秋の日は

akinohiha

昼間半袖サンダル履きで家を出て、日が暮れてから自転車で走っていると、その格好ではもうあきらかに寒かった。秋だから葡萄色、と思って塗った足の指の紫は、冷えて血色の悪くなった足を過剰に演出していた。死人の足がペダルを漕いで、どこへ向かっているのだろう。

真夏のあいだは好物の煮干しをトッピングしてもキャットフードを食べ残していた猫らも徐々に食欲が増し、夕方になると自らごはんの催促にやってくる。あっさりしたボリュームのない夏毛だったのが、細かくて密度の高い冬毛を首まわりに生やしはじめている。成人式で振袖のとき猫も杓子もという感じで首に巻かれるあの白いファーを思い出す。あまのじゃくに祟られて着けなかったけれど、あのとき以外巻く機会はなかったのだから巻いておいてもよかった。ふわふわになってきて触ると気持ちいいのでいつもより余計触ってしまう。

お風呂の給湯器の温度を1℃上げる。42℃。

暑いときは如何に火を使わず楽をして、材料が傷まないよう料理を済ませるかを考えていた。とにかく暑いから。野菜はひたすら酢漬けにしてしまう。ピクルス、浅漬け、ごま油を効かせたり、インド、ネパール料理屋で出されるアチャールを真似したもの。レモン汁とすりごまと塩と砂糖でマリネした野菜にスパイスを入れて熱した油をかける。ジュッといってそれで一挙においしくなる。肉はジップロックに入れて熱湯に漬ける低温料理で茹でたのを冷蔵庫に入れておき、そういう作り置いたものを適当に皿に盛り合わせると、きちんとしている感じになって気持ちも養われる。あとは冷や汁というきゅうりの入った冷たい味噌汁にごはんを入れた冷し猫まんまを食欲不振の猫の傍ですすっていた。猫のごはんにトッピングされた煮干しは主にこの冷や汁の出汁を取ったあとの出汁がらだった。

気温が下がってくると打って変わって調理に火を使たくなるし、根菜を煮たくなる。特に大根、大根を煮るということをしたくなる。面取りして、隠し包丁を入れて、淀みなく出汁の染みた結晶のように仕立てたい。
暑いときのカレーはあまり煮込まなくてもいいキーマ、チキン、タイカレーだったのが、ルーを使ったじゃがいもとかにんじんがごろごろしたカレーとか牛すじのカレーを作りたくなる。

言葉を書こうとするときにも季節の体感にとても影響を受ける。着るものの厚みや肌触りにも、温度や季節の匂いにも心境が作られる。体は常に周囲を察知して、意識的にならなくても受け取ってしまう。そういう形をしている。
腕にはまだ日焼けが残っているけれど手先には冷えがきている。
パジャマを長袖にした。夜、死んだ蝉のすぐ傍で鈴虫が羽を震わせるのが闇と網戸に漉されて届く。

kome

米ひと粒の中には7人の神様がいる、といつだったか小学生だった妹がどこかで教わったらしく茶碗を片手にそう言った。ひと粒あたり1人でもありがたく、十分ありがたみはわかるのに7人、どうしてそんなことになったのか。けれどそういう発想が生まれて今なお滅びないくらい、あの粒のなかに7人と言っても世間一般に浸透するくらい、日本人にとって米は脈々と大切な食べ物であったのだということは伝わってくる。ただそれを聞いて以来、時々ご飯をよそうときに、炊飯器の中に過密な炊き立ての神様がぎちぎちになって蠢いているのを想像してしまって、急いで炊飯器のふたを閉めることがある。

米の炊き加減の好みは家によって結構違うようで、祖父母と同居していた家は柔らかめが普通になっていることが多いらしい。実家がそうだったのでおのずと柔らかめでもちっとしているのが好みになっていた。
実家を出て人と暮らすようになってからも炊飯器をセットするときは線よりちょっと上に水加減をするのが癖になっていた。無意識にそうやっていたらある日度が過ぎたようで、食卓ごしにちょっと米が柔らかすぎると告げられた。それでおかずと米をかき込みたい人は、米粒がしゃきっとしていてほしいのだということがわかった。話し合いの末、米は炊飯器の線ぴったりに合わせることで落ち着いた。
知り合いに東南アジアの人と結婚した人がいる。その国も主食は米で、パートナーの方は幼い頃に貧しい思いをしたこともあって、米がないことを不安に思うから常に冷蔵庫に炊いたご飯が入っているという話を聞いた。つまり食事時に合わせて炊飯器を仕掛けるというより、ないと気付いたらすぐに食べなくてもいつでも炊いておく、という感覚なのだそう。だからいつもご飯は炊き立てというわけではないという。生活のあいだにはいろんな米のあり方がある。

なんだか心が荒んだときなど、ささくれ立った暮らしをいつもより丁寧にしようと心がけるときは鍋でご飯を炊いてみる。米と同量の水を注ぎ、火にかけて沸騰してくる音を待つ。鍋で米を炊くのは儀式的な感じがする。水と火と米。生活の儀。
沸騰してから火を弱めて12分、火を止めて蒸らしに10分。吸水さえできていれば所要時間は炊飯器の早炊きと変わらない。
火を止める間際に数十秒だけ強火にして、鍋底でかすかにぱちぱち音がするのに耳をすます。やりすぎると焦げるけれど、慣れると少し香ばしさがほしいときにねらったおこげを作ることができる。

青田だった稲はいつの間にか稲穂が垂れて、もうあの粒の中には7人の神様が揃っていらっしゃる頃だろう。

葛の葉

kuzunoha

葛の葉、という字の佇まいからは何かしら品のあるものを感じる。
葛というと、葛湯とか葛きりとか、加工品も上品なのでなおさらそんな気がするし、これは伝説だけれど陰陽師の安倍晴明の母親は白狐の変化で、その名前が葛の葉という。なんとなく妖しさもある。葛根湯の葛根はつまり葛の根。そんなよく知られる薬にもなる植物でありながら草地や土手に普通に生えていて、案外身近なところでもよく見かける。
実際葛は上品というよりとてつもなく繁殖力旺盛で、世界の侵略的外来種ワースト100に数えられる。
世界の侵略的外来種、他にどういうものが挙げられるかというと、植物だけでなく動物も含む100種類で、例えばよく知られているのはブラックバス、ヌートリアなど。植物ではイタドリもそうで、ちなみに今私の傍で毛繕いをしているやつもリストに載っている。大航海時代に船倉のネズミ退治のため船に乗せられ旅立った先の離島で野生化、固有種の鳥などを食べ、食物連鎖ピラミッドの頂点に君臨する侵略的外来種イエネコ。

葛は繁茂すると手に負えないらしい。確かに山沿いや耕されなくなった畑を見事に葛が一面覆っているのを見たことがある。
昔は葉を牛馬が食べ、強い蔓でカゴなどを編むこともできて、副産物として葛粉を作っていたそうだけれど、人々の生活が変わって暮らしと関わりをなくした今はひたすらに茂っている。
葛が茂っている丘に行った。こんなにあるなら何か作りたいと葛粉の作り方を調べてみたけれど、根を砕いて漉すことを何度も繰り返し、沈殿したでんぷんを取るという大変な手間がいる。葛粉の他に葛の利用法を探すと、葉っぱからお茶を作れるようだった。それならと葉をたくさん摘んで帰って洗い、乾燥させてばらばらにしフライパンで煎ってみた。豆っぽい香ばしいにおいがする。出来たお茶を淹れるとほうじ茶のような色で、少しだけお湯がとろんとして口当たりは柔らかく、ほっこりした味わいでおいしかった。
そして葛は花も美しく、房状に赤紫の花が咲く。葡萄というか赤ワインのような落ち着いた芳香がある。
葛のことをいろいろ調べていると学名がPueraria、プエラリアだということに気付いてはっとした。バストアップサプリメントにプエラリアというのがあるからだ。もしやこの取り放題の葛にそんな効用があるならばと高鳴る胸を押さえつつ調べたけれど、サプリメントになるのはプエラリア・ミリフィカという植物で、葛はプエラリア・ロバータ。成分が違うらしい。

釜ヶ崎の1時間

kamagasaki

友人から釜ヶ崎にある立ち飲み屋で夜にライブとするという知らせをもらった。歌を聞きたかったので行くことにしたけれど、釜ヶ崎という場所には行ったことがなかった。写真や何かで読んだりした街のイメージしかなかったので、日が暮れた頃にひとりでほっつき歩いても大丈夫なものかと、ライブに行くという友人と駅で待ち合わせて店まで連れて行ってもらうことにした。
待ち合わせは友人の仕事の都合でライブ開始の30分前だった。それだと街を散策する時間があまりないなと思いながら当日、結局待ち合わせより1時間以上早く地下鉄動物園前の駅に着いてしまった。

地上に出ると大通りに沿ってJR新今宮駅の方に歩いた。角にローソンのある交差点があって、大通りに交差する道は、ぱっと見ただけでも雰囲気が違っている。ライブをする立ち飲み屋はその通りをしばらく行ったところにあるようだった。夕方、仕事を終えて戻ってきたタオルを肩にかけたTシャツ姿の日焼けした人たちがローソンの先の通りに流れて行く。しばらく用もないのにローソンに入っておにぎりを眺めたりしながら考えて、人の流れていく方へ行ってみることにした。
ローソンの角より先に進むと一気に余所者になった感じがする。進むにつれて日焼けしたおっちゃん以外の人をほとんど見ないようになり、女の人は黄色い髪のおばちゃんが自転車で通過したのと、直角に折れたおばあちゃんが小型犬の散歩をしているくらいだった。通りの店は間口の狭い飲み屋が多く、やたら目に付くのはコインランドリーでそれから銭湯、一泊1300円と書かれたホテル。まんぷくという初めて見るお弁当チェーン店をこの界隈では何件も見る。
車道は駐輪所を兼ねているように自転車がずらっと並んでいて、車はあまり通らない。西日で隅々から立ちのぼるアンモニア臭がどこの空気にも万遍なく混ざっていて、呼吸の逃げ場がないと思うと先に進む不安が助長され、そのとき前方から白いワイシャツのサラリーマン風の男性が4人歩いてくるのが見えた。それに自動的にほっとしたのに気がついた。私は、あ普通の人がいると思った、身なりがそうだからって何が安心で普通なのかと問う以前に既に思っていた。そうでない身なりの人たちに対して、根拠のない不安を勝手に見て取っているこの目に張り付いた基準の露骨さに、がっかりした。

歩いている途中、フェンス越しの空き地に突然百花繚乱という感じでグラジオラスなどの鮮やかで背の高い夏の花が咲き乱れている花壇があって、中に入って手入れをしているおっちゃんがいた。
西成警察署を越えて、外壁のコンクリートが黒ずんで重たくそびえる市営住宅などを横目に、小さな商店街を抜けていく。道幅が狭くなってすれ違う人との距離が近くなり、さっきから感じてはいた視線がより刺さる。
その時あてもなく歩いていたのではなくて、Googleマップで歩いていけそうなところにあると知った飛田新地をめざしていた。飛田について書いている本を読んだことがあって、少しでいいからその場所を見てみたかった。
商店街は主に飲み屋で、うどん屋、古道具屋などもある。外にカウンターのある店の、カウンターの上には生魚が入っているガラスの冷蔵ケースがあり、そのまた上にはやせた黒猫が乗っていて、猫の正面に座って飲んでいる人がいる。
商店街を抜けたところの道端で、何かこまごましたものを売っているおっちゃんの、おねえさん女優さんみたいやなあというサービスに視線を返す余裕もない。ああと思いながら前方の騒々しい気配に視線を上げると、ピンクや緑のネオン管で、派手さで言えば最近の控えめなパチンコ屋を鼻で笑うかのようなスーパー玉出があらわれた。
ちくわや食パンみたいな日常的な食べ物を買うところにこの極端な、非日常的演出がなされていることについて考えてしまう。
誰もがあたりまえのような日常らしさを維持するということの、あたりまえのような困難さ、この地域に限ったことではなくて、日常を維持し続けるということは、あたりまえでも何気ないことでもなく、本当のところかくもはげしい夢である、と玉出は言っているようだった。
髪だけきちんと夜会巻きにセットしたジャージ姿の女の人が買い物袋を提げて、前後ろに子ども用シートを取り付けた自転車に乗って帰って行く。

そこからしばらく歩くと飲み屋の数が減って、古い一軒家が軒を連ねる静かな一帯に出た。提灯が下がっていて、飛田新地周辺まで来たのだとわかった。
路地をちょっと覗くと、表の引き戸が開け放たれている様子が見えてはっとした。蛍光灯で白く浮かび上がっている赤い絨毯、ぬいぐるみと造花、上がり框には、上がり框には誰も座っていなかった。それを一目見て引き返した。

ぬいぐるみと造花と並んで蛍光灯の白い明るさに陰影は飛ばされ、そこに座るのは生身の女性だけれど、あんまり血の気を感じる人らしさは非日常を買いにくる客にとっては余計なのかも知れない。手の届かない高貴さではなく、触れそうな、幾分ものの質感を帯びた、触れる高さの非日常の敷居の上に、見ることのなかった姿を歩きながら思った。
帰りは大体の方向はわかったと地図を見ないで来た道とは違う道を勘で歩いたら、思ったところと全然違うひと気のない高架下に出て焦り、最終的には小走りで待ち合わせの駅に戻る道を探した。やっと最初の大通りに出た頃夕立が降り始めた。シャッターの閉まっている軒先でおっちゃんふたりと並んで雨宿りをしながら時計を見ると一時間経っていた。
待ち合わせにやってきた友人の顔を見ると急にお腹が空いて、ライブのあった立ち飲み屋の煮詰まった味の濃いどて焼きが、とてもおいしかった。

文字の体

moji

こういう文章や詩を書いているけれど、正確には書いているのではなくて全部打っている。モニター越しにゴシック体に変換され、きちんと整えられた文字が並んでいくのを見ているのが気持ちいい。自分の筆跡を離れた言葉を眺めていられる距離感にすっかり親しんでしまっている。

いざ手でものを書こうとしたときに漢字が書けなくなっているという話はよく聞く。それは書けていた頃と比べて退化したような語られ方をしがちで、出来ていたはずのことが出来なくなることへの郷愁もよくわかる。けれど変換候補のなかから正しいものを選ぶことができるなら別段、それに候補に表示された同じ音の別の漢字から言葉が発展する契機をもらうことだってある。記憶は頭からはみ出している。
そうは言いながら、吉増剛造の展覧会で見た数十年分の膨大な筆跡の変遷や、その展示のなかにあった中上健次の文字それ自体がフィクションのような独特の字体を眺めながら、やはり手でしか書けないものもあるはずと思っていた。
本を読んで引いておきたい言葉を見つけたときだけは手で書き写す。それは線を引いたりするだけでは言葉が腑に落ちない感じがするからで、インプットは書くアウトプットは打つというふうに棲み分けてしまっている。
手で文字を書ことについて考えていたとき、書道というものがあったことを思い出した。字を書くことに異様な集中を要するあの時間はどんなものだったか。

書道の先生になった幼なじみに会いに行った。
自宅に教室スペースを作って教えている。字を書かせてほしいと頼んだら快く教室を使わせてくれた。
小学校までは書道を習っていたけれど、まともに筆を持つのは義務教育以来だった。好きなのを選んでと渡された小学生用のお手本の束。幼児、小一用は「うし」とか「かさ」とかひらがな二文字で「こい」というのも出てきて、なんだ急にませてと思ったけれど魚類の方だった。低学年向けは漢字二文字でその中の「先生」というのを書いてみることにした。

墨のにおいを久しぶりに嗅ぐ。後頭部が静まる。筆を墨汁に、後頭部の静けさを背中から全身に浸し、穂先と姿勢を整える。半紙の上に筆を持ってきて、「先」の一画目のちょん、この短いはらいをするのも躊躇する。今ほとんど躊躇せずこの「ちゅうちょ」というのを漢字に変換したけれど、たぶんこの字を手で書いたことは一度くらいしかないし、足の横がなんか複雑としか覚えていない。怯えながら引いた線は、引いたというより半紙に筆を取られのろく染み、紙の上を這ったようにもたついていた。
先生に「先生」を書くところをみせてもらった。筆を動かす速度は変わらないのに線の勢いが全然違う。線は腕じゃなくて体全体を使って引くのだと教えてくれた。確かに腕は筆を固定しているだけで、胴体を使って線を引いていた。字のバランスを取るためのいくつかのコツと、力の入れ方を教わったら最初の字とはずいぶん変わってきた。
紙が何枚あっても一筆目を入れる度にああもう戻れないと思う。書くあいだ「先生」は意味を持った言葉から、筆のとめ、はね、はらいを誘導する抽象的形状となり、書き終えて筆を置き改めて見るとまた「先生」という言葉の持つ意味が充填されている。意味を書こうとしているのでなくて字を書いている、意味は与えようとしなくても字がすでに持っている、だから線を引くことに徹すればいいのだな、そんなことを思った。けれどそれはきっと文字を書くこととのかりそめの接触で、書くことも極めていった先には文字の持つ形や意味に収まらないものを筆によって運べる境地があるのだろう。
先生が「先生」に朱を入れてくれた。マルをもらうのは大人になってもちょっとうれしい。

いくらでも書いて消して並び替え編み上げる文字とのつき合いもあれば、戻れないというやりとりのなかでの文字との交際もある。それらは全く違うけれど、文字を介した創造的時間という点で交差する。手で書くことを効率の価値観から見切って捨てるのは惜しい。書くことから体感に書き込まれることもまだまだあることを知った。文体に書体という体だってある。

奇妙な果実

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ビリー・ホリデイの歌のことについて書こうとしているのではないけれど、タイトルを奇妙な果実と決めたところでイントロが頭の中で流れ出す。

季節になってスーパーに無花果が並ぶようになった。数ある果物のなかでいちばん好きなものをあげるなら無花果と答える。広い庭を持ったら必ず無花果の木を植えたい。けれど食べながら常々奇妙だと思っている。
りんご、みかん、バナナなどと比べると、味も香りも触感も捉えどころがない。不明瞭なものを食べている感覚に陥り、何度食べてもよくわからないのでまた口に入れたくなる。
冷蔵庫で冷やして皮は剥かないまま縦半分に切る。皮に近いところは白っぽく、それが真ん中に向かうにつれて薄ピンクがかり、触手のようにわらわらと細かく分岐した群れが中心に押し寄せ、これ以上はもう行き場がないというところでゼリー状になって凝集している。止まっているけれど、動的なものを含んだまま止まってしてしまった、というふうに見える。独特の青くさいにおいがあるのに食感はほとんど溶け去る。
最近知ったのは、無花果は花の無い果物、と書くけれど花は無いのではなくて、あの果実の中のわらわら集まっているものが花であるらしい。つまり無花果を食べるとは正しくは無花果の花を食べているということになる。
無花果の花はもともと房状に咲いていたものが進化の過程で花の軸の方が肥大化して、周りに咲くはずだった花は中央から中に落ち込み、最終的には元々花の軸であったものが外皮となり、ひっくり返ったかたちで咲くようになったものだという。外側に向かってひらく花一般のありようとは真逆のかたちをとっている。それは見た目で言えば禁欲的な咲き姿のようだけれど、本来的な外側が内側に反転してしまったありさまは、咲き誇る花の率直な美しさや芳香にはない陰った媚態を呈している。隠されたものは見たくなる。

人の体が裏返ったらと想像してみる。手袋を裏返して脱ぐように表面であったものが内側に、肉や内蔵が外側に、目も耳も内側に入ってしまう。普段外界を知覚しながら様々なことへの反応、動機と共に動いているのとは違う意識の届かない内蔵の動き、血の流れ、細胞の分裂、能動的に生きている以前に受動的に生かされているひとつの肉塊の、生物であることを思い出す。
季節のあいだにあと何度か無花果を食べるだろう。その度私は台所で裏返る。

割れたチェロ・ソナタ第3番

cello

お気に入りのパン屋が日常自転車移動範囲に数件ある。そのうちの一件はくるみパンが有名で、そのくるみパンには数日後にまた食べたくなる柔らかなものの中毒性があり、出先でお腹が空いたらしょっちゅうそれだけ買って自転車で走りながらかじっている。

そのパン屋の2階にはクラシックのレコードを専門にかける名曲喫茶がある。学生の頃少しだけそこで働いていたことがあった。とてもいいスピーカーの置かれたリスニングルームは私語禁止で、注文を取りに行くときもしずしず歩いてお客の傍に寄って、ホット、とか、トマトジュース、と耳元でささやかれそれに小さく頷き、注文されたものを用意してまたしずしず運んでいく。
ノートに書かれたリクエストの曲を膨大なレコードが並ぶ棚から探し出して、掛かっている曲が終わったら掛け替える。
朝の開店前に入るのはまだ2度目くらいのとき、開店準備の勝手をよく把握していないものだから、オーナーに怒られつつ焦りながら右往左往していた。開店直後に入ってきたお客があって、そのときレコードは何も掛かっていなかった。名曲喫茶は掛け替えているとき以外音楽は常に掛かっていないといけない。オーナーにレコード!と言われて急いで棚のところで、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番を取ってきた。リクエストがないときは好きなレコードを掛けて良かったので、好きな曲のいくつかの所在は覚えていた。ジャケットから丸いナイロンに包まれたレコードを取り出してプレーヤーの上に置こうとしたとき、いつもより急いている手元からレコード盤がふっと消え、その直後足元で割れたような音がしたのはどうか聞き違いであってほしいと祈ってからそっちに視線を移したけれど、レコードはどう見てもまっぷたつに割れていた。パーンでもパリーンでもないレコードの割れた音は擬音語で的確に表せない鈍い音だった。

それから長らくこの曲を自発的に聞けなくなっていた。最近ようやく聞いてみようと思えるようになり、これを書きながら今も聞いている。やっぱり好きな旋律であることに変わりないけれど、この曲は割れたことともう分かち難く結びついていて、チェロ・ソナタ第3番は一生割れた音楽として聞くことになるのだろうと思う。そういう意味で特別な、これも縁と言ってみる。そんなふうに時々古傷に塩を振ってみて、もう沁みないけれど、時々そういう痕跡のあったことをたどって、自分の凹凸をなぞってみる。

ミツコのにおい

mitsouko

ある演出家がはじめて海外公演に出掛けたとき、空港で「ミツコ」という香水を見つけた。その演出家の奥さんの名前はミツコだった。異国の地で偶然に妻の名前のついた香水を見つけるなんて絵に描いたようでずるい。そのエピソードが好きで聞いて以来時々思い出す。
「MITSOUKO」はゲランの名香、クロード・ファレールという小説家の日露戦争を書いた小説のヒロインであるミツコにインスピレーションを得て創られたという。その小説を読んでみたいと探したけれど、既に絶版で簡単に手に入りそうになかった。

10年くらい前に一度ミツコを嗅いだ。その時は自分がつけるには重たすぎると思った。香りのおぼろげな印象しかもう残っていない。改めて嗅いでみたくなったので百貨店に向かった。
ブランドロゴがひしめく百貨店の化粧品売り場。色とりどりに牽制し合いながら混ざってフロアを満たす化粧品の瘴気。そういうものに気圧されない女にいずれ自然となるのだと思っていたけれど、全然ならない。
ゲランのブースを見つけ、髪をきちんとした年下かも知れないお姉さんにミツコを嗅ぎたい旨を伝える。試香紙と手首にトワレを噴いて、天然香料を使用している香りは擦ると香りが潰れると言われていますので押さえる程度で結構です、と黒い扇子で手首を扇ぎアルコールを飛ばしてくれた。
ミツコが調香されたのは確かかなり前だった。いつ頃の作品ですかと尋ねたら1919年、97年前ですとのことだった。
その日はミツコを嗅ぎながら過ごした。つけてすぐのベルガモット、柑橘はすぐに引いて、そこから基調になる静かで濃度のある甘さが出てくる。香料名にピーチがあげられているけれど、私の鼻はどうもその桃の印象を捉えられない。アニマルやバニラの厚みのある甘さが、シダや苔、ウッディのシャープさで抑制されながら、体温に混ざって品が漂ってくる。ファストファッションの軽やかさには合わない重厚感があるし、やはり若い肌よりは歳を重ねた肌に親和する。だから20代のときよりはまだ取り付く島があるというか。嗅ぎながら「いきの構造」が浮かんできた。九鬼周造がいう媚態、意気地、諦めは、香りにしたらこんなふうじゃないかと思う。
自信を持ってミツコをまとえるよう加齢するというのを自分に仕掛けて歳をとってみることにした。

猫のにおい

neko
身近に猫好きの人が多いので、世の人は皆猫好きと思いがちだけれど、夥しいペットボトルを玄関先に並べている家も少なくないので、人類が皆猫を好きではないことは知っている。
うちには2匹いる。ふと居間を四ツ足のものが歩いているのを見ると、全然違う種族の動物と同じ家で暮らしているなあと思う。
猫は特に洗ったりしていないのに獣のにおいがしない。オスだとなわばりを主張するために柱にスプレーすることがあるけれど、それは猫の体のにおいとは違う。猫の体からどういうにおいがするかというと住んでいる所の、家のにおいがしている。
陽の入る窓の布団の上で寝た後は干した布団のにおいがし、真冬の冷えきった押入から出てきたときはウールのコートのにおいになっている。留守にするとき実家に預けた猫を連れ帰るとすっかり実家のにおいになっていて、脱走して数日後に帰ってきたときは土埃のにおいが数日取れなかった。猫はそうやって自分のいる環境に擬体するようににおいを体に移している。そう思って猫を見ると、毎日怠らない毛繕いは自分から発せられるにおいを積極的に消して場所に体を浸透させるための行為にも見えてくる。
猫の体の認識は実際の猫の形よりも広い、というか私たちが自分を差してこの体というのは違う感覚で、猫には体と場所の境界がもっと滲んで地続きになっているのではないかと思う。犬は人に猫は家につくというけれど、確かに猫には我や誰よりも「ここ」であることが重要なのだろう。

猫にとって口内炎は命に関わる病気で、以前拾ってきた猫はその末期だった。飲んだり食べたり出来なくなるので必然的に弱っていく。痛み止めが切れるとずっと下駄箱の隅に隠れていた。猫は「口の中が痛い」のではなくて、「その場所にいることによって痛んでいる、痛みが来る」と捉えるそうで、痛みから身を隠そうとして隠れているのだと獣医さんから聞いた。死に際に姿を消すというけれどそれも、ここはもう自分の体の居場所ではない、という具体的な表れなのかも知れない。
だから猫は居心地良い場所を見つけることにかけては天才的で、季節や時間帯に応じて家の中に過ごしやすい場所を熟知している。微妙な所に寝そべっていると思って同じ高さに伏せてみたら気持ちのいい風が通っていった。

毎日居心地の良さに全力を注いで生きている。そんなふうに生きているものに顔をうずめると、いろんな力を使って身を立てることを常態化している人は力が抜けて眠くなる。猫はそういうことを教えてくれるニャンコ先生でもある。

土のにおい

soil

近所の古いお屋敷の解体が始まった。立派な母屋と離れと蔵と庭が悠々あるくらいの敷地で、ある日庭木が伐採された。大きな梅も椿も突然枝葉をはらわれて、切り口が唖然として赤い。母屋の屋根瓦が下ろされ外壁が剥がされるとそれまで内側だった家の中があらわになった。壁に取り付けられた緑色の扇風機が見える。解体中に砂埃が立たないようホースで水を撒いている。前を通ると湿った土壁のにおいがした。実家が雨漏りして土壁が濡れたときそれと同じにおいがしていたのを覚えている。濡れた土壁のにおいは陽の下の生き物のいる温い土とは違い、ひんやりと沈んでいて、どこか後ろめたいものを含んでいる。

植物から抽出される精油のなかに土のにおいを持つものがある。パチュリーとベチバーという精油がそうで、そのふたつは土を思わせるという点で似ているけれど、パチュリーにはやや日向臭い懐かしさがあり、ベチバーには苦味と墨汁を思わせるような暗さがある。パチュリーは葉、ベチバーは根からそれぞれ抽出される。濡れた土壁のにおいは、パチュリーをつけた試香紙を嗅ぎながら、ベチバーの試香紙を後ろから少しずつ近づけたとき、ある地点で近いにおいが再現される。
子供の頃、豪雨になると土壁に雨染のでる普段は使われない座敷にぼーっと立ってこのにおいを嗅いでいた。いわゆる良いにおいではないのになぜ惹かれるのか、何を嗅ぎ取っているのか自分でもよくわからなかったけれど、後ろめたいものが鼻から入って後頭部の奥に残った。
その名付け方のわからなかったものを言葉にしようとすると、濡れた土壁の臭いには、仄暗く奥まった官能性がひそんでいる、という言い方になる。土は砕けた鉱物や朽ちた動植物が境界を放って混ざり合ったそれ自体官能的な様態であるし、なぜなのかパチュリーとベチバーの精油の効能には催淫作用があげられる。子供の鼻は自分の体が呼ばれるのにまだ居所の知れない感覚の気配を嗅ぎつけていたのかも知れない。

お屋敷の解体は日に日に進んで、最後に石垣だったものが一個一個の石に戻され、運び出されていった。更地の乾いた砂の上には分譲中という看板が立っている。