月夜釜合戦の夜

tsukiya

寒い夜、京都みなみ会館に「月夜釜合戦」という映画を見に行った。

大阪の釜ヶ崎で撮影された劇映画で、多くの映画がデジタル撮影に切り替わるなかこの映画は16ミリフィルムで撮影されている。上映後、佐藤零郎監督の舞台挨拶があり、フィルムでの撮影にこだわった理由のひとつに、フィルムなら釜ヶ崎にあるにおいを撮れるのではないかということが挙げられた。 2年前に一度だけ釜ヶ崎のまちを歩いたことがあった。そのときのことを「釜ヶ崎の一時間」に書いている。8月の夕方、動物園前の駅から地上に出て、労働現場から帰ってきた肩にタオルの男の人たちに紛れて歩いていくと、進むにつれ西日に蒸されて隅々からアルコールの混ざったアンモニア臭が立ちのぼった。呼吸するたびにただ息をしているというより、そのにおいを肺に吸い込んでいるという感覚があり、鼻がその場のにおいに馴染んでいない私は余所者だった。監督は2005年から釜ヶ崎でドキュメンタリー映画を撮ったり、炊き出しなどの活動を行いながらそこで暮らしている。まちの臭いを釜ヶ崎が釜ヶ崎であるバリアのようなものと例え、けれどそれも年々薄まってきているという。

16ミリフィルムにはデジタル撮影で撮られたのとは違うざらついた質感がある。デジタルはとにかく鮮明に絵を写すけれど、そういうざらつきを伴った媒体を介する方が監督の嗅覚や肌から感じる視覚以外の場所そのものを取り込めるのではないかということだった。

デジタル撮影動画を見慣れた目にフィルムで撮られた映像は、現在の風景を撮ったものでも経年を加えられたように見える。「月夜釜合戦」はフィクションの物語であるけれど時代設定は現在であり、映画の質感からそこにある風景や営みは失われつつあるもの、過去になりつつある現在という感覚が増幅される。さらに物語の中には羽釜がよく登場するが、現在の時制のなかに遺物のような生活道具が出てくることにぐっと過去に引っ張られるような妙な違和感も伴い、登場人物の雰囲気にもそういう時制の違和感が配されている。物語はひとつの釜をめぐる人情喜劇で、プロの俳優だけでなく釜ヶ崎を生活の場としている人たちも単なるエキストラでなく役柄を担って出演している。そういう人たちにどうやって出演交渉をしたのかという観客席からの質問に、テント村強制立ち退きの反対デモや娯楽映画の上映会をするなかで出会った友人たちですと監督は答えた。プロの俳優は役柄を的確に記号的に演じ、普段そこで生活をしている俳優は台詞を覚えて喋るという痕跡の残った演技をするけれど、それに対して甲乙の感覚がおこらず、統一感のない演技の共存がむしろ多様さを巻き込んだ場の力として映っていることがとてもよかった。コンセプトだけでは実らないものが時間をかけて育まれ、一朝一夕で作れない基盤があったからこそ生まれた映画であることは間違いない。

行政がお仕着せようとするクリーンなまちは、それまでの生活や人のつながりを断ってしまうことを厭わず、体制のなかに組み込めないものを排除しにかかる。のっぺらぼうのクリーンや再開発はときに培われた場と人の営みの肌理を塗りつぶしてしまう。この映画はそういう無作法な圧力への抵抗でもあり、映画として整えられたものよりも、そのなかに自生のものの動きを見るようだった。

今回上映のあったみなみ会館は今年の3月で一時閉館される。2018年度中に営業再開が目指されている。数少なくなったフィルム上映のできる映画館でもあり、シネコンで上映されないコアな作品をかけてくれる大切な映画館である。移転先が見つかり再開されることを応援したい。

三月の5日間より先の日々

sangatsuno

ロームシアター京都でチェルフィッチュの「三月の5日間」という演劇を見た。2003年の東京を舞台に書かれた戯曲で、当時イラクでは戦争が起こり、中国では新型肺炎SARSが流行り、レスリー・チャンは飛び降りた。
それから15年たった今、20代の俳優と共にリクリエーションを経て上演された。戯曲を読んだことはあったけれど、私は初演を見ていない。
劇の世界は2003年、ちょうど出演している俳優たちと等身の年齢のバイトをして暮らす若者たちの5日間の物語。アメリカがイラクへの大規模軍事行動を開始するという頃、街ではそれに対する抗議デモが行われ、そんな中ある晩ライブハウスで出会った男女はその夜渋谷のラブホテルに行き、そのまま5日間ホテルで過ごす。そのあいだのことを俳優は入れ替わり立ち代わり語る。物語に登場する人物の役は固定化されず、目の前の人物の記憶について代弁していると思ったらその本人になっていたり、登場人物同士の対話になっていたりする。観客に向かって語られているという感覚が強いのは、俳優がほぼずっと観客の方を見ながら喋っているからで、もちろん演劇はどういうものでも観客に向かって話しているに違いないけれど、一般的な芝居で観客は俳優の目に見えてはいても、「役」の視線からはいないものとして扱われる。観客にむけての「今から〜っていうのをやるんですけど」と言う語りかけはもちろん他の台詞同様書かれた台詞でありつつ、芝居の手前の立ち位置からまずこれが劇であるという枠組み自体を強調する。登場人物の雰囲気から虚構の設えは観客席に近いように一瞬思えるけれど、そこではっきり境界が敷かれる。固定化されない役柄と共にそういった遠近感があり、虚構の境界の危ういところにきわめて演劇である時間が発生する。演劇の梁がよく見える構造になっている。
他のチェルフィッチュの作品にも見られる、無意識的な動きの癖を発端とするような所作の誇張、あるいは削ぎ落とし、さらに意識的にずらしたりしながら反復される意識の外にある所作を積極的に召喚する動きは、体としてなんとかまとまっていながらばらけていて、いわゆる洗練らしく見えるものを否定する態度が創意に貫かれている。徹底して微妙な身体操作が俳優の体で為され、現代の口語から抽出される、例えば文字に起こすといの一番に省かれそうな言い回しが緻密に残され、多角的な視点を織り交ぜて書かれた台詞を発声することから体の様態、質感が導き出されていることが上演を見るとよくわかる。

アフタートークを聞かず劇場の外へ出た。終演後、まだ動いているものが自分のなかにあった。今回の上演から私が観客として読み取ったものには、最近考えていた日本人というものついて、くすぶっていたものに点火するところがあった。そういうことが起こるのはこの作品が、その劇における症状を的確に表しているからだろう。ただ劇中見られた体は2003年当時の鮮度から熟成を経たリバイバルというふうに受け取れる部分もあり、そしてその先の体のありようはまだその後の舞台表現のなかで嗅ぎあてられていない。今回の上演に見られる様態を大らかに良きものとする客席の雰囲気と自分の体感にズレがあった。私は苛立っていた。ただ感心してる場合じゃない、今この作品を見ることは焦燥感と共に人を鼓舞するものがあると。
最近日本人にとってこの先、成熟ということがあるとしたら、どういうことが考えられるだろうかと思い巡らせていた。例えば劇中に抽出された体の根のなさ、ぶれ続ける重心は私たちを取り巻く、社会、経済、環境が作り上げたものであるとしたら、脈々と受け継がれてきた自分の生というものが、それとはまるで切断されて生きているような体感と、同時に身に付いた価値観や思考を通さずに知覚できない現実のあいだで、さらに強烈に地面から揺さぶられたあとの世界で、現在形の体はどのような症状を呈し、また何を求めるだろうか。
劇場に足を運ぶのはフィクションの時間を設えた場で、同時代に生きつつ表現された人間の姿を見たいからで、舞台芸術は体を介して観客の思考の能動につながる力を本来的に持っている。
今まで茫洋と受け取っていたラストの、ホテルを出たあとひとり歩く女がホームレスの脱糞する姿を犬と見間違って吐くシーンがある。女は人間と動物を見間違えた時間が数秒でもあった自分がおぞましいという理由で嘔吐する。そこで女に起こった反応というのは、今回私の目には希望であるようにうつった。

うすしお

usushio

このコラムは時々詩だったりする。なぜ詩になることがあるのか。詩の言葉はこういう文章を書くときと言葉の編成の仕方が違う。散文を書くときは特別な意図がない限り滞りない描写に努めている。詩は違う。ひとつの言葉自体に言葉の行く先をたずねるというか、そういうところがある。詩を読んだ人から何かあったのかと聞かれることがあるけれど、特に何もない。詩は内面の吐露でも、詩的に自己を表現する方法でもない。

詩のきっかけとして出てきた最初のフレーズが、あるときの自分の状態と関わっていたとしても、それより先に続く言葉それぞれの頭が出てくるのを産婆的に手伝うという感覚で書いている。言葉にはすでに意味があり、記号の役割を担っているからこそ、どこか踏みはずす足を伸ばしたそうにしている。そういう言葉の欲望が詩なのだと思う。その欲望に動かされると詩を書くに至る。今回載せた詩のタイトル「うすしお」の最初は、コンビニに並ぶカルビーポテトチップスのパッケージに印字されたひらがな4文字の「うすしお」に詩の萌芽を嗅ぎ取ってしまったせいで、そこから連なる意味とリズムの踊りである。

うすしお

うすしおの

結晶も

見頃を迎え

花盛る

時満ちくれば

自然なかたちで

月をよみ

ひとよひとよに

身ごろをあわせ

縫い代が

表にいずる

君が代を

はいでさわいで

ゆがいて干した

浜風が

塩気を運ぶ

ちよにやちよに

同梱不可の

後ろ前

塩にまじりて

プラスチックは

懐に忍び入り

寝息の波に

よせてはかえす

丑三つ時に人知れず

骨は粛々削られてゆく

ありものケーキ

arimono

寒いと煮炊きに積極的になるのはできるだけ火の傍で暖をとりたいからで、同じようにオーブンも使いたくなる。オーブンと言っても買ったときからすでに中古の電子レンジのオーブン機能だけれど、それでパンも鶏もケーキもちゃんと焼ける。
久々にパウンド型を出してみたら、3日おきくらいに生地を型に流し込みたい衝動に駆られ、ここ最近台所に絶えずラップに包まれたケーキがある。使い込んだパウンド型は10年以上前、初めて一人暮らしをした頃手に入れたもので、気付けばテフロンもところどころ剥がれてそれなりの年季が入っている。
パウンドケーキはお菓子作り初心者でも失敗が少なく分量も覚えやすい。日持ちするし、その上2、3日置いた方がと美味しくなると知って以来、そのまま初心者の域に留まっている。パウンドケーキの基本は小麦粉、バター、砂糖、卵が同量。ネット上にはさまざまなアレンジレシピがあって、お菓子作りは計量が厳密と聞くけれど、パウンドケーキはその点かなり寛大なところもいい。バターを植物油に変えても、思いつきで入れてみたもので焼いても余程のことがなければケーキの形になる。
例えばお正月、三が日を過ぎて年の瀬に作ったきんとんをそろそろ消費したい頃に、きんとんを数個ほど潰して生地に混ぜ込み、ついでに黒豆も入れて焼いたら、しっとりした和風焼き菓子のようなものができあがった。頂きものの熟しきった柿ケーキ。ぬか漬けで余った炒りぬかを何かに使いたくて、全粒粉のように生地に20%ほど加え、炒りぬかケーキにしてみた。上に乗せるクランブルにもぬかを使ったら香ばしさが引き立ってなかなかいい。3本入りで1本使うあてのなかったにんじんをすりおろし、シナモン、ナツメグなどスパイスを効かせたキャロットケーキ。キャロットケーキの上には甘いクリームチーズが塗ってあるけれど、水を切って濃くしたヨーグルトに白みそを加えてそれらしきペーストにして塗った。そんなふうにケーキのために材料を揃えるというよりは、あるものでどうにかしてしまう。何もないと思っても生姜ひとかけらすりおろして焼けばジンジャーケーキ、そこに酒かすを混ぜ込むと甘酒ケーキ、インスタントコーヒーを入れるとコーヒーケーキになる。玉ねぎ、にんじんなど、冷蔵庫の残り野菜を切って炒めツナ缶を汁ごと入れてざっと炒めたら冷まし、卵と小麦粉、ベーキングパウダーを加えて焼くと甘くない塩味のケーキもできる。あるものでする、そんなやり方だから再現性は低い。どういう料理も素材の野菜なり肉なりに手を加えるけれど、パウンドケーキがおもしろいのは、粉や油や液体などの材料がブロック状のひとかたまりになるところで、食べられるかたまりを焼いて作るというのは、どこか原始的な感じがするとオーブンの回転を眺めながら思う。

着物 キモノKimono

kimono

着たいときに思い立って着物を着られるくらいになっておきたいと数年前、某無料着付け教室に通った。15回の講座のうち2回セミナーというのがあって問屋に連れて行かれる。反物や帯地の産地、製法の説明などもあるけれど、ちょっといいなと思ったものを手に取ろうものなら鏡の前で反物を体にあてられ、呉服屋と講師の買うなら今しかない猛攻にあった。仕立て代も込みでいくらだと言われるその値段は破格だと言われる。それでも数十万単位の買い物で、呉服屋初体験の者には本当に安いのか質が確かなのかどうかも判断できなかった。隣室ではすぐにローンが組める手続きができるらしく、買った人はその部屋に消えていく。テコでも買わないというか実際買えないので買えませんで通し、着付けの手順だけ習得してきた。そんな生徒でも一応着付けはきちんと教えてくれたので感謝はしている。
着物はそもそも祖母と母のものがたくさんあって、さらにうちは女兄弟だったから親戚から着る人のなくなった着物が集まっていた。以前住んでいた家のお隣さんが着物姿を見て、若い時分につくったもんやけど着はるんやったら使てくれたらうれしいと譲ってくれた帯などもある。そうやって集まった着物や帯はこれもまた親しい人から譲り受けた桐箪笥に仕舞ってあるが、それも既にいっぱいになっている。未だ自分のものを誂えたことはないし、いつかと思うけれどなかなかそんな余裕もないまま買ったのは襦袢、半衿、帯揚げ、帯締、草履くらい。なので方々から集まったいろんな人の着物と帯を取り合わせ、自分の体に合わせて着る技術は自然と身についた。
着物だと柄と柄を合わせても色彩やトーンをうまく合わせると案外うるさくならない。そういう場合は帯揚げや帯締、羽織で引き締めたり、小物でバランスを取る工夫をする。あとは襟の抜き加減、帯の位置、お太鼓の大きさ、おはしょりの幅等、着こなしに個々の体なりのいい塩梅があって、それを知るには回数着るしかなく、単に着るだけでなく似合うまでの道のりがある。
着物をまとう体は凹凸のあるボディというよりむしろ、布を巻きつけるための棒であればいいというふうに腰などの隙間を補正してまっすぐな胴にする。そうした方が着崩れないし姿は決まるけれど、普段着として着物を着ていた時代は今のように補正なんてしなかったに違いない。実際に浮世絵や明治頃の写真を見てもラインが違う。衿の合わせが浅いし、鳩尾あたりにくびれがあって帯も柔らかく、裾は広がってゆるやかな印象がある。写真用にきちんと撮ったのではない普段の女性の着こなしは半ば着崩れているくらいラフな感じになっている。着物が主に礼装として着られるようになってから、着崩れてはいけない場面での着付けが一般化したらしい。
着物に惹かれた当初は銘仙などのアンティークで奇抜な柄物に憧れたけれど、今は七宝や唐草の古典柄、縞や紬の落ち着いた着物を好むようになった。最近京都の街では若い人の着物姿を頻繁に見かける。観光客向けのレンタル着物屋が増えて、ビビッドな花柄に身を包んだ女の子たちが花見小路で写真を撮っている。京都のなかではポリエステルの着物姿に冷淡な目もあるけれど、それは貸す方にも問題があるように思う。着物の本来の魅力は自分で着るまでわからないところが確かにある。それでも観光でやってきた彼女らは実際袖を通してみて、洋服と比べて動き辛く、紐や帯の締めつけも気になるだろうし、不慣れな草履で普段とは足の運びも歩幅も違って歩きにくいなか街や寺社を1日歩き回り、そうすると必然的に表面の華やかさ以外の着物の体感を味わうことになる。翌日はきっと向こう脛あたりが筋肉痛になって、洋服で生活するのとは違った所作が衣服によって要請された名残を感じるはずで、写真には残らないそういう違和も体感して帰っていくのだと思う。
歩行も所作も衣服や履物によって振付けられるところが大きい。今とは異なる様式で生きられた体が自分の体を遡った先にある。日頃ユニクロに包まれていても時々それを揺り起こしたくなる。

黒豆

kuromame

正月遠ざかるにつれて冷蔵庫からタッパーが減り、味噌卵納豆牛乳のいつもの様相に戻っていく。祝い箸を使うのは7日までだけれど、麺類を食べるとき滑らなくていいからとっておく。はりきって1袋250g全部炊いてしまった黒豆はパウンドケーキに混ぜて焼いたりしてもまだなくなる気配がない。黒豆の煮汁は牛乳で割って温めて飲むとおいしい。
数人の来客があった夜、日付の変わった頃に流しに溜まった皿やグラスを洗って拭いて空いたビンをゆすぎカンを潰す。普段よりずっと量の多い洗い物の台所が片付いて器が食器棚の所定の位置に戻ったときのひと仕事終えた感。
ついさっきまでの騒がしさが去った部屋は静まりかえっている。姿と音声が消えてもまだ気配が舞っているようで、いつものお香に火をつけて沈静化を試みる。お茶を淹れてあまり耐性のないアルコールで浮いている胃を静める。
状況によるけれど、4人以上の人が集まる場所に居合わせるとほとんど言葉が出なくなることがある。そのまま場の雰囲気をチューニングし損ねて何時間か過ごしていると、それほど仲が良かったわけでもないのになぜか招かれていった幼稚園の友達の誕生会の風景が思い出される。
6人くらいのさほど仲良くない女の子たちとうす暗い居間の座卓を囲んで座っている。頭上には折り紙で作った輪かざりが吊ってあり、中央の白い大皿いっぱいにピンク、黄色、緑、色とりどりのプチフールが並んでいる。そのにぎやかな色に反比例するように早く帰りたくて泣きそうになるので、そうでなくケーキの楽しげさを自分に乗り移らせようとしながら耐えていた。取り立てて何かいやなことがあったわけでもないし、来たからにはちゃんと祝いたいと思ってはいる。でもその場の雰囲気にどうしても乗り込めない。何が楽しいのかわからない。まなうらでプチフールの色とりどりが点滅し、そんな回想にかかずりあっていてはますます話されていることについていけず、悟られないようその場にいることを成立させるための頷きや笑いの幅と頻度を調整する。涙腺が過去に留めたもののことを思い出し、あのときのやつ今流してもいいですかと腺を弛ませようとする。端から見れば脈絡なく泣きだすわけにもいかないのに、にぎやかな場で真逆の心境になるということがよくある。未だそんな事態に陥って、場違いな態度をあらわにしないために疲れている自分に疲れる。
年が明けてまたひとつ年を重ねていくのだけれど、黒豆を艶よく炊けるようになっても、そういうまったく発育しないものも連れて歩いている。

左手

hidarikiki

小学校に上がる前、ひらがなを本格的に習い始める前までは鉛筆も箸も左手で持っていた。ちょうどその頃引っ越して祖父母と同居になった。茶道の先生だった祖母は左利きは教えにくいというのが頭にあって、ぎっちょはあかんと箸と鉛筆は右で持つよう躾られた。この躾という字は滅多に使わないけれど、ギュッと圧力をかけて身と美を箱詰めしたようだ。利き手と逆で箸を持つなんとも使い辛いあの感じをなぜか強要されたときの飲み込めなさは今でも鮮明に喉元によみがえる。鉛筆を左で持って字を書くと、あ、とか、め、といったひらがなの中でもやや形が複雑なものは鏡文字になっていたのでそれを理由にされた気がするけれど、とにかく利き手じゃないのでまず鉛筆が持ちにくい。その上に新しく文字をインストールしようとするのだから当然混乱する。なんで左はあかんのと泣いて反抗したけれど、納得のいく答えは返ってこなかった。とにかく右で持てるようにならなければならない。とはいえ子供心にも意地があり、じゃあ絵は左で描いてもいいのか言ったら絵はかまへんと言われた。それで私は私の領域をなんとか守れたと思った。それ以来字は右手、絵は左手と分業になり左と右は共存している。箸、スプーンは右、球技のラケットも右だからスポーツで有利なサウスポーは活かせず、カッターは両方、はさみは右、包丁は右、ピーラーと大根おろしは左、拭き掃除は左、というふうに。
右はライト左はレフトと教わったときに、まるで右のライトは明るさや正しさを担っていて、対比でレフトはやや暗くどこか放っておかれた野蛮に感じられ、そうやってライトレフトを覚えた。左手を不浄とする文化圏もあるけれど、少数ながら左の方が優位である地域も世界にはあるらしい。
私にとって左手は育った環境によって教わったり矯正されたりする前の、社会的な部分とは別の、生きてあるものの形式以前の生(き)のものとつながる回路のようにも感じられ、特に左でしか描けない絵はそういうものとして表れるように思う。いくら描いてもうまくならないけれど、とにかく緻密に形でないものを描きたいという衝動がある。
言葉でしか書き出せない流れや意味と音の跳躍、絵にしか描けない線と面と重なりと色と明暗のリズム、私が体にあるこの期間を端々まで踊りたいという欲望によって、来年も生きることへの放蕩を尽くしたい。

12月素描

dec

駅前の公園で木枯らしでも微動だにしないパンダがほほえむ。駅に降りていくもこもこした人々を見送るパンダのほほえみ。
その向かいにはおでん屋があって、夏には見られなかった行列が寒くなるに連れて伸びていく。
手と唇から油気がうせる。
ガラスマジックリンブルーは冬の青。
落ち葉の道を歩くと朽ちつつある葉のにおいが思ったより甘い。
濡れたイチョウの葉の道を自転車で走るとバナナの皮くらい滑る可能性があるので危ない。と書いておきながらバナナの皮が実際どれほど滑るのかよく知らず、バナナが滑る体感はマリオカート由来だった。
そういえば自転車で走りながらちらっと視界に入った青竹を磨いていたのは、門松になるのだと今気付いた。
乾いたというより凍えた洗濯物を物干から救出。
うちの並びにある呉服屋には見るからにかなり齢のいった猫が1匹いる。
陽の差している時間帯は大概店先のガラスの側にへばりついて温まっている。すでに艶をなくした毛並で関節は骨張っているけれど、絵に描いたように見事な三毛で、引っ越してきた今年の初夏から前を通るたびに毎日見ている。通るたびに呉服屋の看板猫にぴったりだと思う。もともと小さかった体がこの冬に至る一年足らずの間にいっそう縮んできたように見える。このままいけばある日毛皮だけが専用座布団の上にぱさっと残されており、そんな夢をみた。猫の形から猫がぬけていく。だからいつもの場所にその三毛がいることを確認するときは、猫のなかにまだ猫がちゃんといるかどうかを確認する思いがする。温かいときは体を広げてできるだけ陽を集め、寒いときは手足を折りたたんで箱になり、三毛は今日もそこにいる。
まだ寒くなかった夏の終わりのある夜に前を通りがかったとき、三毛と呉服屋の店主が店先のガラス戸を少し開けて外を眺めていた。三毛はもう俊敏に動けそうにないけれど、万が一道路に飛び出さないように店主は軽く三毛の胴体に手を添えていた。きれいな三毛ですねと話しかけた。「この子はもうだいぶおばあちゃんですわ。8年くらい前に裏のガレージに迷い込んできて、その頃からもうだいぶ齢いってたけど、そっからうちの子になって。もともと外の猫やったから外の空気吸いたいかな思て、時々こないして一緒に風にあたってるんですわ。」夏の終わりの夜の空気を店主と三毛はそれぞれの肺で呼吸していた。来年もふたりの夕涼みを見たいと今は結露のガラスごしに小さく眠る猫を見る。
雨は夜更け過ぎに雪へと変わりそうで変わらなかった。

水溶性

suiyousei
水気を含んだ内側は重たく

どこからか渾々と
涌くものを湛えて

中から流されるような足どりで

ひたひた歩いて人混みのなか
帰宅

冷たい床と足の接触

凍てるカーテンはなびかない

予感のような淡さより

やかんの底で力強く沸くものが

凍えた口に注がれるのを待っている

五徳の上で狐火は青白く

促されて渾々と

浸って蘇生した末端

ふやけた矛先
低温火傷は
水膨れになり破裂

膨れた水を頭から浴びて

マスカラ爛れた黒い目で
見返す結果になったとしても

何も恨んでなどいない
覆水から彫り出した覆面の

かえらない表情で

溢れるものがただ

乾いていくのを
眺めている

心配

shinpai

ついた目鼻を
取り外して一度

初心に帰ろうとしたけれど
そうすると今度は

心を見失ってしまいました

電気ショックを与えて

心の行方を探すけれど

心室の扉を叩いても

返事はなく
押しても引いても

心ここにあらず

動悸の動機に探りを入れたところで

有益な情報は得られるはずもなく

捜索も詮索もすればするほど

心音は遠退いて

長年連れ添った肺も
心を失っては

心許ないのでした