出せよという。出なくなったからってやめるなよ、と。つまり歌唱力によってのみ支えられているのが歌なのか、という問である。それは何よりも戸川純自身のあり方が物語っていた。実際、現在の音程に合わせて歌われた若い頃の曲、特に『ヒステリヤ』『Not Dead Luna』『母子受精』『バーバラ・セクサロイド』『好き好き大好き』『赤い戦車』もちろん『諦念プシガンガ』そして近年Vampilliaのアルバムにヴォーカルで参加した『Lilac』どれも聴きごたえがあった。高音域が出ないとか昔と違うとか、そんなことは何の問題にもならなかった。
アンコールでパンクverでも歌われた『蛹化の女』の「それはあなたを思いすぎて変わり果てた私の姿」『好き好き大好き』の「愛してるって言わなきゃ殺す」『Not Dead Luna』の「私は死ななかった 死にゃしなかった」といった歌詞の数々、若い頃の勢いと演劇的歌唱力で歌い切られていた部分がもっと素朴で率直な声として、経年の厚みを含んで届く。若い子たちは純ちゃんかわいーとか叫ぶ。私もミーハー心に動かされて足を運んだ訳だけれど、戸川純がすぐ目の前にいるという事態が了解されたあとは、声が昔のように出なくても、立っていることがままならなくても、人前に立ち続け観客を魅了する、この熟練や洗練という言い方からはみ出す現在進行形の力は何だろうと思っていた。
若い頃から一緒にやっているバンドメンバーもそれぞれ白髪混じりになっていい顔をしている。いくつになってもできる限り続けてほしい。若くして開花し人気を博したアーティストがその場限りの消費に終わらず、年月を経ても作った楽曲を介し表現を熟成させることができるのは、時の花だけでなく深く根差すものが音楽の根幹にあったからに違いない。

改めて2016年にリリースされたアルバムのタイトルが『私が鳴こうホトトギス』であることに感動する。鳴かぬなら、殺すのでも鳴かせてみるのでも鳴くまで待つのでもなくて、戸川純は、私が鳴こう、なのだ。今回このアルバムのタイトルチューンである『私が鳴こうホトトギス』は歌われなかったけれど、歌詞にある「門前に習わぬ歌を」「何年経っても鳴いていよう」ライブではまさにそれを聴いていたように思う。

戸川純にはアイドル的女優的側面と、表層的な振る舞いや他者による演出だけでは消費され尽くされないものがある。生命維持より余分な血が余るのだ。歌は血の余剰のように感じられる。だから印象が赤い。器である楽曲は年を経てもこの先も、声を注げば血はめぐり、息を吹きかえし続けるだろう。

演劇「鎖骨に天使が眠っている」

鎖骨

大阪、地下鉄の恵美須町という駅で初めて降りた。商店街には家電量販店が数件、その隙間にジャンクショップ、ゲームショップがちらほら。賑やかな電気屋街だった気配はある。私の用事は観劇だったが、開演まで2時間もありお腹が空いていた。商店街にはバーガーキング、少し歩くとサイゼリア。数十年ぶりのサイゼリア。迷うことなくミラノ風ドリア。斜め向かいの席にインド人女性と日本人の男女。インド人女性のカタコトの境遇が断片的に聞こえてくる。レンラクトレナイ。店内は必要以上に冷房が効いている。ユクエフメー。ミラノ風ドリアで温まった体はあっという間に冷却され、店を出る頃には凍えていた。
恵比須町駅のすぐ傍にあるin→dependent theatre 1stに、ももちの世界「鎖骨に天使が眠っている」という演劇を見に来た。舞台上には金網と民家の裏庭のような場所、プレハブのようなガレージが建っている。この作品の舞台になっている場所は、宇治川の堤防下に所狭しと並ぶ家々とある。セットの雰囲気からローカルなにおいが漂ってくる。

冒頭、主人公義男の第一声、友人である透に向けて発せられる「口紅、塗ってぇや。」
この最初の一言で3つのことが喚起された。1つ目は男性によって演じられている義男のセクシュアリティについて。そして納棺師である透に要求される口紅は死化粧を想起させた。つまり冒頭の時点では「行方不明」とされている義男はそこにいるけれど、すでに死んでいる可能性があるということが示唆される。3つ目は口紅を「塗ってぇや」とねだる相手への好意のあらわれ。最初のたった一言で物語の核となる義男の人物像が説明抜きに示された。その言葉の選択がまず見事だった。

ある夜「行方不明」だった義男が自宅に戻って来たのは父親の通夜があったからだった。納棺をつとめたのは透だった。突如目の前にあらわれた義男を前にした透の沈黙の後、久々に再会したふたりの高校生の頃の思い出話が始まる。義男の家の屋根には女性器のらくがきと何度もペンキで塗り直した跡がある。義男は俺のせいやなと言う。透はお前のせいじゃないと答えるけれど義男は納得せず激昂する。
時間はふたりが高校生だった10年前に巻き戻る。義男の姉一恵と一恵の親友で葬儀屋の娘である柚香、義男の父親と母親があらわれる。父はバスケ部の監督で義男もいやいや所属し、透はエースで一恵に気があってCDを貸し借りしたりしている。一恵は友達のいなかった弟と仲良くしてくれる透には好感を持っている。義男は透にねーちゃんのパンツ欲しいかと尋ねたり、ミスチルのイノセントワールドを流して透にストリップショウを披露したり、一恵は好きな人が自分ではなく柚香に告白したのを知って落ち込んでいたところ、たまたま居合わせた透に付き合おうと言ってみてすぐ冗談と取り消す、という青春物語が繰り広げられる中、車の急ブレーキと猫の声が鳴り響く。
義男の家の前の堤防沿いの道路は細く、猫がしょっちゅう撥ねられる。また一匹撥ねられた。見に行こうとする柚香をえぐいからと一恵は止めるが、柚香は猫の死体に素手で触れ、空き地に埋めた。一恵は猫の死体を見るだけで気持ちが悪くなる。自分には到底できないことをやってのけ、人気もある柚香に憧れと悔しさの混在した感情を抱いていた。猫が撥ねられる音は劇中通底音のように何度も繰り返される。また撥ねられた。猫の鳴き声がする。意を決して猫を助けに行くが、そこで一恵は車に撥ねられ死んでしまう。

義男は一恵のブラを自室で勝手に着けたりしていたけれど、一恵は怒らなかった。義男の誕生日にはとっておきのものをプレゼントすると約束していた。内緒で義男に口紅をさしてあげた夜もあった。一番の理解者であった姉を失った義男は自室にしていたガレージに引きこもる。父は義男の心境を理解せず、無闇に出てこいと怒鳴り散らす。母はそんな父を見て取り乱すのは私の役目やとたしなめる。
透も義男にスターウォーズを観に行こうやと2時間呼びかけるが返事はない。柚香は義男が透と一恵をくっつけようと相談してきたことがあると話すと、激怒して帰ってしまった。
柚香の語りかけに義男はようやく外に出てきた。柚香はなぜ人は死ぬのかと問い、それは言葉を持っているからで、死という言葉に捉われず別の言葉を信じれば、いつも一恵に会えるのだと説明する。全然わからないという義男に柚香は例えばと義男の鎖骨に触れ、「君の鎖骨に、一恵は眠っています。」と告げる。

演劇であれ映画であれ、見て泣いたという感想をあまりあてにしていない。本人の経験やコンディションによるところが大きいと思うからだ。私は観劇で泣くことがないけれど、鎖骨のくだりで涙腺がゆるんだ。それは物語の進行の中で、この台詞が作用するフィクションの厚みを受け取れていたからだろう。上演に同行しているという感覚があった。それくらい物語に牽引力があり、演じられる体にも引力が宿っていた。

義男は元気を取り戻し、悲しみを繰り返すまいと猫飛び出し防止ネットを堤防に張り巡らせようとはりきっていた。そこへ堤防で撥ねられた猫の写真を撮っていた拓次に出会う。拓次は戦場ジャーナリストだが、仕事で来てふらっと写真を撮っていた。拓次は不器用で自分にどこか似ている義男に親近感を持ち、カメラは本当を映すから撮ってみるといい、と使い捨てカメラを手渡す。ふたりは会って写真を見たり話したりするようになる。ある日義男はもう自分に嘘をつきたくない、自分を撮って欲しいと拓次に頼む。その夜、自室で拓次にポートレートを撮ってもらった。
それから義男は変わった。化粧をして学校に行った。学校はやめて写真家になりたいと拓次に話す。それを知った父親は恥をかかせるな、頭がおかしくなったのかと怒り狂う。義男はなぜ化粧をするのか、学校に行きたくないのか理由を聞いてくれないこと、バスケなんかやりたくないし、自分の体も義男という名前も大嫌いで、ねーちゃんじゃなくて俺が死ねばよかったと思ってるやろ、と黙っていたことを全てぶちまける。父は掴みかかろうとしたが、言い返せずその場を去った。表からは同級生たちの今日は化粧しないのかと嘲笑が聞こえる。透も黙っているがその中にいる。義男は透に来週の花火一緒に行こうと声をかけた。

義男は拓次と一緒にトルコに行きたいと言い出した。拓次がやっぱり連れていけないというと、義男は怒って、勢いひとりでトルコに旅立った。すぐに拓次も追ってトルコに向かった。トルコからふたりはシリアに入る。ここからふたりがシリアで見た風景が、拓次の妻が最後に受け取ったメールの内容として淡々と語られていくが、その間舞台上は暗転のままふたりの声だけが聞こえる。やがてふたりは拘束され白い部屋で拷問を受ける。「恨むならアメリカを恨むんだな」「大量のコーラを飲まされた 逆さ吊りにされた、大音量のヘッドフォン」と繰り返される。「耳がイカれた 局部を紐で縛られた もう子供はできないな お前の家族に電話した 日本人は金になる おいおいおいおい 日本はお前を見捨てたぞ」「匂いがした 火炎放射器で焼かれる匂いだ 色んなことを思い出した…」
暗転の中でもうほとんど忘れかけていたオレンジの囚人服、砂漠を背景に跪く二人の日本人の姿を思い出した。このシーンはやはり2015のISILによる日本人拘束事件をベースに書かれている。

義男の父の葬儀には拓次の妻であるライターの昌美もやってきた。義男と拓次のことが報道されて以来、両家族はマスコミに追い回され、周囲からの罵詈雑言を浴び、嫌がらせを受けてきた。それにひたすら耐えてきたのだ。けれど昌美は事件のことを本にしたいと協力を仰ぐ。透も義男の母も最初は波風立てないでほしいと言ったけれど、真実を伝えたいという昌美の思いに賛同する。

ラストシーン、義男は一恵が死ぬ前の最後の誕生日プレゼントだった女物の浴衣を着て透の前に現われる。でも寸足らずだった。女の子としての弟の体のイメージと、実際の義男の寸法はきっと思うより違っていたのだ。そういうちょっとした描写からリアリティを受け取る。義男はこういうところがねーちゃんクオリティやと笑う。
義男はトルコに発つ前、花火大会の夜に透を待っていたけれど透はやってこなかった。透はお前の納棺をさせてほしいと伝えるが、義男は火傷でグジュグジュやから見せたくないと答える。道路に飛び出しては撥ねられた猫の存在がふと響いてくる。それでも透は大丈夫やからと言うと、義男は好きにしたらいいと家の前のベンチに横たわる。最後に口紅を塗ってほしいと透に手渡し、透が義男の顔に触れたところで暗転する。
口紅という象徴的なモチーフが出てくるけれど、演出の中で義男が実際に口紅をさすところは一度も観客に見せなかった。見せないことがよかった。口紅をさすという行為を見せるのは、女性性の成就を強く表象してしまう。義男は自分の性を選び取って自由に生き始める前に、周囲がそれを受け入れる前に命を失ったのだから。

生き辛さを抱える義男を中心に見えてくるのはむしろ周辺の人々のありようだった。家父長制の問題、セクシャルマイノリティーの問題、「普通」らしきものの様態に紛れている澱みや、規範から逸脱するものへの不寛容、非があると見なしたものへの執拗で容赦ない露骨な言動、当事者だけでなく家族や友人にもそれが及ぶこと。さらにどう自分に引きつけて考えればいいか宙に浮いたまま消えつつあった事件の喉に詰まる感覚がよみがえった。観客もただ観客でいられない様々な問題が物語の中に編み込まれている。
劇の言葉は、現実にあっては流れ去っていく事柄を幾度も手に取れる形に鋳直し、生きている私たちの問いとして投げ返されるものであるはずだ。どのような演劇でもそういう声を聞く場をしつらえることが上演であるべきで「鎖骨に天使が眠っている」はストレートな演劇のフォームの中にその意思が貫かれていることがはっきり見える作品だった。

映画「イマジン」

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例えば色を見たことがない人に赤色を説明しようとする。

「えーと、赤というのは血の色で、だからどういう人でも体の中ってほぼ赤いんですけど、でも表面は赤じゃなくて肌色で、肌の色は人によって微妙に違ってます。体ってあったかいじゃないですか、それは血がかよってるからで、つまり赤はあったかい、別にあったかくないトマトとかも赤いんですけど、だからあくまでもあったかいっていうのは赤のイメージで、必ずしも赤いものが温いわけでなく、でも怒って顔を真っ赤にするとか、恥ずかしさに顔を赤らめるとか、カーッと体温が上がったときにそう言ったりもします」

こういう説明で伝わるのは赤の周辺で、赤という色そのものではない。言葉の情報で赤をどうにか赤に染めようとするけれど、いくら言葉を尽くしても、見えている赤という色をそのまま伝えることはできない。物体にはそれぞれ異なる色がある、という場合の世界を私は当然のものとして受け取ってきた。
目を閉じて周囲のものに触れてみると、形状の特にフチや材質がいつもより鮮明に感じられる。冷えた炭酸水の入ったグラスを触ると、水が入っているところと入っていないところの温度差に量を感じ、発砲する音も立体的に聞こえる。普段見ることで捕捉している情報とはキャッチの仕方が変わることはそうして少し体感できるけれど、目で見た記憶から逃れられない者にとって、いくら目を閉じてみても最初から視覚を伴わない世界の形状は未知のもので、そこにはきっと私が見ることのできない風景が存在する。

映画の舞台はリスボンの街、主人公は盲目の男女。
視覚障害者のため古い修道院に開かれた診療所で、国籍も様々な人々が集まっている。実際に視覚障害のある人たちがキャスティングされていて、こぼさないようグラスに水を注ぐ練習をするシーンでは、グラスとピッチャーの距離に迷ったり、水面を指で測りながら水を注ぐ手元が順々に映される。みんな徐々に上達していく。
男は盲目の子どもたちに、自分の出した音のはね返りで前方にある物の距離や大きさや把握する「反響定位」を教えるためにやってきた。それである程度周囲の環境を把握することができる。男は白杖を使わずに路面電車の走る街中でもどこでも歩くことができた。タップシューズのように音のでる靴を履き、その音をよく聞いて道の段差も察知できるので、躓かずに歩くことができる。危ないと注意されても白杖を持ちたがらない。子どもたちにも杖に頼らず歩くことを教えようとするので、診療所からは咎められる。白杖がいやというよりたぶん男は、生きる方法を押し付けられるように、ルールに従って歩くのが嫌なのだ。男の隣の部屋には自室に引きこもっている盲目の女がいる。彼女は窓を開けて窓の縁に鳥の餌をパラパラと置く。窓の縁は鉄製で鳥がやって来ると足音が聞こえる。女はその音で鳥を見ている。男は女の気を引こうと、自分も同じように餌をやって鳥を招く。女はその音を聞いて、餌は何をあげているのかと尋ねる。ひまわりの種だと男は答えた。けれど実際にまいていたのは窓のそばに置かれた植木鉢の石で、鳥の足音も針金を手に持って男が叩いて出していた音だった。

女も男に興味を持つようになり、ある日ふたりで街へ出かける。杖を持たず歩く男について、通行する人々の靴音、通りすがる車やバイク、街の音を立体的に聞きながらふたりは歩き続ける。木陰で休み、男は木になっていたさくらんぼを彼女の口にすべり込ませる。最後にやってきたバーではふたりでワインを味わい、すぐ近くの港には大型客船が来るのだと話して聞かせた。
男は子どもたちの心も捉えたが、あまりに自由なふるまいに診療所の職員は不安と不信を募らせていく。ある日、警察に保護される問題を起こしたことをきっかけに解雇通告を受け、ついに男は診療所を去ることになった。女は男があんなふうに歩けたのはセンサーを持ち歩いていたからで、鳥を呼んでいたのも全て音だけだったと職員に知らされる。ふたりで出かけたときに休んだ木陰にあったのはさくらんぼの木でなく、女の口に入れたさくらんぼは、傍の露店で売っていたものだった。ワインを飲んだバーから港も近くにはないし、大型客船が本当に港に来ていたかどうかも定かではない。
つまりそれらは嘘であった。けれど果たして、嘘、というのだろうか。
男はさくらんぼの木や、実際は近くにない港を風景の中に出現させた。男が連れ出した見えている者には見えない世界は女にとって輝いていた。見えないことを不自由とせず、見えないままに世界をイメージで描くこと。それはいたずらに人を欺く嘘とは異なるすがすがしいフィクションである。女は診療所を去った男のあとを追った。
障害のあるなしに関わらず、生きていることを生きようと意志して引き寄せる力がなければフィクションは生まれない。人のあいだで、人を幸せにするために必要なのは、正直さだけでも嘘でもない、フィクションを生む創意を持つことではないか。

目に見えているものだけがありのまま正しいわけではない。視覚に限らず広い意味で「視点」を変えれば世界は違った形に見える。当たり前のようで忘れがちなそのことを「イマジン」は見えない、ということから鮮明に見せてくれた。

クエイ兄弟 ファントムミュージアム展

Quay

「より秘密の多い、より伝え難い、もうひとつの秩序」 
人は誰でも人生のある地点で、その後の自分を方向付けてしまうような力を持った物事にいくつか出くわすけれど、私にとってそのひとつに数えられるのは、クエイ兄弟のアニメーション作品だった。高校生の頃、レンタルビデオ屋のミニシアター系の棚で「ストリートオブクロコダイル」や「ベンヤメンタ学院」を見つけ、パッケージに惹かれて借りたのがきっかけだった。ストーリーはよくわからないけれど、ものや人形の動きそれ自体に感覚がざわつき、意味よりも先に掴まれた。1秒の動きを作るために24コマの撮影が必要で、3分の動画を作るのにも数時間かかる、というその膨大な手作業によって編まれた時間の密度だけでなく、作り込まれた世界の夜の深度に魅せられた。それは天体の動きによって規則的に訪れる夜でなく、不確かなものを見るために望まれ、呼び込まれた夜だった。そんな暗がりと密度の蜜に惹かれて、私は大学の進路を映像舞台芸術学科というところに決めてしまったのだった。

今回の展覧会はクエイ兄弟のこれまでの仕事を網羅した内容で、生きているうちに一挙に見ることはもうないだろうと、人生の途上に燦然とあったものを確認する気持ちで愛知県岡崎市まで出かけた。会場の岡崎市美術博物館は東岡崎駅から1時間に2本くらいしか来ないバスで30分かかるので、県外から来た車を持たない者にとっては遠い。市街地を抜けたところの森林公園内にある美術博物館はガラスの箱のような建築で、五月晴れの正午を反射していた。

クエイ兄弟は一卵性双生児でフィラデルフィア出身、つまりアメリカが祖国だったというのは今回プロフィールを見るまで知らなかったけれど、出身と作風がこんなにも結びつかないこともあまりないように思う。地元の美大からロンドンの美大に進学し、専攻はイラストレーションでその頃からアニメーション映画の製作を始めている。在学中にポーランドのポスター芸術展を見たことが決定的な衝撃となって、そこから東欧の美術、文学、音楽、舞台芸術に関心を寄せていったという。当然チェコアニメーションの巨匠ヤン・シュヴァンクマイエルからも多大な影響を受けている。東欧で演劇なら、私が最も心寄せた演劇のひとつ、ポーランドのタデウシュ・カントルの作品も見たかも知れない。

展示はクエイ兄弟が大学時代に描いたドローイング、コラージュから始まる。描画は細密で、鉛筆や銅版によるものが多く、カフカやヤナーチェクの音楽から題材を取ったもの、学校の課題だったのか架空の装丁やポスターの作品、ふたりを震撼させたというポーランドのポスターも数点並ぶ。幻想的でありながら人の脳髄の奥に触れて覚醒させるようなモノクロの作風は、既にそれより後の作品へ繋がる夜の予感を十分に孕んでいた。

「現実を真に把握するには、法則によるのではなく、その法則の例外によるということ。そして、この周辺の立ち位置が、いかに不完全であっても僕たちの立ち位置なのです。」
僕たち、とあるので、ああふたりなのだ、ということを改めて思う。今回の展覧会図録に「虚実皮膜の間」というテキストを寄せている水沢勉氏は「画面には、具体的には「四つの目」と「四つの手」が関わっている」「二人が、その通常よりも二倍の、いうならば「二重化」された、まなざしの力で、そのイメージを動く映像へと「アニメイトする(生気づける)」ことを選んだのがロンドンの地であったことも暗示的であろう」と指摘する。1980年代以降、映像表現に関してもっとも実験的であり、同時に保守的で伝統を重んじるロンドンという都市がおのずと二人のまなざしのさらなる「多重化」を促したはずだと書いている。ふたりがどのように製作を分担しているのかは、はっきり明かされなったらしい。見た目にはそっくりな一卵性でも思考には当然相反する部分もあるだろう。異なる文化圏に精神と思想の故郷を見いだした四つの目と手は、交錯しながら時間を編み上げ、特異な密度の模様を仕立て上げた。

今回の展示では、室内装飾、舞台装置の意味をもつ「デコール」と題された箱の中にこれまでに製作されたアニメーションのシーンのセットが再現展示されていて、かなり近くでディテールを見ることができた。「ストリートオブクロコダイル」で印象的な仕立て屋のシーンのデコールもあった。店内にはあの頭が空っぽの3人(そう書くと無知をバカにしているようだが、実際そういう形態をしている)がいて、店主はテーブルに型紙を広げている。アニメーションでは型紙の下に突如レバーのような肉塊が出現する。数十年経っても妙な生々しさが鮮明に残っている。レンズを覗き込むように見る作品もあって、覗いて見ると「失われた解剖模型のリハーサル」に出てきた額のできものをずっとくりくり触っている奴が向こう側にいてはッとした。デコールはどれも人形、衣装、室内装飾の経年具合に至るまで細やかに作り込まれている。緻密なディテールの中に虚が実の境目を踏み越えて人を動かすことへの確信が宿っているのが見え、そのことが既にアニメイトであり、実際に動かされるより前にデコールの中に胎動を感じる。
その他近年のクエイ兄弟は、舞台美術やミュージックビデオ、テレビコマーシャルの仕事も多く手掛けている。コマーシャルだと、ニコン、コカコーラ、ケロッグ、薬物乱用防止など。気になったのは、モンサントの除草剤ラウンドアップのCMも製作していて、展示では静止画のみだったので動画を探して見た。クエイ兄弟の仕事だと思えないようなカラーアニメーションで、トマト畑のそばに咲く喋るタンポポが死んでいく映像だった。なぜ引き受けたのかが何より気になった。

今では検索すれば動画で全編見られる「ストリートオブクロコダイル」を改めて見直した。作られた一瞬一瞬が連続し、動きは必然性を帯びて立ち上がってくる。まるで振付の作業のようにも思えた。そうやって生み出された動きそのものに宿る強度は、モノや人形というそれ自体意思を持たず、動くはずのないものがあたかも生きているように動いている、という魔術的な側面にある程度起因するものなのかも知れないけれど、それだけではなく、クエイ兄弟のアニメーションに宿る引力は「より秘密の多い、より伝え難い、もうひとつの秩序」に対して開かれ、不明瞭なものを探る動きに軸足が置かれている。そうやって命を与えられたものは、呼び込まれた夜のなかでいつまでも人々の目の裏を擦り続けるだろう。

惑生探査記

wakuseitansaki

という名のコラムをこの2年間、毎週思うままに書かせていただいておりました。なんでもない日々のこと、観たもののこと、詩が混在した読む人を困惑させる惑生探査であったかも知れず、2年目を迎えるにあたり気持ちも新たにややリニューアルします。
コラムのタイトルは『惑生探査記』から『惑生探訪記』と一文字改め、今後は展覧会、公演、映画等のレポートを中心とした隔週更新になります。
毎週読んでくださった方、時々覗いてくださった方、お付き合いいただきありがとうございました。『惑生探訪記』は6月から投稿再開いたします。

5月素描

sketch5

バス停のそばで土のついた朝掘り筍がカゴに盛られている。竹の旬と書いてたけのこなのだと眺めながら、去年スーパーで買ったのはぬかで下茹でをしたのにえぐかったのを思い出した。筍はとにかく鮮度が命と聞くし、朝掘りなら大丈夫かも知れないとひとカゴ買って帰る。
その辺りは昔一面竹林だったところで、40年くらい前にニュータウンとして開発されて団地がたくさん建ったらしい。バスで移動していると今も点々と残っている竹林が目に入る。あちこちに筍ののぼりが立っている。朝掘りの筍ごはんはさすがにおいしかった。

隣のベランダの鯉のぼりの尾に手が届く。大きな魚の影が泳ぐ下でメダカは日に日にふくよかになっていく。それでやっとメスが2匹、オス1匹であることがわかった。水質浄化能力のあるヒメタニシはなかなか売っていない。ネットでならすぐ見つかるけれど、ネットで生きたものをまだ買ったことがないのでなんとなく気が引ける。そうこうしていたら幼馴染みからタニシをくれると連絡がきた。

その上軒先にツバメもやってきた。土や藁がぱらぱら落ちているので巣を作っているところなのかと思っていたけれど、一向に巣作りが進まない。ただ毎晩2羽建設途中の巣を足場に寝に帰ってくる。巣は他の場所に作っているのか、それとも子育てをやめてふたりでのんびり暮らすことにしたんだろうか。

ばらも咲く。最初に咲くのは毎年同じ品種。今年は特に花つきがいいように思う。惜しみなく重ねられた花びらが重たい。一輪開いたらあとは次々開花する。雨に弱い品種は濡れる前に切って生ける。咲き尽くしたら花びらが落ちる前にたくさん集めて鍋に入れる。少な目の水を入れて沸騰したら火を弱めて3分、火を止めて5分蒸らし花びらを濾す。液体を鍋に戻して砂糖とレモン汁を加え、砂糖が溶けたら瓶に移す。出来たばらのシロップは炭酸水で割って飲む。強香種で、散布する薬は野菜にも使えるものを選ぶ。色が濃い花なら鮮やかなシロップになるのでなおいい。味わうことができるのもばらを育てる贅沢のひとつだと思う。

いまここといつかのどこか

imakokoto

今年も京都で開催中のKYOTOGRAPHIE 2018のパスを買い、日々隙を見つけては会場を巡っている。
作家それぞれの作品に合わせて会場も選ばれていて、普段足を踏み入れることのない場所を訪れる楽しみもある。毎年同じ会場もあれば、その年だけの場所もある。ギャラリーのように作品展示に特化した場所ではないところも多く、展示される写真以外のものも大いに目に入るし、そこに来た、という体感がはっきり残る。つまり鑑賞者はある場所を訪れるという立体的な体験を伴って写真を見ることになり、鑑賞することが平面的で受動的な行為として完結しない仕掛けのようにはたらいている。場所が持っている物語や雰囲気とそこで写真を見ることが相乗的に作用するようキュレーションされている。

今年は会場のなかに一ヶ所思い入れのある場所があった。
丸太町にあるダークグレイの京都新聞本社ビル。外から見ると普通のビルだけれど、中には地下1階から3階まで天井をぶちぬいた1000平米の印刷工場がある。その工場跡が展示会場だった。そこは父の職場で、父はまさに印刷部勤務だった。
私が子供の頃、休みの日に何かの用事で父が会社に寄ることがあるとき、何度か連れてきてもらった記憶がある。ネクタイを締めて行く職場ではなかったし、夜勤があるため休憩所には畳敷きのスペースがあって、そこでごろ寝している人や将棋を指している人もいた。社宅に住んでいたので顔見知りのおっちゃんも多い。みんな友だちの誰かのお父さんだ。会社に連れていかれるとおっちゃんたちがひやかしに来るので恥ずかしかった。UCCの甘い缶コーヒーで歓迎された。
新聞は2015年までそこで刷られていたけれど、今工場はもっと南に移転して内部の機械はすべて撤去され、全体的にインクで黒ずんだ巨大ながらんどうになっている。そこにまだ印刷機があって、動いていたのを見せてもらったことを断片的に覚えていた。とにかく大量の新聞がベルトコンベアのようなものに並んでダーっと上へ上へ昇っていく様子と、まだ会場内に残っているインクのもっと油気の強いにおい、さらに耳もとで喋らないと声の聞こえないくらい騒音だったことを覚えている。こんなところに1日いたら耳が変になると思った職場に父は18の頃から40年以上、もう現場は離れているけれど今もなお働いている。仕事用軍足は洗っても黒いままだった。工場の壁面に手形や靴跡が残っていて、当然見分けるすべはないけれど、この中のどれかは知っているおっちゃんや父のかも知れないと思ったりしてしまう。当時30代で働き盛りだったおっちゃんたちは皆そろそろ定年をむかえる。全国紙に少し遅れてカラー印刷機が入ったときは、家に届いた新聞のカラー頁の反対面に色が少し付いているのを見て乾燥足りひんなどと言っていた。父がここで稼いだお金で私は学費の高い私立の美大に行かせてもらったのだった。

会場に入ってしばらくはそういう回想の方が浮上して、目の前にある写真を見る目はほとんど遮られていたけれど、しばらく経ってその波が引いてからようやく写真を見ることができた。
アメリカの写真家ローレン・グリーンフィールドの作品は世界各国の富裕層の人々を記録し続けている。読まないのに立派な書庫付きの豪邸に暮らし、高級車、ハイブランドに身を包み、義足もヴィトンのモノグラム、肌のたるみは切って伸ばし、生活も表皮もピカピカになった人々、支払いが滞り建設途中で放置された邸宅などの写真もある。大きく引き伸ばされたプリントとプロジェクションによる写真展示はかなりのボリュームで、黒ずんだ工場跡で富や名声への欲望が余計ギラギラして見える。図鑑のようにそういう人々の生態を見ていく。この会場で戦争や難民や貧困を撮った、たとえばマグナムの写真などを展示したらトゥーマッチだろうなと思う。ローレン・グリーンフィールドの作品はフォトジャーナリズムの側面とアーティスティックさを兼ね備えていて、批評的な視線だけでなく、表面に吸収された人々の様態の過剰さを、被写体として魅力的に捉えていることも感じられる。
今回のキュレーションがおもしろいのは、新聞という世の中をイメージする手がかりになるものを刷り続けてきた廃墟に、富む人のイメージそのままに刷り込まれて生きているような表面の生き様が展示されているということで、それはピカピカの表面なのだけれど、グロテスクに見えてくるところだった。写真にそういうものが捉えられていることが見えてくる。そして単に成金と言って笑えない何かがある。彼らの姿もより良く生きたいと願った結果なのだ。けれどその、より良く生きる、は余剰に潤色されいつしか、より良く、自体が目的となり肥大化した生き物になっている。余りあり、溢れかえる衣食住におぼれる、命に別状のないことの別状という言葉が浮かんだ。

メダカの空腹

medaka

先週のコラムで書いたうちに来た4匹のメダカは、1匹睡蓮鉢から飛び出して干からび、3匹になったあとはおだやかに暮らしている。
睡蓮鉢にわいていたわりとおぞましいボウフラの群を早々に食べ尽くし、今度は他に食料があるのかどうか逆に心配になってきた。肉眼では食べられそうな生物は確認できない。そのまま数日が経った。活発に動く昼間に何か食べているか観察してみると、水面に浮かぶ埃などを口に入れてはピッと吐くを繰り返したり、特に藻など生えてもいない鉢の側面をしきりに突ついたりしている。まだメダカの生態をよく知らないけれど、その様子はお腹を空かせているようにしか見えない。
ボウフラがたくさんいるからエサはいらないと思って専用のエサを買っていなかった。メダカ、空腹、見分け方、で検索すると、痩せてきたらエサ不足とあった。痩せる手前で判別のつく方法はないのか。それにそもそも細いメダカの痩せ具合を見極められる自信がない。
メダカの空腹が気になって仕方なく、夜にAmazonでメダカの餌を注文したら翌朝ポストに届いた。メダカの餌は顆粒の和風だしのような細かい粒で、水面にまいたら3匹はすぐに気付いて浮上し、なかなかの勢いで食べ始めた。やはり空腹だったのだ。食べ残すほどあげてしまうと水質汚染になるそうで、1食耳かき1杯分。ある朝手元が狂って小さじ2くらいの量をまいてしまった。急いで台所に行き余分なエサをすくいとれそうな道具を探す。メダカをすこやかに育てる鍵は水質の維持だとメダカサイトに書いてあった。まずい。油かすを漉す取っ手のついた網は目が細かくてちょうどよさそうだった。できるだけ丁寧にエサをすくいとったけれど、それでもかなりの量が底に沈んでしまった。そんなことをしながら睡蓮鉢のそばにいると、水を飲みにやってくるハチに毎日出くわす。ハチは私に慣れたようすで水を飲んでいて、私もハチに慣れてもうお互い逃げない。
メダカは飼ってきたときより体つきもしっかりとし、3匹のうち1匹はお腹がふくらんできたように見える。卵を産んだら隔離して育てないと親は稚魚を食べてしまうらしい。
空腹の心配はなくなったけれど、人工餌のせいか透明だった水が濁りはじめた。今度は水質のことが気にかかる。メダカサイトによればタニシは水質浄化能力が高いらしい。濁った水槽に2、3匹入れると3日で水が澄むという。それで今いちばんタニシがほしい。